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2015年12月

2015年12月31日 (木)

日本国内旅行 その1

  芦原温泉行き 

 今年(2015)の秋も東京に滞在し、科学者たちと対談することができた。カリフォルニア工科大学元地震研究所長の金森博雄先生とは、ここ3年連続でお会いしている。今年は他に、横山裕道淑徳大学教授とお会いすることもできた。対談の内容については、もう少し先にいってから書くつもりである。ここでは、東京滞在後の1週間に行った国内旅行についてを書く。但しその旅行全体ではなく、今までブログで扱った問題の補完を目的として書く。

 11月 10日私と妻とは、朝10時32分発の北陸新幹線で東京から金沢へと向かった。5年前にも金沢に1泊、福井で2泊の旅をした。その時には越後湯沢で乗り換えなければならなかった。同じホームの反対側に列車が止まっていて、それが乗るべき列車だと感違いした。金沢行きは別のホームから出るのだ、と気付いた時には既に遅く、後発列車をホームの待合室で待つ羽目になった。東京から金沢に到る他の地には無いものが越後湯沢にはあった。雪である。その日は氷雨がしとしとと降っていたが、稲の切り株の残る畑のあちこちに、かなり分厚い雪の塊が積もっていた。

 列車が日本海沿岸部に入ると今度は強風で、しばしば徐行運転を強いられた。何処かの駅近くで、工事中の高架を車窓に見た。高速道路が新しく出来るのかと思ったが、後から考えると、北陸新幹線用の工事であったのかも知れない。

 今年3月に北陸新幹線が開業したおかげで、越後湯沢で乗り換える必要性がなくなり、金沢行きが楽になった。とはいえ、金沢が今回の旅の目的地ではなかった。新しくなったはずの駅前と構内とを少し見て回っただけで特急に乗り、福井方面に向かった。

 温泉地からは遠く離れているのに、駅名が何故「芦原(あわら)温泉」で、急行が止まるほど重要な駅なのか、と私は疑問に思った。畑の中に掘った穴から温泉が湧き出したとも、結構有名な温泉地だとも、後で友人から聞いて納得した。

 午後2時半、駅前には旅館のミニバスが迎えに来ていた。駅を降りてから、バス、旅館でチェックイン、とスムーズに事が運び、部屋で一息ついてから、7~8分の距離を歩いて路線バスの停留所に向かった。金沢でも芦原温泉でもない本当の目的地に行く為である。

 私が芦原温泉で一泊する計画を立てたのは、北陸新幹線開業前の2月のことである。金森先生との話題の一つだった玄武洞(金森博雄教授と東京で8時間 その4) について改めて調べているうちに、越前松島という景勝地が東尋坊近くにあるのを知った。玄武洞の水平柱状節理よりももっと複雑で種類も多いらしい(同 その6)。

 これはもう、直接行って実物を見るしかない。で、何処に泊まろうか?どうせなら近くの温泉地がいい。そして、どうせ行くなら米原経由ではなく、近々開業予定の北陸新幹線がいい。という訳で路線バスの時刻表も調べ、芦原温泉行きの計画は、9ケ月も前に完成していた。

2015年12月 1日 (火)

金森博雄教授と東京で8時間 その9

  共役断層はアメリカにも

 郷村・山田断層は図の上だとT字型したありきたりの共役断層に過ぎなかったが、坪井忠二氏の図に出会って、謎が深まった。余震域の円グラフ3/4状の偏りなどを考慮する時、地下の地震がどのような形で起こっているのか?イメージすることも出来ない。

 そんなことを調べたり考えたりしているうちに思い出した。たしか私のニュースレターで、アメリカの共役断層を扱ったことがある。読み返してみると、地震直後の新聞記事などで、 必ずしも共役断層という言葉が使われているわけではない。しかも、郷村断層の場合とは起こり方がかなり違う。しかしネットを調べると、やはりあれも共役断層とみなしてよさそうである。

 1992年6月28日の朝5時ごろ、M7・3の地震が南カリフォルニアの砂漠 の町で起こった。ランダース地震と名付けられたこの地震は、サンフランシスコ大地震以降3番目の大きさだったにもかかわらず、人口が少なく被害も少なかっ た。そのため、一般人から注目されることも記憶されることもなかった。しかし地震学的には、非常に珍しい謎の多い地震であった。

 以前書いた(遠隔誘発地震の謎 その3)ように、金森博雄教授から頂いたメールには、誘発地震についての論文が添付されていた。それによれば、誘発地震の重要性は、ランダース地震以降地 震学者の間で注目されるようになったようである。ランダース地震の誘発地震としての側面は、「遠隔誘発地震の謎」の話をもう一度する時に問題とする。

 ランダース地震は誘発地震であるだけではなく、共役地震でもあるのだ。約3時間後に、西方約35キロほど離れた山中で、M6・5の地震が起こった。最初のうちこれはランダースの余震とも考えられたのだが、その日のうちに別の地震であると決定された。私が見た翌日の新聞記事の全てが、別の地震とみなし ている。

 ランダース地震の揺れは2~3分も続き、断層も数ヶ所別々になっていたというから、東北地方太平洋沖地震と同様な連動型だった可能性もある。それら断層群の 南への延長線上で、2ヶ月前の4月23日に、M6・1のジョシュアツリー地震が起きていた。ビッグベアの震源地は、それらの断層線とはまるで違う位置にある。地上に現われた断層は見つからなかったものの、余震域からして地下の断層は、ランダースの断層線に対してT字型であった。つまり、共役断層で あった。

 私はランダース地震の約2ヶ月後の休暇に、現地を見に行った。当時は娘がホテルで働いていたので、パー ムスプリングスにある、系列の最高級ホテルに安く泊まれた。お陰で、ビッグベア、ランダース、ジョシュアツリーなどの震源地ゆかりの町の他、サンアンドレアス断層のカリフォルニア州南端の町エルセントロ、その近くのソルトン湖などを見て回ることができた。地図の上では分からないが、それぞれの町は雰囲気が まるで違っていた。

 同じ年1992年7月28日付のニューヨーク・タイムズ紙に、面白い記事が載っていた。ランダースとビッグベアとサンアンドレアスとの3つの断層が作る三角形をバミューダ・トライアングルと呼ぶとあった。バミューダ・トライアングルと言えば、飛行機や船が突然消えてしまうという大西洋の三角海域のことである。

 同じ三角形の謎の地域とはいえ、断層帯にバミューダの名前を付けるとは出来過ぎだ、と思ったら、三角形の頂点の一つの近くにバミューダ・デューンズ(砂丘)という町があるからだそうだ。

 三角形の共役断層となるとより複雑である分、郷村・山田断層のT字型断層よりも更に解釈が難しくなる。地震発生を説明する通常の断層図にさえも私が指摘したような幾つかの疑問がある。T字型や△型断層ともなると、図で説明するのが可能であるとは思えない。バミューダ海域以上の本当の謎がそこにある。

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