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2015年7月16日 (木)

噴火は予知できていたはず その15

   異常震域地震の謎

 私が異常震域という言葉を知ったのは、今回の小笠原諸島西方沖地震の時が初めてだが、そういう現象があることを知ったのは1989年ロマプリータ地震の時だった。ロマプリータ地震はM7・1、死者67人、この地方を襲った地震としては、1906年サンフランシスコ大地震のM7・9に次ぐ大きさであった。

 この地震の時、揺れによる最大の被害を記録したのは震央近くではなく、100キロも北の数地点である。埋め立て地などで地盤が弱く、振動を増幅し易い土地なのだ、と考えられた。しかし埋め立て地ならば、震源地から100キロの間にいくらでもある。それらの土地の揺れが小さかったことは、レンガ製の煙突が壊れていただけ、などの外観からも明らかである。

 しかもロマプリータ地震の場合、同じ強さの等震度線が波紋のような同心円を描くのではなく、まるで節目板のような潰れた楕円形をしている(U.S. Geological Survey circular 1045)。震源から斜め上方に、何ものかが打ち出されたかの如くである。Img_0002_new


 このような地震の不思議さを初めて知った私は、当時、偶然なことから被災地から被災地へと車でお連れしていた日本大学理工学部教授、守屋喜久夫氏に尋ねてみた。氏は「七つの大地震 現地レポート」(新潮選書 1982年) の著者でもあり、大地震が起こると世界中何処ヘでも真っ先に駆けつける地震学者として有名だった。

 「震源から100キロも離れたサンフランシスコやオークランドの方が、ビルでも高速道路でも、こんなに壊滅的にやられているのに、中間の町では被害のない町もあったりして不思議ですね。被害の出る地震を体験したのは初めてですが、地震ってこういうものなのですか?」

 「遠くの方が強く揺れる地震は、地震学的に見ても結構あります。ロシアを震源とする地震が起きた時、日本海側で揺れなくて、太平洋側で大きく揺れる、というようなこともありました」

 後に「地震は必ずくる」(阿部勝征著 読売科学選書 1990年) という本の中に、ウラジオストク近くを震源とする深発地震の話が大きな図入りで出ているのを知り、この話だったか、と納得した。最近になって読み返すと、「異常震域」という言葉はそこに何度も出ている。今回の地震で初めてその言葉を知ったと冒頭に書いたのは間違いで、本当は記憶に残らなかっただけなのだ。

 さて、このようにロマプリータ地震を見た後で、もう一度今回の小笠原諸島西方沖地震の異常震域現象を見直してみる。ニュースにおける解説では、何故遠く離れた関東地方が強く揺れたのかに対して、固いプレート内を通る地震波は減衰しないからだ、と説明されていた。

 ロシアの深発地震の場合には、沈み込んだ太平洋プレートの先で深発地震が起こり、その地震波が固いプレート沿いに立ち昇るので太平洋沿岸部の方が揺れが強かった、と説明される。それに対し小笠原諸島西方沖地震の場合には、プレートの沈み込む方向に立ち昇るのではない。複雑な構造をしたフィリピン海プレート沿いに伝わってきたはずなのだ。伊豆・小笠原諸島の多くは活火山の島であり、地下には当然マグマ溜まりが連なっているはずである。固いプレートどころではなく、柔らかいマグマに出会って、逆に減衰しそうなものである。つまり、ロシアの場合の説明をそのまま使えるはずもない場所なのだ。

 ロマプリータ地震は謎に満ちた地震であったのに、誰もそれに注目しなかった。小笠原諸島西方沖地震も同様に謎に満ちた地震である。お座なりの説明で満足するのではなく、もっと深く研究してほしいと願う。それらの謎を通してこそ、地震の本質が見えてくるはずである。

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