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2015年4月

2015年4月28日 (火)

富士山はなぜ噴火しなかったのか? その3

   地震と火山は関係あるのに排他的

 西之島の噴火は東北地方太平洋沖地震によってもたらされたに違いない、と前回書いた。そして、世界の他の超巨大地震の場合にも似たような地震と噴火の関連性があり、震源から火山への方向性が認められるに違いないと予想した。

 ところが、その私の考え方は間違いかも知れない。「噴火を誘発した巨大地震」ということで検索していたら、英語のサイトで良いのが見つかった。
Volcanic eruptions following M ≥ 9 megathrust earthquakes  http://www.rsmas.miami.edu/personal/famelung/FalkWebsite/FalkWebsite_domain.sites2/WalterAmelung_geology_2007.pdf

 そこに出ている4つの超巨大地震(1952カムチャッカ、1960チリ、1964アラスカ、2004・2005インドネシア)の図を見ると、東北地方太平洋沖地震の場合とは、パターンがまるで違っているようなのだ。東北地方太平洋沖地震をこの図における超巨大地震に合わせて描いたとすれば、東日本火山フロントにある火山のどれかが噴火するのでなくてはならない。しかも前者の地震と火山噴火との時間的間隔は短い。数日以内であるか遅くとも2ケ月以内には噴火が始まっている。したがって、東北地方太平洋沖地震だけが特殊であり、むしろ誘発噴火のなかった地震として処理すべきであった。

 私は、西之島の噴火を地震と関連付けた前回の記事を、撤回すべきかどうか迷った。しかし、たとえ間違えであるとしてさえも他の誰もが言ってないならば、世界でたった一つの、独創的な考えであるということになり、それだけで十分に、存在する意義が生じると思い直した。

 この超巨大地震の図を見ると、4つの場合全てに共通の特徴がある。海溝の陸側に巨大地震の震源とその余震域があり、その余震域は陸上にかかっている場合もある。活火山の列が余震域近くの陸上を、海溝と平行に並んでいる。この特徴は東北地方太平洋沖地震の場合も全く同じで、平行に並ぶ日本海溝と東日本火山列との間に、震源とその余震域がある。

 そしてそこには、更により重要な特徴がある。それについて、「新しい地球観」(上田誠也著、岩波新書、1971年)から以下に引用する。

[地震はその数やエネルギーにおいて圧倒的に弧状列島の海側で多いのに対して、火山の分布は弧状列島の陸側に限られているのである。世界地図の上に書いてしまえば、同じように分布するけれども、細かく見れば地震帯の分布と火山帯の分布は、むしろ排他的なのである。火山の分布については、そのいちばん海側の限界を、はっきりと定義することができるので、それを杉村新は火山帯のフロントと呼んだ。フロントより海側にはただの1つも火山は存在せず、地震は火山帯のフロントよりも海側に多いのである。]

 巨大地震による誘発噴火の問題を調べた後、上田誠也氏のこの文章を改めて読み直し、重要なことに気付いた。地震と火山はお互いに誘発し合う関係でありながら、しかも分布の上では排他的なのである。今迄私は、地震はマグマの移動によってもたらされるものだと思い、そう書いてもきた。しかしマグマが常住する場所と巨大地震の起こる場所とが別にあるとすれば、マグマの移動そのものが地震の原因ではあり得ない。

 上田氏のこの本は、1976年に自費出版した「ヤスー」という私の本を書く時に参照した。その時以来数限りなく読み返し、引用してきた本なのに、今の今まで、マグマと地震との関係についてのこんなにも重要な問題点を、何故見過ごし続けてきたのだろうか? 不思議な気がする。

2015年4月21日 (火)

富士山は何故噴火しなかったのか? その2

   地震には方向性があるはず

 [御嶽山の噴火は予知できていたはず その6」の中で書いた火山学者中田節也氏の講演に、興味深い話があった。東北地方太平洋沖地震の後、東北地方の複数の火山が沈降したと言うのだ。あ、やっぱり、と思った。それは、私が持っていた以前からの知識に矛盾なく加わり、全体像がより鮮明になった。

 これを書くために、どこかウェブサイトに出ていないだろうか、と探したら、以下のサイトが見つかった。日本共産党嶺南地区委員会、2013年7月2日とある。図も適切だし、記事もよくまとまっている。地質学に詳しい記者がいるのだろうか? 

[2011 年3月11日に発生したマグニチュード(M)9・0の東北地方太平洋沖地震の影響で、東北地方と関東地方にある火山で沈降がみられた・・。京都大学防災研 究所の研究チームが7月1日付の科学誌『ネイチャー・ジオサイエンス』電子版に発表しました。2010年にチリ沖で発生したM8・8の地震でも火山の沈降 が確認されており、このような現象は広く見られる可能性があるといいます。
研究チームは、日本の陸域観測技術衛星に搭載された「合成開口レーダー」による、東北地方太平洋沖地震前後の地表面の観測結果を比較しました。その結果、秋 田と岩手両県にまたがる秋田駒ケ岳、秋田と岩手、宮城3県にまたがる栗駒山、山形と宮城両県にまたがる蔵王連峰、山形と福島両県にまたがる吾妻山、福島と栃木両県にまたがる那須岳で、東北地方太平洋沖地震の後、沈降していることがわかりました。
最も大きな沈降が見られたのは吾妻山の15センチで、沈降が少なかったのは那須岳の5センチでした。一方、岩手県の岩手山と福島県の磐梯山では沈降は見られませんでした。]

 図を見れば一目瞭然なのだが、秋田駒ケ岳、栗駒山、蔵王連峰、吾妻山、那須岳の5山は、東北地方の中央を背骨のように並んでいる。それらの火山の沈降が意味するものは何だろうか? あの地震の後、東北地方全体が東へ移動したということ は、矢印が無数にある図によって示された。そして三陸海岸は沈降した。それらの情報と5火山の沈降とをまとめて考えてみると、日本列島の地下にあるマグマがごそっと東方向に向けて抜け出たかの印象がある。

 地震は地殻底における噴火である、という私の考え方からすると、東北地方太平洋沖地震の時には震源近くにあった障害物が外れ、大量のマグマが移動したと考えられる。そしてそのマグマの向かった先が西之島だったとみる。

 このようなイメージは、今は単なる妄想に過ぎない。しかし、火山噴火を伴う世界の超巨大地震を調べ直してもらいたい、と願う。それらにも、東北地方太平洋沖地震時のような地殻変動があり、震源から火山への方向性が認められるに違いない。もしも全ての超巨大地震にそのような方向性があるとしたら、私のイメージは現実性を帯びてくる。

 そしてそのイメージからは、富士山が何故4年間噴火しなかったのかも理解 できる。マグマの道筋から外れていたのだ。とすれば、沈降していた三陸海岸が最近反転して隆起に転じたという不安材料はあるものの、西之島や九州方面が活発である間は、富士山噴火を心配しなくていい、ということになる。

2015年4月14日 (火)

富士山は何故噴火しなかったのか? その1

   世界でも噴火しないのは富士山などだけ

 ネットを見ると、もうじき富士山が噴火する、という記事を至る所で見かける。この問題について非常によくまとまっているのは、「NHK そなえる防災」というシリーズの中で、藤井敏嗣東大名誉教授が書いた「大地震は火山噴火を誘発する!?」というエッセイである。以下にその中から引用する。

[地震が火山噴火を誘発した例として有名なのは、約300年前の宝永地震(M8.6)と富士山宝永噴火です。宝永地震は1707年10月28日、遠州灘沖と紀伊半島沖で同時に発生した大地震で、いわば東海地震と東南海・南海地震が連動した地震ですが、この49日後の12月16日に富士山がその歴史の中でも珍しいほどの激しい爆発的噴火を起こしました。]

[このように過去の事例を振り返ると、M9に達するような巨大地震の場合には必ず火山噴火が誘発されてきたわけですが、では、このたび日本観測史上最大のM9と認定された東北地方太平洋沖地震の場合はどうでしょうか。
3月11日の地震発生直後、北海道から九州に至る20の火山で直下の地震活動が活発化しました。多くの火山は1~2日で平常状態に戻りましたが、箱根山(神奈川県・静岡県)と焼岳(長野県・岐阜県)では有感地震も発生しており、1週間以上地震活動が高まった状況が続きました。
また、3月15日には富士山の直下15kmの深さでM6.4の地震が発生。余震の震源は山頂直下5kmの深さまで伸びる垂直板状の領域を形成して、2週間以上にわたり活発な余震活動が続き、1年以上経ってもまだ影響が残っていました。
この地震については気象庁が「静岡県東部地震」と発表したことから、富士山の直下で起こった地震だとは気付かなかった人が大部分でしたが、火山研究者の多くは「もしかするとこのまま富士山噴火につながるのでは・・・」と考えたのです。しかし、その後の調査でマグマの移動を示す兆候は見られませんでしたから、私自身、ほっと胸をなで下ろしたというのが正直なところです。]

 私も当時、いよいよ富士山の噴火か、と思いながらニュースから目が離せなかった。おそらく殆んどの地震・火山学者が、同じ思いだったのではないだろうか。

 しかし、これは富士山だけの問題ではない。M9級の超巨大地震の後は例外なく噴火が起こってきていたのに、何故東北地方太平洋沖地震の後だけそれらしい噴火が誘発されないのか? これもまた、殆んどの学者が首をひねる大きな謎であるようだ。しかも、4年というタイム・リミットをも超えてしまった。NEWSポス トセブンというサイトには次のようにある。

[巨大地震と火山の噴火に密接な関係があることは、世界の地震学者や火山学者の共通認識となっている。地震学者の島村英紀・武蔵野学院大学特任教授がいう。
「1950年以降、M9クラスの地震は世界で7回起きている。そのうち6つの地震では4年以内に近隣の複数の火山が噴火しました。この“4年”という節目が研究者の間で話題になっています」]

 「近隣の複数の火山」ではないけれども、西之島の噴火はどうだろう? 私の考えからすれば、あれこそが超巨大地震によって引き起こされた火山噴火なのだ。絶海の孤島で被害もなかったために、過少評価されているだけだと思う。そして又、プレート・テクトニクス説により別々のプレートに所属しているため、両者の関連性が気付き難くなっている。

2015年4月 7日 (火)

御嶽山の噴火は予知できていたはず その6

   火道まで穴を掘る

 前回書いた「火山の体温を測る」が可能であるためには、マグマ溜まり近くにまで達する穴を掘れるか否かが問題となる。運の良いことに、それに関連した動画を偶然に発見した。[日本地球惑星科学連合2014年大会トップセミナー:中田節也先生「日本における最近の火山噴火(レビュー):これまでとこれから」]という何の変哲もないタイトルだが、中田氏の名前に記憶があった。「火山学者に聞いてみよう」というサイトで知ったのだ。多分西之島か御嶽山を調べている最中に辿り着いたのだと思う。それで中田氏の名前にひかれ、その20分ほどの講演の動画を開く気になった。

 講演の内容にびっくりした。あの雲仙普賢岳で既に掘削が行われていたことにも、その掘削孔が直線ではなく、弓なり型だったことにも驚いた。そしてそれら以上の驚きは、火道の形である。先ず、東京大学地震研究所のサイトから以下に引用する。

[火 道掘削は2003年1月末から開始しました.普賢岳の北斜面中腹から,最初は垂直に掘り始め,途中から角度を増して,水平から15°の傾斜で堀り進みまし た.火山の浅部での坑の増角作業には大変難航しましたが,2004年6月には,無事,普賢岳直下約1.3kmに達し,平成新山の火道を捉え,火道周辺の地 質物理情報を得ることができました.火道は東西に延びた板状(厚さ数mから30m)のもので,新旧の火道が幅数百mにわたって束になっている場所(火道 域)でした. ]

 それ迄の私が持つ火山のイメージは、以下に書く疑問を別とすれば、火山や地震の本に出ている図からそう遠く離れたものではなかった。火山の根っこの辺りにマグマ溜まりがあり、そこから山頂へと真っ直ぐのパイプのような火道が通る。

 こうした教科書的なイメージに対し、いくつかの疑問を以前から持っていた。マグマ溜まりへのマグマの供給源は、それより更に下のマントルにあるとされているが、それ自体が疑問である。しかしそれについてここでは議論せず、火道の形についての疑問だけに絞る。

 火山麓には溶岩トンネルがよくある。それは溶岩流が麓を流れ下り、表面が固化した後、中の未凝固の溶岩だけが更に流れ続けたために出来るのだと言われる。そのことからすれば、山頂付近の火道が固化して栓が出来た後、中の未凝固マグマが落ち、円柱状の空洞が火道に出来るというのは充分にあり得る。すると、空洞の火道の中を、マグマは寒暖計のように上下しているのだろうか?

 雲仙の掘削を知る前の私は火道についてそういうイ メージを持っていたのだが、実際の火道は円柱状ではなく板状だという。しかもその板状は一枚だけではなく、噴火の度に新たな板が以前の板に沿って出来る、言わば合板状になっているのだそうだ。それは雲仙の火道に特有なことなのだろうか? それとも、全ての火山が皆同じなのだろうか?

 火道内のマグマが合板状になっていることに対しては、噴火によって堆積した山体と火道内で固化した岩石との密度の差により、その間にマグマの通り易い隙間が出来てい るのだろう、と解釈できる。それに反してどうにも解釈できないことがある。マグマは何故、頂上へと直上するのではなく、斜めに移動するのであろうか?

 以前にも書いたように(地殻底のマグマ層  その13)、雲仙においては、マグマが橘湾から雲仙普賢岳頂上へ向けて、約一年かけて移動した。御嶽山においても、マグマ溜まりがあったと考えられるのは南東麓であって頂上直下ではない。何故そのままの場所で山腹噴火しなかったのか? 何故頂上へと斜めに移動したのか?

 噴火を予知するためには、地中特に山体内において、マグマが何故どのように移動するか、を知ることが一番大切なのではないかと思う。

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