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2015年3月19日 (木)

御嶽山の噴火は予知できていたはず その3

  限界は学者の観念が作ったのかも

 御嶽山はこの35年間に4回(①1979年②1991年③2007年④2014年)の水蒸気噴火を起こしている。死火山だと思われていた山が、①の噴火に先立つ1976年頃から群発地震が起こるようになってきた。そして、1978年10月にM5・3の地震が発生、①の水蒸気噴火の丁度1年前のことだった。

 その噴火の5年後、1984年には長野県西部地震M6・8が起きている。この地震は震源が浅かったこともあり、山崩れを起こし、死者29名、住宅全半壊87棟など、かなりの被害をもたらした。それもあり地震後、溝上恵氏らの東大地震研チームを初め、各地からの調査隊が集まった。

 溝上氏らは数台の携帯用地震計を持ち込み、観測点を変え、数多くの余震観測をした。彼らの目的は、余震域を定め、地下の断層を発見することであった。気象庁の「有史以降の火山活動」というサイトを見ると、②と③の噴火の間には毎年のように地震や微動が発生している。私には地震と火山噴火とに強い関連性があり、断層はマグマの動きの結果として生まれるだけのもののように思えるのだが、専門家はどうしても、断層が地震を引き起こす、と考えているようである。しかしこの場合には、断層は実際に地下に見つかったようで図のように、本震と余震の震源は直線状に並んでいる。Photo_2

 溝上氏らの余震観測のもう一つの目的は、御嶽山の南東麓の地殻深部にあるはずのマグマ溜まりを発見することであった。その観測については、前々回にもちょっと触れた「大地震は近づいているか」(溝上恵著、筑摩書房、1992年)という本の中に次のようにある。

[御岳山の噴火以前に、御嶽山南東麓で群発地震の観測を行った気象庁火山機動観測班の報告の中に、御岳山の南東麓の集落、九蔵(くぞう)と白崩(しらなぎ)での地震記録が載せられていました。その記録には、震源から観測点に直接伝わってくるP波初動の約5秒および約12秒後に、きわだった振幅の波が明瞭に見いだされました。]

[このきわだった波の伝わる時間や振幅の変化などを解析したところ、それは震源からほぼ垂直下向きに出たS波が、地表から10数キロの深さにあるマグマの表面で反射して地表にもどってきた波であることがつきとめられました。このような事実から、火山前線に沿って起こっている群発地震は、群発地震の震源域の直下に潜んでいるマグマと深い関係があると考えられます。]

[マグマが潜んでいると考えられる領域は、御岳山の南麓から南東麓にかけての長さ約15キロ、幅約5キロに限られていること、マグマ溜まりの表面の深さは、11キロから15キロで、南南西から北北東に向けて約30度の傾斜で浅くなっていることなどがつきとめられました。このマグマ溜りの表面の深さのおおまかな分布は、御岳山に向かって浅くなっています。また群発地震の震源分布の底面とマグマ溜りの表面の深さはほぼ5キロの差があり、同じ傾斜で北に向かって浅くなっています。]

 溝上氏らは「マグマ溜まりは、群発地震域の5キロ下にある」と考えているようである。三宅島の噴火についての島村英紀氏の言葉を改めて読み直してみると、「群発地震とは何か?」に対する学界内での見解がばらばらであると知る。「滑稽なことに、地震の3つの委員会と火山噴火予知連絡会、つまり4つの委員会すべてで、同じ群発地震を議論して、別々のコメントを発表した。」(地殻底のマグマ層 その13)とある。

 こうして読んでいくと、問題の真の根が見えてくる。山体の中に群発地震などの活動の中心点があっても、そこを調べるよりはむしろ断層を探し、群発地震があってもそこではなく、その下にマグマ溜まりを求める。地震は断層が起こすという思い込みがあり、マグマ溜まりは深くにあるはずだという思い込みがあるからだろう。

 「水蒸気噴火の予知は困難で、学問の限界だ」と言うが、その限界は、学者の観念が作ったものであるかも知れない。

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