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2015年2月

2015年2月24日 (火)

海洋底の縞模様 その27

  南海トラフを覆う安山岩層があるはず

「安山岩線の中にあったムー大陸」(その12)、「南海トラフが海溝でないのは何故か?」(その13) の中で既に書いたように、私はフィリピン海プレート全体が大陸性の安山岩層によって覆われているとイメージしている。そのイメージは、最近見たNHKのサイエンスZERO(アメリカでは2月14日に放映)によって一層強められた。

 番組の内容は、「その12」で引用した「西之島の不思議:大陸の出現か?」(独立行政法人海洋研究開発機構のJAMSTECニュース、2014年6月12日)という記事と同じ路線を行くものである。西之島が元々安山岩線の内側にあり、安山岩が出ること自体には何の不思議もないのだ、ということには一言も言及しなかった。

 しかし、「安山岩は地球にしかなく、火星や金星にはない」「西之島の岩石は全て安山岩、シリカの多い大陸の岩石であった」「地殻は西之島の辺りで薄い」「4月から6ヶ月かけてアメリカの調査船、ジョイデス・レゾリューション号が伊豆小笠原マリワナの海域を調査することになっている」などなど非常に有用な情報が満載であった。

 残念ながら、ゲスト出演した海洋研究開発機構の田村芳彦上席研究員の、西之島の安山岩生成に対する説明は、納得のいくものではなかった。「西之島の辺りの地殻が薄いから」と説明しているのだが、それでは地殻が更に薄いはずの中央海嶺や他の遠洋海域ではどうなのか?と疑問に思う。西之島の辺りの地殻の厚さ15キロメートルというのは、平均的な海洋地殻の厚さに比べ、決して薄過ぎるというほどではない。しかも、「なぜ西之島の辺りだけ地殻が薄く安山岩で出来ているのか本当のところはまだ分からない」とも言う。本当はまだよく分からないことを分かるように説明しようというのだから、分かり難いわけである。

 西之島の周囲には、伊豆大島など玄武岩を噴き出す火山ばかりである。しかし地震波の調査によれば、伊豆大島からマリアナにかけて安山岩層が隠れている。しかも、伊豆大島近くの方が安山岩層は厚い。厚い安山岩層がありながら噴き出すのは何故玄武岩ばかりなのか、更によく分からない点である。

 それら以上にもっと分からないのは、安山岩を噴き出す西之島がベルトコンベヤーに乗って北上し、伊豆半島に衝突して大陸となるというプレートテクトニクス流の考え方である。西之島が北上して大島の辺りに来たら玄武岩を噴き出すようになるとでも言うのであろうか?

 ただここで、安山岩層が隠れているらしいという地震波調査の結果は、フィリピン海全体を沈んだ大陸と捉えている私には心強い。南海トラフが日本海溝などの一般海溝に比べて浅いのは、既に書いたように(その13)、安山岩層がトラフの底を覆っているからである。

 南海トラフが私の提言通りに実際なっているかどうかは、そう遠くない将来、掘削した時に決着がつく。それが「反証可能性」ということである。説明ばかりに終始するか、我々の死後にしか確かめようもない提言が全てであるならば、それは「反証可能性」を持つ健全な科学的仮説体系ではない。プレート・テクトニクス説は「反証可能性」を持っているだろうか?

2015年2月17日 (火)

海洋底の縞模様 その26

  東太平洋の断裂帯は布の引きつれ型断層

 東太平洋の海洋底にある断裂帯は、プレート・テクトニクス説にとっての最大の謎の一つである。東太平洋海膨の向きと矛盾するそうした大規模地形が、隣接して、何故そのようなところに存在するのか? 答えられないはずである。しかし私の仮説体系からすれば、既に見た破砕帯成因のバリエーションとして、簡単に説明がつく。

 ここで破砕帯と断裂帯の、相違点と類似点とをまとめ直してみる。破砕帯は中央海嶺に伴う断層である。まるでボキボキと折られた魚の骨を、不器用に並べ直したかのようでもある。破砕帯の長さは不揃いで、長いものの次に短いのがあったりもする。中央海嶺やその破砕帯部分は、浅発地震帯である。

 それに対して断裂帯は、中央海嶺を伴わず、断裂帯同士は相互に平行である。また、断裂帯の方が断層としてはるかに大規模である。しかし、破砕帯、断裂帯どちらにも共通するのが断層とそれによってずらされた地磁気の縞模様である。東太平洋海膨の破砕帯とその近くの断裂帯とでは、方向性に全く関連があるようではない。これらの特徴からして、両者の成因に共通のものがあると同時に、それらは全く独立したものである。

 私の仮説からすれば既に説明したように、破砕帯の場合には、固化し切らないマグマが中央海嶺の下だけに留まっていたと見る。それに対して断裂帯の場合には、マグマのある領域自体はるかに大規模である。身近なもので例えるとすれば、浅い鍋に牛乳を入れて沸かすようなものである。鍋の中の牛乳が冷えてくると、表面に薄皮が生じる。

 つまり、破砕帯と断裂帯とに本質的な差はなく、様態に違いがあるだけなのである。牛乳の表面の薄皮の部分は破砕帯における山型の玄武岩層(「その18」の図-海11)に相当する。つまり、断裂帯の場合の玄武岩層は、山型ではなく、水平なのである。鍋のふちに相当するのはヘス海膨からサライゴメス海嶺へと続く「中央太平洋海嶺」(図-海20の②)である。当然そこが一方の固着点となり、もう一方の固着点は北米大陸西岸沖にできる。両方の固着点の間の玄武岩層には冷却に伴って張力が働き、布の引きつれのような断裂帯の断層ができる。

 このように断裂帯の成因を考えてみると、断裂帯が何故「中央太平洋海嶺」の外側にまで延びていないのか、などの理由も理解できる。更に空想を逞しくすることも出来る。「中央太平洋海嶺」の、サライゴメス海嶺の丸みに着目すると、その辺りと北米大陸本体との間には数本の断裂帯が車輪のスポーク状に並んでいたと推測される。そしてその上に、東太平洋海膨の玄武岩マグマが南米大陸から拡散して乗り上げ、溝の部分を薄く覆ってしまった。    22図-海22


 「中央太平洋海嶺」のヘス海膨の辺りに着目すると、そこは直線状に並んでいて、アラスカの出っ張りが反映されていない。とすると、北米大陸本体が一旦着地して玄武岩マグマを分離、拡散し始めた後、何らかの理由によりアラスカの部分が曲げられた、と推測することを可能にする。アラスカ沖には、Great Magnetic Bight(「その19」の図-海14)と呼ばれる大きな謎がある。ここではその大湾曲だけではなく、海洋底の縞模様の向きと年代を示す図(図-海22)を、別冊サイエンス「特集 大陸移動 地球の再発見」(日本経済新聞社、1973年)から借用する。それを見ると、アラスカからアリューシャン列島にかけての一帯には何らかの、後発性の出来事があったことを想像させる。それがどのようなものであったのかについては、仮定の程度がなお一層強くなるので、今回は述べない。

 名探偵ならば、現場に残る微細な遺留品から事件の全体像を読み解く。恐竜学者ならば足跡化石を調べて、生きていた恐竜の生態を思い描く。それに反して地球科学者たちは、地形、特に海洋底地形に貴重なカギの数々が残されているのに、想像力を働かせようとはしない。惜しいことである。

2015年2月10日 (火)

海洋底の縞模様 その25

  断裂帯は太平洋プレートの向きに矛盾

 太平洋底に関してはもう一箇所、素通りには出来ない海域がある。前回の図と重複するが、改めてカラーの図(図-海21)を載せる。この図において最も特徴的な地形は、平行・等間隔に並ぶ巨大な断層群である。英語だと同じFracture Zone なのだが、中央海嶺に伴う破砕帯と区別するためなのだろう、断裂帯と呼ばれている。                   21 図-海21


 それらの断裂帯が如何にきれいに並んでいるのかは、断裂帯の発見の歴史が物語っている。「海底の地図」(佐藤任弘著、中公新書、1974年)には次のようにある。

[この3つの断裂帯(メンドシノ、マレー、クラリオン)があまりにも直線的に平行しているところからさらに南にも断裂帯があるだろうと予想され、調査の結果発見されたのがクリッパートン断裂帯である。ここでは北側の海底が約400メートル深くなっている。

クリッパートンとクラリオン、マレーとメンドシノの断裂帯の間隔は非常に似ている。これに対してマレーとクラリオンの間は約2倍の間隔である。このことから中間にも未知の断裂帯があると予想され、その結果発見されたのがハワイ諸島のモロカイ島をとおるモロカイ断裂帯である。]

 この引用文の中にも出てくるが、断裂帯の片側が400メートルとか数百メートル深くなっていることが多いらしい。そのこと自体にも意味がありそうだが、今回は問題にしない。

 断裂帯の長さたるや、4000キロメートルにも及ぶ超巨大な地質構造物である。それは火星のマリネリス峡谷の長さと丁度同じである。それは又、地球の直径の3分の1(月の直径よりもいくぶん大きい)程の大きさのひび割れ、と言い換えることも出来る。

 引用文にある断裂帯発見の歴史は、太陽系における小惑星帯や冥王星の発見を思わせるものがある。もしもこのような地質構造物が、他の天体、例えば月の裏側などに発見されたとすれば、大きなニュースとなり、人を驚嘆させるはずである。それなのに、東太平洋の断裂帯発見は、何故人々の興味をかき立てなかったのだろうか? プレート・テクトニクス説の体系に組み込めなかったことがその一因である、と私は考えている。

 本来太平洋プレートは北西に移動するはずである。ところが断裂帯の向きは東西であり、太平洋プレートの動く向きとは矛盾する。縞模様の上では同じ時期のものがあるため、片方に注目すれば北西に、別の縞模様に注目すれば西へ、というおかしな結果になる。

 しかも、断裂帯には中央海嶺がない。中央海嶺にはある地震活動もない。いったい断裂帯はどこで生まれ、何故通常のプレートとは違う方向に動いていくのか? プレート・テクトニクス説からでは、納得のいく解答を得られそうにない。

2015年2月 3日 (火)

海洋底の縞模様 その24

  太平洋を縦横断する巨大海底地形

 太平洋の海底には、私の自信を深めてくれるような地形がいくつもある。その一つは、東太平洋に平行して並ぶ巨大な断裂帯の群である。

 1996年3月号の表紙には、全頁大のイラスト(図-海20)を載せた。これは、このシリーズにカラーで載せている地図と同じ世界地図帳(ナショナル・ジオグラフィック社、1992年)からのコピイである。白黒なのでいくぶん分かりにくいのだが、それでも添えた線によって火山島や海山の列の並び具合は読み取れる。既述のように、ハワイ―天皇海山列①と同じ並び方をしているのは③だけである。②を実際の地図の上で見ると、「く」の字などでは全くにない。弓張型とでも言うべきか、明らかな曲線である。                                 20図-海20

 「その21」で書いたことの繰り返しになるが、②の曲線はジェイソン・モーガンのホット・スポット説の証拠であるどころか反証である。反証になる火山島―海山の並びは他にもいくつかある。中央から左の海洋底に私が書き加えた直線を見ていただければ分かるように、西太平洋には様々な方向を向いた様々な火山島―海山列がある。モーガンはこうした火山島―海山列の全てを無視したことになる。

 さて、再び②の火山島―海山の列に戻る。モーガンはこの列の全体の中から、ホット・スポット説に都合の良い部分だけを取り上げた。実際にはハワイ―天皇海山列を交差して、更に北のヘス海膨から始まっている(ハワイ―天皇海山とは逆に、北から南へと追っていく)。その後はライン諸島、ツアモツ諸島、そしてその後、モーガンが含めていないサライゴメス海嶺が東太平洋海膨と交差し、赤道と平行に南米大陸にまで続く。

 このヘス海膨からサライゴメス海嶺へと続く②の火山島―海山列全体の形は、北米大陸西岸の形を反映している。もっと正確には、北米大陸から尾のように垂れ下がっている部分を、メキシコ・ユカタン半島の辺りで中米の先端を切り取ったとすると、両者の形は一層似てくる。すると、中央太平洋を縦横断するこの巨大な海底地形は、北米大陸を反映する中央海嶺なのだ。恐らくは、様々な大陸から広がった玄武岩マグマが、海洋底を二重三重に覆ったために、はっきりとした形を示さない、言わば痕跡のような中央海嶺なのだろう。そこで、この地形のことを、私のブログの中では「中央太平洋海嶺」と呼ぶことにする。

 この複合的地形の痕跡ということで言えば、ハワイ島の西方に見えるゆるやかな弧線(図-海20の④)も、何かしら意味ありげに見える。これは私の地図帳や地球儀にMid-Pacific Mountains(太平洋中部海山群)として出てくる海山列である。右の図(図-海20)によれば、それはアリューシャン列島を反映しているかのように見える。アリューシャン列島は、海面下まで含めると大陸の縁辺とも見える。それを考慮してMid-Pacific Mountainsを見直すと、それらはアリューシャン列島から滲み出した玄武岩マグマの高まりの痕跡なのだ、と思えてくる。

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