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2014年12月

2014年12月30日 (火)

海洋底の縞模様 その19

  縞模様の成因は油膜の虹色と同じ

 前回書いたように中央海嶺の破砕帯は、玄武岩の柱状節理と固着点間の収縮ということで説明される。今までの学説では、「トランスフォーム断層」という新しい名前は付けられたものの、その成因について言及されたことは全くにない。海洋底の縞模様については既述のように、学説によって説明されてはいるものの、地磁気の強弱を方向性に置き換えたりと、満足のいくものではなかった。それに反して私の説においては、玄武岩の固着点間の収縮という破砕帯の成因と同じ理由、によって容易に説明がつく。

 固着点間の岩石には張力が働いている状態にある。すると、固化した玄武岩層に厚薄のムラができる。そしてそのムラが、縞模様を作る。つまり地磁気の縞模様は、シャボン玉が虹色に見えるのと同じ原理に基づいているのである。

 シャボン玉が虹色に見えるのは水たまりの上の油膜と同じで、石鹸や洗剤の成分が薄く、水分の層を膜として覆っているからである。その膜の厚さにムラがあるため、上面で反射した光と下面で反射した光とが干渉し合い、虹色に見える。地磁気の場合には、キュリー点以下となり岩石が磁化した時点における玄武岩層の厚薄が、そのまま強弱の縞模様として反映される。そして、縞模様にずれの痕跡が残されていることからして、縞模様が生成されたのは、キュリー点以下に冷却した短い期間の間であり、更に冷却が進んで破砕帯が生じるようになる以前のことなのだ、と推定される。

 いつの日か、縞模様の強弱の層がそれぞれ掘削されて比較された時、そのことが証明される。前回提案した横並びの柱状節理の実証ともども、海洋底の掘削こそが、この問題に決着をつける重要な実証実験であり、この点で、私の仮説には反証可能性がある。

 私のこのような考え方からすると、海洋底の縞模様を中央海嶺周辺だけに限定しなくてもいい、ということになる。海洋底を拡散する玄武岩に移動の方向性があり、マグマのかたまりを蓄えられるだけの厚みがあり、それを覆う玄武岩層の両端に固着点があり、などの条件を蓄えている所では、縞模様や破砕帯を生じる可能性がある。             14図-海14


 上田誠也氏の「プレート・テクトニクス」という本に興味深い図が出ている。「海洋の等年代線(アイソクロン)図」というもので、本来は2頁にまたがっているのだが、その左半分だけを借用する(図-海14)。これは、太平洋、インド洋の海洋底の破砕帯と縞模様とを、プレート説から想定される年代と共に描いたものである。

 東南太平洋中央海嶺のすぐ西側の海洋底には、その中央海嶺由来のものとは明らかに違う破砕帯や縞模様が、下は南太平洋から上は北米大陸のカナダ、アラスカ辺りにまで続いている。それは、東南太平洋中央海嶺で湧き出して北西方向に移動するはずのプレートの動きとずれている。ハワイ列島の並びを基準とし、プレートは北西方向に移動するとも言われた。ところが破砕帯や縞模様からすれば、その辺りだけ真西、というより西南西方向である。

 さらに、北東太平洋沖にはGreat Magnetic Bight (大屈曲)と呼ばれる縞模様の大曲がりがある。破砕帯と縞模様の並びがそこでは大きく曲がっている。これは大きな謎の一つなのだが、プレート説では、湧き出し口である海嶺も海溝に沈み込み得るという本末転倒のこじつけによって説明している。
 
 西太平洋には、日本群、ハワイ群、フェニックス群とがあり、これらの方向は、太平洋プレートの進行方向とはまるで違っている。縞模様や破砕帯の成因が、磁極の南北やプレートの進行とは無関係であることの証左でもある。これらについては、先にいって改めて検討し直すつもりである。

 もしも既存の学説にこだわることを止め、純粋に地球の謎解きに立ち向かうという目で見るならば、海洋底こそは、未解決の問題の宝庫なのである。

2014年12月23日 (火)

海洋底の縞模様 その18

  中央海嶺の柱状岩石が収縮すると

 1993年11月号の「ヤスーン・レター」の中で、私は玄武岩柱状節理の出来方を説明した。その時と説明の仕方は変えるが、基本は全くに変わらない。図も、その時のものを基本にして少し手を加え、更にもう1図新たに描き足した。

 デビルズ・ポストパイルの頂上部にある表面のひび割れは、中心への収縮によって作られる(図-海10の上の図)。これはベナールの対流実験でお馴染みの蜂の巣型なので、図以上の説明は必要ないだろう。但し対流の場合には、中心から周辺に向けての動きであったのに、この場合の力は、周辺から中心への逆方向である。                            図-海10 10_3      図-海12

 この表面のひび割れは崖の側面から見られるように、縦方向にずーっと下まで続き、柱となる。柱の横方向の収縮は、それぞれの柱の中心、つまり短い矢印の方向なのだが、縦方向の収縮がどのように起こっているのか、明らかではない。しかし、ひび割れがない分その収縮は長く、強いはず(図-海10の下の図)なのである。それは、レールの収縮のようなものである。

 大陸から滲み出し、海洋底を拡がった玄武岩マグマは、中央海嶺を前線として最高の高まりを持つ。断面で見ると、中央海嶺を頂上として、その両脇になだらかな裾野を持つ山型である。その山体の中には軟らかいマグマのかたまりがあり、半ば固化しかけた玄武岩の層がそのマグマを覆っていた。そのマグマを覆う玄武岩の層が、水平に並ぶ柱状岩石となる。

 この玄武岩の層は、マグマのかたまりの両端で元々の海洋底と固着している。つまり、両端を電柱に固定されている電線の状態にあった。但し、電線の場合には上から垂れ下がっているが、この場合には上下がひっくり返った形になっている。その状態を新しく描き足した下の図(図-海11)として示す。

 固化した玄武岩層の中では、一本一本の柱状岩石が筋肉の線維一本一本に相当し、ある程度のまとまりとして動く。そのために、中央海嶺を横切る岩石もいくつかの群として、破砕帯と破砕帯との空間にまとまる。                                        図-海1111_2

 中央海嶺を中心線にした柱状岩石は、固化して先に収縮した側が反対側をも引っ張る。まるで、中央海嶺の両側の岩石同士が綱引きをしているようなものだ。どちらが勝つかは確率論的であり、ランダムである。

 図10の右隣の図(図-海12)は本来、図11の下に来るべきだが、ニュースレターの時の形をそのままに使い、ナンバーで調整することにした。その図12の上の方は、両側の岩石による引っ張り合いを上から見た形であり、下の図は同じものを横から見た形である。巨大な山体であったものが、両側の固着点を支点として引っ張り合い、低くなりながら横ずれするのである。

 図の上では、隣合う破砕帯の幅が同じ程度に描かれているが、現実においてはまちまちであり、それは破砕帯の長さにも言える。隣合ったまとまり同士が反対方向へと収縮すると、その結果として出来る破砕帯は、非常に大きなものとなる。このことを、チリ西方の東南中央海膨上で示してみる(図-海13)。ずれが始まる前の、元々の中央海嶺頂上部の位置を赤い中心軸線として示してある。しかしこれは適当に決めただけの仮の位置である。ずれ以前の正確な位置を特定することは、非常に困難であるか、不可能であるかだろう。

13図-海13

 また、破砕帯の長さを決めるもう一つの要因は、もともとの山体の大きさであり、山体内部のマグマの量である。山体が大きい程、両端の固着点同士の距離が離れている程、破砕帯の長さも大きくなる。エルタニン破砕帯のずれの大きさは、注目に値する。

 しかしこの私の仮説も、証拠が発見される日までは、単なる素人の妄想に過ぎない。いつの日か、中央海嶺や破砕帯の近くの岩石が掘削されるようになり、そこに、デビルズ・ポストパイルのような6角形の柱状節理が、横並びの状態で発見される、と私は信じている。

2014年12月16日 (火)

海洋底の縞模様 その17

  玄武岩は動きの方向に柱を作る

 玄武岩は、重くて流動性に富むというだけではない。結晶化する時に動く方向に亀裂する、という性質もある。                                         写真-海111_2

 1965年にアメリカに渡ってまだ3ヶ月になるかならないかという頃、ヨセミテ渓谷で数日キャンプした。その後はヨセミテの裏も回り、別の地でもキャンプする長期旅行であった。その旅の間に、デビルズ・ポストパイル(悪魔の材木置き場)という国定遺跡(写真-海1~3)を訪ねた。黒っぽい石の柱が立ち並んでいて、生家の隣にあった材木屋と似たような光景だった。当時は地質学に興味がなく、不思議な現象があるものだと感心しただけだった。

 後年私なりの大陸起源説を思いついた後、かなり早い時期から玄武岩と花崗岩の違いに着目するようになった。それは、その旅の経験が影響していたのかもしれない。ヨセミテ渓谷は白っぽい、もこもことした花崗岩(写真-海4~6)で出来ているのに対し、デビルズ・ポストパイルは玄武岩である。

 花崗岩と玄武岩という、地球における2つの基本的な岩石を私の仮説体系に取り入れることが出来たおかげで、私は非常な自信を得た。それがなかったとすれば、素人の私が50年もかけて、圧倒的に優勢なプレート・テクトニクス説に孤軍奮闘で刃向かうことなど考えられもしない。 12_2写真-海2

 デビルズ・ポストパイルは、地下でゆっくりと冷却した玄武岩マグマによる遺跡である。頂上部は氷河によってつるつるに磨かれていて、蜂の巣状の断面の結晶構造(写真-海2)を直接見ることができる。つまり、材木屋のように四角の柱が立てかけられているわけではなく、鉛筆のような6角形の柱の集合体なのである。

 別の例えで言えば、コンビーフの肉のかたまりを裂いた形である。筋肉の線維の一本一本が岩石の柱の一本一本に相当する、というこの比喩はかなり重要である。岩石の収縮も筋肉の収縮のようなものだからだ。それについては、次回にもっと詳しく話す。

 デビルズ・ポストパイルのような柱状の結晶構造は、玄武岩の柱状節理と呼ばれる。さて、そのような柱状節理はどのようにして生まれるのか? その答えは、デビルズ・タワーの写真を見て思いついた。デビルズ・タワーとは、ワイオミング州にある玄武岩柱状節理であるが、ポストパイルとは規模がまるで違う。高さは386m、21倍もある。東京タワーが333m、それよりも更に50m以上高い。そのように巨大な山が平原からにょきっとそびえ立っているわけである。さぞかしの威容であろう。 13_2写真-海3

 問題なのは、巨大な切り株のようなその形である。それが何故出来たかを考えると、デビルズ・タワー全体を覆う超巨大な火山があったのだと想定される。切り株の形は、その火山の火道を上昇中のマグマが、動きを固定したまま冷却した、ということなのだろう。

 その目でデビルズ・ポストパイルの形を見直すと、根から株へと立ち上がる斜めの形が確かにある。冒頭に書いたように、玄武岩には動く方向に亀裂するという性質があるのだ、と私は考えている。

14_2写真-海4

 


 
           


(右側の3枚の写真は全てデビルズ・ポストパイルの玄武岩柱状節理。

-海1は正面から。左端が斜めになっている。

-海2は頂上部。氷河に削られて滑らかになっている。6角形やそれに類した多角形になっている。

-海3は側面の近写。)

15_2写真-海5


(左側の3枚はヨセミテ公園内における花崗岩。

-海4は側面を氷河によって削られたハーフドームを右手にした谷間の風景。公園内全体にこうしたドーム型の山が多い。

-海5は裏手のモノ湖へ抜けるタイオガパス路上(120号線)脇にある丘。写真では遠近感がないため、2~3の小丘が前後に重なっているのを区別しにくい。

-海6は同じ路上脇にある花崗岩の節理。玄武岩と違って、柱の形ではなく、タマネギのように平たいヒビができる。)

 
16_2写真-海6


 


  
          

2014年12月 9日 (火)

海洋底の縞模様 その16

  矛盾する海山沈み込み説と伊豆半島衝突説

 前回、第一鹿島海山についてを書くために、インターネットを調べているうちに興味深いサイトを見つけたので、その問題に関してもう一回分書くことにする。そのサイトとは、東京大学地震研究所の望月公廣氏が2008年に発表したもので、「海山に起因する弱いプレート間カップリングと繰り返し発生するM7級地震との関係」というタイトルである。

 その本文や図を見ると、第一鹿島海山の西側には既に沈み込んだ別の海山の痕跡が地中にあるようである。さらに「これまでの構造調査によってプレート境界面上に海溝軸から堆積物が沈み込んでいることが確認されており」という文章もある。

 これでは、「堆積物は沈み込めずに海溝の陸側斜面に溜まる」ことを前提としている付加体テクトニクス、そして伊豆半島衝突説は完全に成り立たない。しかし、海山や堆積物が沈み込むという考え方の方も、簡単には受け入れられない。カーペットの下に掃き込む (英語に、sweep under the carpet 又はrugという常用句があり、不都合なことを隠す、という意味で使われる) のとは違う。固い地殻の岩石の下に、これも固い岩石が潜り込む、なんて本当に可能なのだろうか? 構造調査というが、掘削などによる直接的な堆積物の証拠は得られているのだろうか?

 更に、沈み込んだ海山の痕跡となると、堆積物の場合と違い、1~2箇所の掘削ではその存在を証明できないと思われる。堆積物ならば、それ自体が周りの岩石と明らかに違うはずだが、海山の場合には周りの岩石に紛れてしまうため、掘削したサンプルが確かに海山由来の岩石だ、とは特定し難いことだろう。

 科学の他の分野においては、仮説の証明のために、厳しい実験による実証が要求される。実験者は実験ノートをつけることが求められ、プロセスを踏み外した者たちは責任を追求される。その過程で自殺者まで出た事件を、我々は最近ニュースで目撃したばかりである。

 ところが地球科学においては、実証実験を免除されている。しかも、地震予知の分野におけるわずかな例外を除いては、同じ分野における科学者同士で、激しい議論が交わされることはない。「口角泡を飛ばす」論争は、ウェーゲナーの時代における伝説でしかない。

 そのため、相互に矛盾するような仮説が数多く出され、検証も批判も受けることはない。カール・セーガンは「批判精神こそが科学の真髄だ」という意味のことを書いた(地殻底のマグマ層 その21)。その中には次のような言葉もあり、その通りと思う。

[最も根本的な原理や結論でさえも、挑戦の対象になりうる。……現在普及している優勢な定説に対し、理の通った批判を加えることは、そうした定説の支持者にとっても、有益な貢献になる。……自らに問いかけ、誤りを正していく、科学的方法のこうした側面は、科学の最も素晴らしい特性である。]

 プレート・テクトニクス説支持者たちは、多数派であるという現状に安住するのではなく、私が提示したような疑問や矛盾を見出し、それらに答え、検証していく努力を怠らないで欲しい、と願う。

2014年12月 2日 (火)

海洋底の縞模様 その15

  海溝の陸側斜面は上昇しないはず

 伊豆半島衝突仮説には、私からすればいくつもの問題がある。伊豆半島の元となった海山・海洋島は何処で生まれたのか? フィリピン海の湧き出し口は何処なのか? 何故フィリピン海は北上して日本列島に向かうのか? などの疑問は、既に述べてきた通りである。それら以上の大きな問題点が、沈み込み帯から衝突の現場にかけての地域にある。

 もともと付加体テクトニクスは、海溝に堆積物がたまっていないのは何故か? という考察から始まっている。既に1971年発行の「新しい地球観」(上田誠也著、岩波新書) にはその問題が出ている。「日本海溝の陸側の斜面に存在している物質は、沈み込むリゾスフェアが置いていった堆積物だ」とみなされている。

 さてここで一転して、別の話に移す。千葉県銚子沖に第一鹿島という海山があり、その裾野が一部分海溝にかかっている。これは、今まさに海山が沈み込みつつあるところだ、と解釈されている。海溝で沈み込みつつある海山は襟裳岬などにもあるのだが、この第一鹿島海山の場合には沈み込みの程度が進んでいて、断層の西側が既に崩落している。プレート説が説く通りの展開である。

 ところが、上田誠也先生からだいぶ前に頂いたプリント (「ラメール」誌1982年11月号、星野通平氏との海洋科学対談「海底は動いているか」) の中に、この第一鹿島海山に関して次のような、上田先生の謎の言葉がある。

[海山があそこにあって、山が断層でずれている、それがプレートの沈み込み現象を証明するものであるとマスコミが報じたのが、間違いなのでね。]

[あれがプレートが沈み込んでいる証拠の1つであるなどと思っている人は、まともなサイエンティストの中にはいないわけで。そういうこともあるかね、という程度のものでね。]

 もう30年も前の記事においてではあるものの、当時は何故、海山の沈み込みがプレート説の証拠とはみなされていなかったのだろうか? 私の推理では、付加体テクトニクスとの関連だったのだろうと思う。

 海山や堆積物が沈み込めるのだとしたら、付加体テクトニクスは成り立ち得ない。まさか海溝が切り替えスイッチになっていて、ある時は沈み込ませ、またある時は海溝上を通過させる、ということではないだろう。普通に考えるならば、海山が沈み込めるならば、伊豆半島衝突はあり得ない。

 もっとも、付加体テクトニクス説には更なる疑問がある。海溝やトラフの上を無事に通過できたとしても、海溝と陸との間の地域、つまり大陸棚を上昇させる力はどこにもないのだ。むしろその辺りでは、乱泥流など下向きの力が働いている。海溝陸側斜面にたまった付加体を、海面上に押し上げる上向きの力は見当たらない。

 アンデス山脈のように、沈み込むプレート背面の陸側プレートは上昇して山脈になると言われているが、力学的にはあり得ない説明である。下降するプレートは、冷えて重くなったから自ら下降するのであり、陸側プレートとの間に摩擦が生じるような関係にはない。陸側プレートが対面にあるならば、下降する角度を変えるだけのことだろう。とてものことに、それを上昇させて山脈にする、などとは考えられない。

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