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2014年7月

2014年7月29日 (火)

金森博雄先生と仙台で議論 その2

地震は全て誘発だ、という理論

 東北大学の地震研究室における金森博雄先生との議論は、まるで大学院の授業のような(経験したことはないけれど)雰囲気で始まった。先生は、「地震というのは本質的に全て、誘発によって起こります」と言う。続けて、大塚「碁」理論という初めて聞く説を説明される。

 どうやら、一つの地震が次の隣接の地震を誘発し、それが次々に連鎖反応的に続く、そしてその全体が地震の大きさを決める、ということのようである。車の追突事故で、玉突きにより何台もの自動車が巻き込まれた場合が大事故になるようなものである。この理論からすれば、交通事故の場合と同様、地震もまた、いつ起こるかを決して予見出来ない突発的な現象、ということになる。

 その理論の仕組みは分かるが、玉突き事故のようなものが実際の地球の中でどのように起こるのだろうか、と考えてみるとかなり難しい。車の玉突き事故の場合は整数倍だが、地震の規模の場合そんなに単純ではない。玉突き事故にはない無数の余震もある。自動車事故ならば、小型車がダンプカーに追突すると、エネルギーがそこで吸収されてしまう。地震の場合にも、エネルギーを吸収するような条件が、地殻内にあるかもしれない。

 それらにも増して、方向性が問題である。玉突きだと、連鎖反応の繰り返しは一定方向かその枝分かれだけだが、地震の場合、巨大余震があちこちに飛び火する東北地方太平洋沖地震のような例(東北地方太平洋沖地震 その3)もある。

 その後は、私が既に書いたことの確認であったり、更なる質問であったり、私にとっては理解し易い話題になった。驚くのは先生の記憶力の良さである。10年程前、まだ先生が現役のカリフォルニア工科大学地震研究所教授だった頃、「近頃記憶力が衰えました」と嘆かれたことがある。ところがそれから10年も経った後であるのに、年下の私が簡単な名前を思い出せないのに、先生は様々な地震の月日をすらすらと言える。10年程前の記憶力の衰えとは、それ以前に比べて、というだけのことであり、もともとのレベルが違っていた。

 議論は3時間強、休憩も全くなしに続いた。プレート・テクトニクス説の立場の世界的な超一流地震学者と、反プレート説のずぶの素人、という異色の組み合わせである。こんな恩恵を享受出来ている者は、世界広しと言えども私以外にいないだろうと思う。いくら感謝しても感謝し足りない。

 地震とは不思議な現象である。既に書いたように(地震は雷のようなもの その4)、私は単純に、地震とは地中にできた断層だと考え、それで満足していた。しかし、前世紀最大の地震である1960チリ地震において、地上の断層が見つかっていないらしいこと、余震というのが一体なぜ起こるのか、などなどを考えていくと、地震の正体がかえって、以前よりも分からないものになっていった。

 「地震とは何か」と考え続けているという点では、金森先生の場合には当然ながら深い。そのような言い方自体、素人の私が言えば不遜になるかも知れない。しかし、無礼を承知で言い切ってしまえば、地震学者必ずしも、原点に立ち戻って「地震」を考えている訳ではない。情報を受け売りするだけの大多数の者にとって、それは既に解決済みの問題なのだ。金森先生が「地震とは何か」を今も考え続けているということは、むしろ例外的なことなのである。

2014年7月22日 (火)

金森博雄先生と仙台で議論 その1

(2013年の秋、日本行きの旅支度などが忙しかったため、ブログ掲載の準備は最後の仕事になった。さて、と取り掛かったときサーバーがダウンした。おかげで、それまでほぼ週一で続いていたブログ更新のペースが崩れた。1ヵ月半後、自宅に戻った後も、どうせだからと雑事を優先し、ブログの方は長く休んだ。もう少ししたら、もう少ししたらの繰り返しの結果、約10ヶ月が経ってしまったことにあきれている。)

  日本で学者の追っかけ

 金森博雄先生の研究室を訪ね、チリ地震や誘発地震についてなど、お尋ねしたいことは山ほどある。しかし去年は、世界地図についての新しい米国特許出願が遅れ遅れになり、それどころではなかった。

 米国特許には仮出願という制度がある。優先権を取るために、書類が不備のままでも先ず仮出願を提出しておく。しかし、その後の1年以内に本出願を提出しないと、全てが無効になる。そればかりか、仮出願の中に書いたアイデアは新規性を失う。つまり、本出願の期日に遅れた場合、それ迄考え、調べ、書いてきた全ての苦労が無になってしまう。そしてそれだけではなく、将来にわたって、同じ問題の特許は取れない。

 米国特許の出願は今度で3回目である。以前の2回とも、仮出願から1年、期限ギリギリの出願になってしまい、冷や冷やの思いをした。今度こそはその辛い経験を繰り返したくないと、仮出願の前の段階からいろいろ工夫したのだが駄目だった。私の英文をメール添削してくれる弁理士が、一向にOKしてくれないのだ。結局今回も、余すところ3日という綱渡り状態で、どうにか出願を終えた。

 その出願の9月中旬から、既に予定の決まっていた日本への出発日迄は丁度1ヶ月。忙しくはあるのだが、その間に、出来るならば金森先生にお会いしたい。冒頭に書いたように、チリ地震、誘発地震など、お伺いしたい話題が山積みしている。出願してもよいと決まった段階で真っ先に先生にメールを出した。

 頂いたご返信は意外なものであった。先生も又、私と同じ日に日本に発ち、私と同じ約1ヶ月間、日本に滞在するというのである。台湾に行く以外、だいたいは仙台に滞在されるそうで、日本の何処かで会えるといいですね、とも書いてあった。

 カリフォルニアでは既に十数回お会いしているが、日本でお会いしたことはない。これは逃せない、と思った。ウェブサイトなどで見かけるように、東北大学やその他の大学で、講演会やら講義が行われるのだろう。そうした会場の片隅で、先生の話に聞きいる自分を思い描いた。日本まで、まるで学者の追っかけだな、とも思った。

 数回のメール交換の後、私のイメージは間違いで、東北大学の研究室へ伺うことになった。パサデナの地震研究所における前例からして、そうした対談が最も当然な形ではあるのだが、ご旅行中のお忙しい先生を、私一人での独占である。何とも贅沢なことだと思う。

 頂いた地図からすると、行き先である東北大学の地震・噴火予知研究観測センターは、バス停からかなり離れているようである。生協工学部店の駐車場脇から、細い点線がのびていて、それが近道とある。その道には「熊に注意」の看板もあるとか。先生も毎日その道を通っていて、熊に会ったことはないが、蛇には出会ったそうである。

 11月1日の朝、私は新幹線に乗り、仙台へ向かった。かなり余裕を持って出かけたのだが、降り立ったバス停で方向感覚を失ったり、忘れ物で熊注意の小径を駆けて行き来したり、着いた時には約束の時間ぎりぎりになっていた。

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