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2013年2月

2013年2月25日 (月)

地震は雷のようなもの その2

   「誘発地震による制御」に疑問  

 上田誠也氏の、「どうする!日本の地震予知」(中央公論2011年4月号)の中に載っているキルギスの実験について議論する。この実験の話は、前述(地殻底のマグマ層 その32)の「学士会会報」(2007年7月号)にも出ているし、「その34」でも似た文章を既に引用したが、ここにもう一度引用し直す。

[ロシア人たちが、かってソ連領だったキルギスの天山山脈で2・8キロアンペアもの電流を地下に流し込む実験をしたところ、翌々日くらいから地震が増え、数日のうちに収まるという現象が観察されたのである。流した電流のエネルギーの100万倍ものエネルギーの地震が起きた。だから電流は地震の原因そのものではなくて、電流が刺激して地震が誘発されたという結論になった。]

[予知は実験が出来ないが、制御なら実験可能だ。実験物理学者たちが、実験に乗り出すかもしれないし、もしかすると、予知より制御のほうが早いかもしれない。しかし、怖いのは大地震を誘発させてしまったらどうなるか? それこそ、基礎研究が大事なところであろう。] 

 ここでいう制御とは、プレート・テクトニクス説に基づいた考え方である。つまりプレート説において地震は、プレートの動きによって歪みが地中に溜まり、それがある限界を越えた時に解放されて大地震になる、と考えられている。したがって、ほとんどの大地震はプレートの境界域において起こるはずである。

 ところが、アメリカ本土における最大の地震は、サンアンドレアス断層のあるカリフォルニア州で起こったわけではない。北米プレートのど真ん中の中西部において、マグニチュード8クラスの巨大地震が、何回も連続して起こった。

 中国は、一枚板の巨大なユーラシアン・プレートの中に全土が含まれている。強いてプレートの境界を探すとすれば、ヒマラヤ山脈のあたりだけである。ところが中国は、世界的に見たとしてもかなりの地震大国である。それも、ヒマラヤ近くの山脈地帯だけに限られているわけではない。地図の上で確かめてみると、えっ、どうしてこんな内陸に、と思うようなプレートのど真ん中でも起こる。

 例えば地震予知が成功したといわれて有名になった海城地震(1975年、M 7・2、死者1300人)、翌年にはずれて膨大な死者数になった唐山地震(1976年、M7・8、死者24万人)、それらのどちらも、四川地震などとは違い、山脈ともプレート境界とも遠く隔たった北京東方の平野部にある。

 キルギスは、ヒマラヤ山脈から分岐した天山山脈沿いにあるとはいうものの、やはりプレートの内部にあり、プレート同士の動きによって歪みのたまる場所ではない。とすれば、小さな地震を人工的に誘発してやることにより、歪みを軽減し、大地震の起こるのを防ぐ、というプレート説の考え方自体が、米国、中国、キルギスなどでは成り立ち得ない、ということになる。

2013年2月17日 (日)

地震は雷のようなもの その1

(「地殻底のマグマ層 その35」を掲載したのは昨年4月18日であった。その時点で、その後に続く4篇の下書きは書き終えてあったのだが、島村英紀氏からのメールに触発され、原発問題の話を先にした。さらに、訪日に合わせ、「清張氏の、守られた約束」第4章を6日間隔で掲載したりもした。それらも一応切りがついたので、再びこのシリーズを始める。ただしこれから後の部分は、「マグマ」ではなく、「上田誠也教授」のカテゴリーに入れる。)


   中央公論に出た上田誠也教授の論文 

 もう2年近く前のことになるが、東日本大震災後の3月20日、上田誠也教授からメールをいただいた。

[皆さま:

大変な地震・津波が発生しました。その上、原発の重大事故。 確かに1000年に一度の歴史的事件です。 私は当日午前、キルギス・ギリシャでの地震予知研究から帰国、自宅で腰をおろして、テレビをつけた途端に「緊急地震速報」がでて、あの地震が起きました。 実はあの日、私の積年の所論「どうする! 日本の地震予知」掲載の「中央公論」4月号を成田からの帰途車中で読んでいたのです。発売が地震の前日、3月10日でした。 事態の重大さ、力の及ばなさ、加えての重なる偶然に暗然たる思いで、上記拙論をここに添付させていだきます。お時間があればご一瞥くだされば幸いです。]

 このメールをいただいて一番驚いたのは、「当日午前、キリギス・ギリシャでの地震予知研究から帰国」という点である。その件に関しては、「日本で学者たちと議論 その9」(2011年2月12日)で紹介した先生からのメールにもある通りになった、というわけである。

 「その4その5」をあわせて読んでいただければ分かるように、先生は10月4日の少し前に退院されたばかりである。さらに、11月15日には静脈瘤の手術を予定していると先生からのメールにある。その時にも私の驚きを書いているが、それをその通りに実行したということで、私は驚きを新たにした。おそらくは、飛行機を乗り継ぎ、実験の現場までは車で何時間も揺られることになるのだろう。信じがたいほどの強さである。私ならば、病後の身体をゆっくり静養してからにしよう、と思うところだろうが先生は違う。その情熱に頭の下がる思いがする。

 中央公論に出た上田氏の文章からも、地震予知にかける思いの強さが伝わってくる。もうほんの少し進めさえしたら、地震予知が可能になるかもしれないのに、ということなのだろう。

2013年2月11日 (月)

地震予知失敗は罪 その7

  「科学不信」の碑

 元旦に、島村英紀氏からメールが入り、つららの写真の年賀状が添付で付いていた。

 あ、そうだ。日本行きがあったりして、彼のサイトを長いこと覗いていないな。さっそくにホームページに入り、更新記録を開けたところ、「イタリアの地震予知裁判――他人事ではない日本の体質」というタイトルの記事が出ていた。1月2日とあるので、時差のためとはいえ、翌日の日付である。数時間前に出たばかりなのだろう。

 内容はラクイラ裁判のことである。この記事の中に引用された東京新聞の日付を見て、あれっ、と思った。10月23日とある。上田先生から送られてきた前掲のメールの日付けの2日前、ニュースになりたての新鮮な情報だったわけだ。ありがたいことである。

 ラクイラ裁判経過の紹介の後、「じつは、かって日本でもほとんど同じことが起きた」と、桜島噴火の話を書いている。大木聖子氏の記事の中にもある大正時代の噴火のことである。二人の地震学者が取り上げているからにはと、私もネットで調べてみた。

 1914年1月12日に桜島が爆発的噴火を起こし、流れ出た溶岩流はそれまで隔てられていた大隅半島との間の海峡を埋め、陸続きとした。数日前より続いていた噴火の予兆は島の住民を怯えさせ、避難する者も続出した。ところが東桜島村の村長は、鹿児島測候所(今の鹿児島気象台)に数回にわたって問い合わせたものの、噴火の恐れなしとの回答を得、むしろ島民の避難を思いとどまらせる側に回った。当時の火山学者らは、桜島を休火山とみなしていたようである。そのおかげで、村長の言葉を信じた百数十名の島民が犠牲者となった。

 そのことを悔いた村長は、後世への教訓となる碑を建てることを念願したが、果たさずに死ぬ。彼の志を継いだ次の村長が、10年後の1月に石碑を建立。碑文に「住民は理論を信頼せず、異変を認知する時は避難せよ」という内容の部分があることから、「科学不信の碑」と言われる。

 東日本大震災においては、気象庁による津波の高さの予測や堤防に対する過信から逃げ損なった例が数多く出たとも言われる。村長らの残した教訓は今も古びてはいない。

 島村氏は、ラクイラ事件や大正時代の桜島噴火に言及した後、東海地震の地震予知体制への危惧を次のように述べる。

[私は、この地震予知が可能かどうか、強く疑っているが、東海地方の約30ヶ所に埋められた体積歪計のデータで地震予知がなされることになっている。阪神淡路大震災が起きたあとも、また東日本大震災が起きたあとも、政府の公式見解は「東海地震だけは予知できる」というものだからである。 しかし、いったん「宣言」が出されてからすぐに東海地震が来なかったらどうするのか、その方針はまったく決まっていない。他方、宣言を取り消せる科学的な根拠や方程式はなにもない。そして新幹線や東名道路が止まり、静岡県などが孤立した状態は経済的にも人心にも打撃が大きく、それを何日も続けるわけにはいくまい。 こうして「判定会」の科学者の委員や気象庁の政府委員が、たとえ迷いながらでも、たとえ渋々でも、「安全宣言」を出す。しかしそのあとで東海地震が襲ってきたら、どうなるのか。イタリアとまったく同じことが起きるに違いないのである。]

 地震予知というのは、可能かどうかだけではなく、多くの問題をその周辺にはらんでいる。

 それにしても、二人の地震学者が揃いも揃って、なぜ「大森房吉と今村明恒」ではなく、「大正の桜島噴火」なのか? ラクイラの「安全宣言」への前例としてならば、前者の方がはるかに相応しい。大木氏が知らなかったということはあり得るだろうが、島村氏はご自分のホームページで扱っているのだから、知らなかったはずはない。日本地震学史における偉大な科学者に対する無意識の遠慮があったのかもしれない。

<追記> 島村英紀教授より以下のコメントをいただいた。「顔が似ている」という場合と同様、事件の場合にも、着眼点により差が出てくるものである。 

[上記の件、今村明恒と大森の件は、あえて長周新聞には書かなかったのは、今回のテーマは「国家(イタリアにせよ日本にせよ)の地震政策(あるいは火山政策)」ということに絞ったからです。なお、今村明恒と大森の葛藤は、国家政策ではなく、また、すでに http://www5.pf-x.net/~shima/kiyou-imamura.htm 書いていますので、重複させなかったこともあります。] 

2013年2月 4日 (月)

地震予知失敗は罪 その6

  隆起するか沈降するかのどちらかです 

 前回取り上げた私から地震研の若手のホープ、大木聖子氏への返信は更に続く。 

[いったい反撥による跳ね上がり論は、いつどのようにしてできたのだろう? と探っていきます。私の持っている竹内均著「続 地球の科学」(NHK ブックス、1970年刊)には、「大地震と大地震の間には、半島の先端部が根元の部分に対して沈降する。大地震の時には、これと反対の向きの急激な運動がおこる。すなわち半島の先端部が根元に対して、ピョンとはね上がるような動きをする」(p182)とあります。 

更に「このように特徴的な地殻変動が、いったいどうしておこるのであろうか。そのことは、長い間謎とされてきた。しかし最近になって、マントル対流論の立場から、つぎのような説明が提出された」(p184)とあることや、添えられているイラストがプリミティブなことなどからも、跳ね上がり論はその頃の誰かにより提唱されたのでしょう。その後40年以上もの間、太平洋プレートの沈み込みとその反撥を示すものだと信じられてきました。関東大震災時の湘南一帯と三浦半島や房総半島の隆起、南海大地震時の紀伊半島や室戸岬での隆起を説明するのに好都合であったからです。 

ところが今回、東北地方太平洋沖地震時には、隆起ではなく、沈降が起こった。地震学者たちはそれに対して、「分からない」と率直に認めるべきだったのです。ところが、「なぜ沈降したのかは謎である」とは言わずに、プレートテクトニクスの体系にそれを引き入れてしまいました。 

すると、跳ね上がりによる隆起という説明が既に存在しているために、「地震が起こると日本列島の太平洋沿岸部は、隆起するか、沈降するかのどちらかです」と言っているのと同じことになります。これは、「明日は雨になるか、晴になるかです」と予報官が言うみたいなもので、殆んどはずれはしないでしょうが、有用であるとは思えません。 

正断層についても同じです。正断層型の地震は起きない、という常識の崩れた点が問題なのです。そのことは金折裕司氏の出演したサイエンスZEROで初めて知りました。東日本大震災から1ヵ月後の、いわき地震以前には、ほとんど全てが逆断層型ばかりだったそうですね。こうなってみると、地殻変動は上下方向だけではなく、水平方向にも、どう動くのか決められない、ということになります。 

どうやら私の原稿においては、そうした背景に対し、言葉が足りなかったようです。ご指摘により、こうして補うことができ、感謝しております。 

私は小学校1年の時からクリスチャンの学校で育ち、小学校高学年時には、宗教による理由付けよりは、科学による説明を好むようになりました。ところがここへきて、天文学や地球物理学などの、反証性を要求されない分野において、宗教並みの理由付けが行われるようになり、憂慮しています。それについては、「地殻底のマグマ層 その7でも書いたことがあります。よろしかったら読んでみて下さい。 

要するに、新しい地震の起こるたびに、地震をプレートテクトニクス説の枠の中に押し込めて、新しい補正の理由付けに腐心するよりは、貴女の言う「分からない」という原点に立ち戻るべきだ、とあの原稿は主張している訳です。 

この後私も、地震は岩石の破壊だろうか? それとも雷のような何かだろうか? などと迷いながら思索していきます。「地震とは何か?」一緒に考えてみませんか?] 

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