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2013年1月

2013年1月28日 (月)

地震予知失敗は罪 その5

  何でも説明できる便利な道具

 以下に東大地震研の大木聖子氏への返信を載せる。

[大木聖子様
メールをありがとうございます。プレートテクトニクス説に対する立場は変われども、こうしてメールをいただけるだけで感激です。「上田先生より転送いただき、原稿を拝読」の冒頭の部分では大感激いたしました。プレートテクトニクス説の世界的な大御所に、反プレートテクトニクス説の原稿の転送をご依頼したわけですから、見方によったらずいぶんと失礼な話です。もしも貴女からのメールがなければ、上田先生からの転送という事実を知らないままなわけで、その意味からも深く感謝しております。

私は、「大陸は何故あるの?」というタイトルのブログを始めて約2年半になります。その間に貰ったコメントやトラックバックはほとんどゼロ。おそらくは最も読者数が少なく、反響もないブログ、ということで抜きん出ているのではないか、と開き直っております。

しかし、金森博雄、上田誠也、島村英紀らの諸先生方とメールを交換し、時にブログの題材を与えていただける者は、編集者でも記者でもないずぶの素人では、私の他に皆無でしょう。そして今、新進気鋭の地震学者である貴女と科学的な対話ができるということを嬉しく思います。

さて、本論に入ります。

「プレートテクトニクスで説明できていることを挙げてらっしゃるので」とありますが、まさに「説明できている」というそのこと自体が問題なのです。科学が万能ではなく、地震予知のような問題に関して「わからない」のであれば、地震学者らは何故あれほどにも明快に、地震発生機構を図入りで説明し切ってしまうのか? そうした説明を聞いた一般人からすれば、その説明が何故次の地震発生の予測に繋がらないのか、不思議でならないはずです。でなければ、証明抜きの「説明のためだけの説明」になってしまいます。

地殻の跳ね上がりについては、上田先生との議論の中でもしています。「日本で学者たちと議論 その7」(http://tairiku-q.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-2fc6.html)でしておりますので、そちらをお読みいただけたら、と願います。「地殻の反発はスカンジナビア半島の隆起におけるように緩やかなものであり、クシの歯をはじくような、急激なものであるはずはない」というのが私の反論の骨子です。

その上で、陸側のプレートの沈降の問題ですが、沈降を説明できるということにより、プレートテクトニクスの正しさを証明したことにはなりません。あなたの言い方で言えば、同値ではありません。プレートテクトニクス説は、何でも説明してしまえる便利な道具です。しかしそれにより、地震そのものを以前よりもっと理解できるようになったかと言えば、きわめて疑わしいと言わざるを得ません。毎回毎回新しい地震が起こる度に、毎回毎回驚きを新たにし、新しい解釈を付け加えるだけです。「そもそも地震とは何なのか?」という本質論はそっちのけになっています。]

2013年1月22日 (火)

地震予知失敗は罪 その4

  大木聖子氏よりメール

 クリスマス開けの12月26日、以下のようなメールが入り大喜びした。中でも最大の喜びは、上田誠也先生が、私ごとき者のために転送の労を取って下さっていた、という点である。前回までの下書きを書き終えた後、私は上田先生にメールを書き、下書きを添付でお送りした。その際、もしもお手数でなければ、大木氏にも転送していただけないだろうか? とお願いしてはあった。しかし、「反プレートテクトニクス説」色がありありと出ている私の原稿に対し、そのような労を取っていただけるだろうか、という疑念はぬぐえなかった。

[篠塚様
   Cc: 上田先生
上田先生よりご転送いただき,原稿を拝読いたしました.私のブログはその後,多少の修正をして,12月号の岩波『科学』に掲載されています.もし機会がございましたらご一読頂けたらと存じます.(内容はほとんど変わっていません.)

さまざまにお感じいただいたことはそのままに拝読いたしました.科学的に記述がおかしくなってしまうところのみコメントさせていただきます.

『その3  プレート説に責任はないのか?』について,内容は,プレートテクトニクスで説明できていることを挙げてらっしゃるので,タイトルと合致せず,読む人が読むと違和感を抱くと思いました.

たとえば2段落目ですが,プレート境界に近いところ(沖合)は反発して跳ね上がったのであれだけの巨大津波が発生いたしました.一方でプレート境界から離れた側(西側,つまり日本列島)では,プレート境界面で地震が起こったがゆえに沈降します.これは,プレートテクトニクスで説明が可能な事例そのものです.いわきの正断層も同様にプレートテクトニクスで説明できます.ですので,タイトルの問題提起と矛盾した段落になってしまっています.

現行のパラダイムはプレートテクトニクスで構わないと私は思っていますが,プレートテクトニクスでは説明できない現象も起きている,ということはふつうの地震学者なら誰でも理解しているので,提唱しても誰も反対しませんし,提唱できない雰囲気があるということはありません.
たとえばヒマラヤが今も隆起し,チベット高原が変形していることは,本当に剛体のプレートですべて説明できるならば,起こりえないことです.それが起こりえているので,プレートテクトニクスでは説明しきれない,ということは誰もが認めていますし,その上で,上手に説明できる部分が多いのと,宇宙からの測地でそれが観測事実として確認されたので,現行のパラダイムとしてさまざまな理解の道具に使われています.

「プレートテクトニクスで説明できない現象がある」ということと,「プレートテクトニクスが棄却されるべきだ」ということは同値ではありません.かつての大陸移動説が海洋底拡大説になり,今はプレートテクトニクスである.将来はそれすら内包したあたらしい説ができるでしょう.それは過去を否定するパラダイムシフトではないように思いますので,この回の記述にはやや違和感を抱きました.

上田先生や金森先生にはもっと別のご意見があるかと存じますが,勉強不足の私としましては,このことについて多くの議論を申し上げられるほどの立場にございませんので,ご放念くださって構いません.

大 木  聖 子 (Ph.D)]

2013年1月15日 (火)

地震予知失敗は罪 その3

   プレート説に責任はないのか? 

 大木聖子氏は、科学が万能ではないことをもっと強調し、地震予知のような問題に関しては、「わからない」とはっきり言うべきであった、と考えているようである。その考え方自体何も誤りではなく、大多数の科学者も賛同するであろう。しかしそれでは、地震の発生メカニズムを図によって巧妙に説明しているプレート・テクトニクス説に全く責任はないのか、ということになる。 

 プレート説の説明をまともに受け取った一般人は、その説がまだ仮説に過ぎず、科学者は地震のことを何も分かっているわけではないのだ、と新しい地震のたびに釈明されても、そう簡単には納得できない。いや、納得すべきではない。プレートの沈み込みによって引きずり込まれた反対側の陸地が反発して跳ね上がることで地震は起こる、と今までは説明してきた。ところが、今回の東北地方太平洋沖地震はその常識を打ち破った。三陸地方は隆起どころか沈降し、本来起こるべき逆断層型ではなく、正断層の地震が起きている。 

 科学者に「分からない」という謙虚な気持ちがあるのならば、プレート説そのものを根底から見直し、地震とは何なのか、原点に戻って問い直すべきなのである。科学者らはそれをせず、また新たな補正を付け加えるだけでしかない。 

 コペルニクス以前の天動説においては、惑星の奇妙な運行を説明するために、周転円―導円なるものを導入しなければならなかった。惑星の運行は、地球を中心点とする導円上を回転する周転円によって説明される。観測された惑星の振舞いと理論とのずれを説明するために、その理論体系は、次々と補正を付け加えなければならなかった。次第に複雑化する天動説の体系を根本から見直すことを提唱したのがコペルニクスであり、太陽を中心とする地動説であった。 

 しかしながら、「パラダイム」という概念を初めて世に送り出したことでも有名な科学史家トーマス・クーンによれば、コペルニクスの地動説は、当時の天動説以上にうまく観測事実を説明したわけではなかったという。新たな説明をくり返すうちにダブル・スタンダード、トリプル・スタンダードと、どんどん複雑になっていく天動説の体系に比べ、地動説は体系として単純であった。真理は、体系として単純であるはずなのだ。 

 日本や太平洋周辺での地震は、プレートによって引きずり込まれた反対側の陸地の跳ね返りで説明される。では、イタリアの地震はどのように説明されるのだろう? あのあたりでも、跳ね返りで説明できるような地質構造になっているのだろうか? さらに、プレートの境界からは遠く離れた中国や蒙古の地震など、一体どう説明するのだろう? 

 科学が万能に見えるのは、実験や実証、予測が可能な分野における進歩が目覚しかったからである。そうしたものが困難な地球科学の場合、同じ科学の一分野ではあっても、工学や技術、医療の分野とは別物である。そこでは、権威ある学者の思い付きが、ほとんど検証されることもなく受け入れられてきた。アーサー・ホームズのマントル対流論、ツゾー・ウィルソンのホット・スポット論などに対しては、もっと厳しい批判と検証、という試練が与えられなければならなかった。 

 プレート・テクトニクス説がパラダイムとしての地位を確立してしまった今、たとえプレート説に疑問を持っていたとしてすら、それを公言することはできない。一般人に向かって「分からない」と言える勇気と誠実さを持つ科学者はいても、学界の中での自分の地位を危うくしてまで、現代のパラダイムに逆らえる勇気を持つ学者がいるとは思えない。地球科学における〝コペルニクス〟が現れるのは、まだまだ何世代も先のことになるだろう。 

2013年1月 9日 (水)

地震予知失敗は罪 その2

  「溜まった歪みの解放」が問われるべき 

 ラクイラ事件に関する大木聖子(さとこ)氏(東京大学地震研究所助教、前広報アウトリーチ室室員)のコメントは、一般的な地震学者としては当然のものである。地震がいつどこで起こるのかを予知することは、現在の科学のレベルではできない。したがって科学者は、安全宣言を出そうとしている行政の片棒を担ぐべきではなかった。また、その行政を止められなかったからと言って、科学者まで同罪になるというのはおかしい、ということなのだろう。 

 しかしこういう事件というのは、理性的に追及するだけでは核心に迫れない。それは、「振り込め詐欺」の手口がこれほどに広く伝えられているのにもかかわらず、被害者が後を絶たない、という事実に似ていなくはない。冷静な第三者的な目で見ればおかしなことでも、渦中にある人間には分からなくなっているのだ。 

 関東大震災前における大森房吉の「安全宣言」は、ラクイラ事件と全く同様な状況の中で出された。大森といえば当時の地震学界の最高の権威である。大森式地震計の発明など、その業績は多岐にわたり、ノーベル賞候補にあげられるほどの世界的な地震学者だった。当時の地震学の力では地震を予知できないと、誰よりも知っていたはずである。理性的であるべきその大科学者にしてなお、今村明恒の説を論破しようとしてエスカレートし、決して言ってはならない「安全宣言」という逆の予知の罠にはまってしまった。 

 ラクイラの行政官や科学者にとっての〝今村明恒〟は、群発地震に乗じての無責任な予言であった。そうした類の予言はインターネット上でいくらでも見かけるので、当時のイタリアでも、数多くの予言や流言飛語が飛び交っていたと容易に推測できる。彼らは「振り込め詐欺」と違って、利得を目的として「安全宣言」を出したわけではない。原子力ムラの御用学者ほどの不純な動機もない。ただ、予言や流言飛語への対抗意識から、エスカレートしてしまっただけである。 

 しかし彼らの根底にあるのは、「地震は地下に溜まった歪みの解放」という地震学の常識である。なるほど大木氏は、数値を上げて「小さい地震によるエネルギーの解放」を論破しているが、そのような計算は、なまじある程度地震学の知識を持っている行政官などには通用しない。潜在的に「エネルギーの解放」は良いことだ、と思っているからである。それに、全てのエネルギーが解消される必要はない。群発地震がマグニチュードの大きな地震を軽減し無害なものにする、というぐらいでよい。事実、サンアンドレアス断層に水を注入して人工地震を起こし、大地震の発生をコントロールしようという考え方が、科学者の間で真面目に検討されていたこともある。 

 サンアンドレアス断層を掘削して、蓄積した歪みなどなかった、という観測結果もある。問われるべきは、「蓄積した歪みの解放」という地震学の常識の方である。 

 関東大震災や東南海地震を予測して当てた今村明恒も、地震が何故起こるのかを正確に把握していて当てたわけではない。過去の地震を調査研究して得た統計からの推定が、偶然にも当たったというに過ぎない。彼は「関東大震災によって地震を起こす勢力は消えてしまっているので、今後は大地震はない」と考えていたそうである。今も大多数の地震学者は、同様に考えがちである。巨大地震が起こり歪みが解放されたはずのインドネシアやチリで、更なる大地震が起こって彼らは困惑している。 

 関東大震災の翌年、東京直下を震源地とするかなりの地震が3回も発生した。東京に近い将来大地震の襲う恐れは全くない、と新聞記者に告げていた今村は困惑する。「無力感がかれの胸にしみ入ってきた」という言葉で、吉村昭の「関東大震災」は終わっている。 

2013年1月 3日 (木)

地震予知失敗は罪 その1

   「安全宣言」を出し続ける科学者たち 

 私がまだ日本に滞在中の20121025日、上田誠也教授から以下のようなメールが入った。 

[各位: 

地震研・大木聖子さんによるまとめです

http://raytheory.jp/2012/10/201210news_laquila/

 

私は地震屋でないので、地震予知そのものに対する姿勢には私とは少し異なる点はありそうですが、ラクイラ事件に関する限り、大木さんの記事が正解でしょう。ほぼ私が前から思っていた通りです。]

 

 大木聖子氏のサイトを開けてみると、ニュースなどで聞いていた印象とは大きく違っていた。地震予知に失敗したイタリアの地震学者らが市民から訴えられ、禁固6年の実刑を受けることになった、とニュースでは報道していた。そんな馬鹿な、地震予知をできる科学者など、世界中どこにもいないというのにおかしな話だ、と思った。

 

 大木氏の記事によれば、そういう記事に仕立て上げられたことに対しては、裁判で勝った市民たち自身もあきれ、憤慨しているという。確かに、犬が人を噛んだとしてもニュースにはならないが、人が犬を噛んだらニュースになる。頻繁に起こる群発地震で動揺する市民をおさめるために出した無責任な「安全宣言」がかえって被害を拡大した、というのでは小さな記事にしかならない。しかし「この群発地震が大地震につながるわけではない」という大災害委員会の声明を、「地震が起こらないことの予知」と捉え、「予知の失敗が……」とすると大きな記事になる。

 

 大木氏は現地に何回か赴き、ラクイラ市民や大災害委員会に出席した科学者たちに直接取材している。その結果として、行政には「安全宣言を出す」という結論が先にあり、それを強調するために科学者たちが利用された、という感触を得た。科学者たちは巻き添えになっただけなのに、行政の委員たちと同罪というのはおかしい。中には、委員でもなく震源データを持って行っただけ、会議の席に座っていただけの科学者までもが禁固6年の刑を言い渡されている。これでは、委員を引き受ける科学者が減り、ひいては、こういう研究分野そのものに優秀な人材が集まらなくなるのでは、と危惧(きぐ)している。

 

 日本でも、東電と保安院を議論の末にようやく説得した地震学者と地質学者が現在刑事告発されているそうである。となれば、地震学者らが禁固6年の実刑を受けるかもしれないというイタリアの裁判は、必ずしも遠い国の無縁な話ではない。

 

 「安全宣言」ということでは、大正時代の桜島大噴火の時にも似たようなことが起きているという。彼女は取り上げていないが、関東大震災時における大森房吉の「安全宣言」は、禁固6年どころか、彼自身の心痛による病死という結末をもたらした。私は彼の攻撃の対象だった今村明恒のこととして扱った(地殻底のマグマ層 その19)。そこでも書いたようにこの問題に関しては、吉村昭著「関東大震災」、あるいは島村英紀氏のサイトに詳しい。

  その他にも、噴火に対する住民の不安を鎮(しず)めようとして、日本の科学者たちは、雲仙普賢岳、伊東沖海底火山、三原山、三宅島などでも似たような失敗をくり返してきた(地殻底のマグマ層 その12その13)。英国の科学誌「ネイチャー」の日本駐在記者がそうした失敗を日本特有のものとして揶揄(やゆ)したことから、私はてっきり、一般の日本人がおとなし過ぎるから起こるのだ、とばかり思ってきた。そこで、今回のラクイラ事件を知り、日本だけではなくイタリアでも似たようなことが起こるのだ、という点で驚いた。ただし、向こうの市民の反応はさすがに激しい。日本では、阪神大震災後に地震学者らに対する批判が高まりはしたものの、一過性で終わってしまった。

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