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2012年12月22日 (土)

私の原点 その1

   中学校の同期会に出席 

 10月に日本に滞在中、中学校の同期会に出席した。通知を貰ったのは1ヶ月少し前、その時までに帰国後の大まかな日程は決まっていた。偶然に日にちが合ったというのが嬉しい。 

 渋谷のホテルの会場に10分近く遅れていくと、既に会は始まっていた。1学年で6クラス、約250人いた生徒の、1/3に当たる80数人が集まった。古希を過ぎての出席者にしては率がいい。先生方が3人もいたことは驚きだ。我々の担任だった女の先生が、その一人であるとは運がいい。逆算するとあの当時、大学を卒業されて間もなかったということになる。 

 同じクラスだった女性から「先生はあの頃、クラスの出来事をいろいろ記録されていらしたそうよ」という話を聞き、先生のテーブルに向かった。 

 「ええ、あなた方のクラスは、困った質問をするということで、職員室でも有名でした」 

 ああそうだったんだ。そう言われて思い出した。聖書の時間に質問したことがある。旧約聖書の故事、怪力のサムソンが柱を揺するシーンでは、カーテンをもろ手に抱え、ゆさゆさと身振り付きで説明するような先生だった。ある日、モーゼ(私はモーゼと教わった。近頃はモーセと言うみたいである)の十戒の話になった。 

 「なんじ父と母とを敬え。なんじ殺すなかれ。なんじ姦淫するなかれ。なんじ盗むな……」 

 「先生、姦淫ってどういう意味ですか?」私は質問した。 

 「かんいんとは……」と先生は答えかけて絶句した。教室のそこここから、くすくす笑いが聞こえた。その状況になって、鈍い私でも納得した。性教育のない当時の教室で、公然としてはならない話題だったんだ。 

 一般的に言って、キリスト教は性に厳しい。イエスは、情欲を持って女を見るものは、心の中で姦淫を犯したのと同じだ、と言っている。しかも、そのような目はえぐって捨てろ、とまで言っているから半端ではない(マタイ伝、5:24)。私が信者だったら、トンボほどの眼があっても間に合いそうにない。 

 モーゼの場合、「出エジプト」という民族の大移動中だったのだから、集団の秩序を壊しかねない行為に対し神が厳命を下した、というのは分からないでもない。しかし、男根をご神体とする大らかな宗教も多い中で、キリスト教の性に対する潔癖さは、異常とも思えるほどである。 

 神は、自分の姿に合わせて人間を創造した、とも言われる。ならば、神は何故、姦淫できる身体に人間を作ったのだろうか? もしもあの時聖書の先生が、絶句せずに答えてくれていたら、次に、そういう男女を何故神は作ったのですか? と質問してみるべきであった。あの当時ではまだ、そういう質問自体、思いつきもしなかっただろうが。 

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