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2012年11月

2012年11月28日 (水)

清張氏の、守られた約束 その56

  イオこそヤスーン落下直前の姿 

 地球大紀行の第一巻は、隕石孔の話から始まっている。月や水星の隕石孔から始まって、地球にある数々の、隕石によると思われる地形を訪ね歩いている。最近の天文学によれば、隕石、微惑星あるいは宇宙塵の衝突、そしてそれらの集積こそが、地球や惑星を形造ったのだ、と考えられているからだ。 

 私もその考え方に全く賛成である。太陽系の天体には、衝突の歴史が数多くの痕跡として刻まれている。ただたった一つ、科学者の説明に納得できない点がある。この本にも、NASAにおける隕石の衝突実験の話が出てくるが、それらは全て固体である、という暗黙の前提に基づいている。 

 衝突する天体は全て固体でなければならない、という固定観念を捨てさえしたら、新しい世界が開ける。科学においては、あらゆる可能性を検証することが必要だと言う。例えば、大金を投じてUFOの研究すら行われている。それにもかかわらず衝突実験において、何故その同じ論理が適用されないのか? 

 私がヤスーンのアイデアを得た当時、我々人類の知る小さな天体はすべて個体であった。ところが1979年になり、惑星探査機ボイジャー号から送られてきた写真により、活火山だらけのイオという、木星の衛星の存在が知られるようになった。これこそは、私がアイデアを得て以来思い描いていた、ヤスーン落下直前の姿である。まるで、全体が溶岩の丸い塊、であるかのように思える。つまり液体の塊、なのである。 

 このイオが、激しい噴火を開始する以前の姿を想像してみると、薄い殻に覆われた、生卵状になっていたと思われる。 

 では、生卵を地面に叩きつけたらどのような形が出来るか? うどん粉の塊を空中分解させてから、地面に落下させたらどうか? 現在の大陸の地形と似たような形を、作り出せるかもしれない。私が提唱するのは、このような実験である。 

 人は固定観念に囚われ、そこから一歩外へ踏み出すことはなかなか出来ない。衝突する天体は固体である、というのもそうした固定観念の一つだが、地上にある隆起した地形は全て火山起源である、というのも固定観念であるかもしれない。 

 火山が最初からある、という環境に生まれ育った人類は、火山は、地中のマグマが噴出してできるものだ、と決め込んでしまう。しかし、宇宙塵や隕石などの集積の結果として、惑星や衛星が出来たのだ、と考えられるようになってくると、それらの地表にある山は、外部から落下、つまり衝突してできたものなのだと考えた方が、全体との整合性が高い。 

 私は、火星のオリンポス山その他の火山も外因性のものだと考えているが、もっと著しい例は、金星のパンケーキ型火山群である。金星には、パンケーキやお好み焼きを鉄板の上にたらしたような、丸い円盤状の地形がある。それらは粘性の高い溶岩が地中から噴出して出来たのだ、と考えられているが、今まで述べてきた理由により、それらは、ヤスーンのような溶岩状の塊の落下による、と考えるべきなのである。 

 地球において高い山のあるところは、アイソスタシーと呼ばれる平衡状態にある。ヒマラヤ山脈で山体の重力を計測していた時、まるで山が空洞で出来ているかのような数値が出てきたので驚いた、といわれる。それ以降、各地の山脈で調べられたが、どこでも似たような結果が得られた。その結果、丁度氷が水に浮いているように、より軽い岩石が山脈の下深くに根を張っているため、全体としては重力的に釣り合っているのだ、と考えられるようになった。 

 ところが金星における火山群は、アイソスタシー状態にはない。重力的に見た場合、もともとの球体の上に付け加えた状態になっているのだ。その事実は、金星においても、溶岩状の天体の落下によってそれらのパンケーキ状の山ができた、という私の考えを支持する。 

 火星においても、そのような重力測定が行なわれたとすれば、アイソスタシー状態になってはいない、と私は考えている。

 

2012年11月22日 (木)

清張氏の、守られた約束 その55

   現代のドンキホーテに徹する 

 三ヵ月後に再び手紙を出した。

[松本清張先生 

 お変わりございませんでしょうか? 

 前にも書きました通りのろまなもので、先生に頂いた「地球大紀行」全六巻、やっと読み終わりました。多作の先生は、読むのもまた非常に早い、と推察致します。あの程度の本に3ヶ月もかかった、と聞いては、私の超遅読ぶりに、あきれ返られるのではないかとおそれます。 

 地球物理関係については当然ながら、大筋において知っていることばかりなわけですが、それでも、話のもっていき方、細部における新事実などが実に興味深く、楽しく読み終わりました。叉、熱帯雨林を失くしたら、温帯が砂漠化するとか、先進国の工業汚染が、遠く離れた太平洋の楽園や極地をも汚しているとか、今や物事を、グローバルに見ていかなければならないのだ、というこのシリーズのメッセージそのものに対しては、私も大賛成です。この問題については、水飢饉に関連して、サンフランシスコの邦字紙に持っている私のコラムで、扱ってみたいと考えています。 

 地球と宇宙の問題に関しては、現在小論文の形でまとめ直しています。もう十回以上も、このような作業を繰り返してきましたが、今度こそはうまく書けそうです。昨年11月で、「ヤスーン」の説を思いついてから丁度20年になります。ここまできたら、現代におけるドン・キホーテに徹するつもりです。 

 誠に厚かましい、大胆なお願いがあります。お気に障りましても、風車に突撃するドン・キホーテにも似た、向こう見ずの言葉とお聞き流し下さい。 

 お手紙には、今も尚あの小説を本にする予定とかありましたが、そうだとすれば、

1)白川保雄の言葉の部分を、私に書きかえさせていただけないでしょうか。 

2)大陸移動の図だけでなく、もっと多くの図を入れていただけないでしょうか。 

3)白川保雄の説をY-Sではなく、「ヤスーン」にしていただきたいのですが……。最初に命名する時「ヤスー」にするか「ヤスーン」にするか、ずいぶん迷ったのですが、簡単なものほど憶えてもらい易いだろうと考え、あの本の段階では「ヤスー」を採りました。「篠塚」を「篠」にしたのと同じ理由です。しかしヤスーンには、YASUOMOONの合成語という意味もあったわけですから、最初からそれに固執すべきでした。 

「地球大紀行」本当にありがとうございました。おかげで、ずいぶん励みになっています。又、NHKのこのシリーズの出現で、日本人の、地球そのものに対する関心も、ずいぶん高まったと思います。今年アメリカで駄目ならば、来年もう一度日本に働きかけるかも知れません。先生からの「七転び八起き」の言葉を大事にして、頑張るつもりでいます。

 1988年4月15日]

 

2012年11月16日 (金)

清張氏の、守られた約束 その54

   ヤスーンへの御執念に敬服 

 料亭でご馳走になった年から、清張氏に歳暮を贈るようにした。たいした金額のものではない。ただ、無名無力で苦しんでいる私を助けるために、編集者達からの多くの反対にもかかわらず、小説化していただいたことに感謝の意を示したい、と考えたからである。海産物だったり、カリフォルニアの果物だったりした。後で、コーヒーがお好きだったと知り、それだったら簡単だったのにな、と思った。贈答品を扱う会社に注文するので、どういう品質のものが送られるか、自分達には分からない。メロンが甘くなかったと、日本の友人から率直な報告を知らされたりもした。 

 ある年、サンフランシスコ名物でもあるダンジネス・クラブ(毛のない毛ガニのようなカニ)を送った時、清張氏からお礼の手紙を貰った。

[明けましておめでとう。本年もよろしくお願いします。 

 去年は好物のものを御恵送いただき有難う。御礼状を出しそびれて申訳ありません。御許し下さい。 

 昨年暮の御手紙拝見、相変わらず「ヤスーン」への御執念、敬服のほかはありません。 

「文芸春秋」の「南半球の倒三角」は、もう一つ短篇が書けないために本が出来ず、お待たせしています。 

 NHKが六回にわたり「地球大紀行」と題した四六億年前の地球の誕生から氷河時代、ヒマラヤ山脈の造山運動、砂漠の拡大といったテーマで現地遺跡とイラストで構成しています。全巻を揃いでお送りしましたから御参考までにお読み願えたらと思います。 

 あなたの新発想による展開を期待しています。

 一九八八年一月八日

                                                              松本清張

 篠塚ヤスオ様]

 

 この手紙に対して、私は次の様な返事を書いている。

[松本清張先生

 お手紙本当にありがとうございます。妻と二人で飛び上がって大喜びしました。 

 あの「南半球の倒三角」が、私への好意であるのが分かるだけに、そして二度もご馳走になり、素晴しい色紙まで頂戴し、何とか感謝の気持ちを表わせないものか、と常々考えておりました。それで、せめて年に一度位は何かを送らせていただきたい、というだけのことでしたが、当地のカニが気に入っていただけて何よりです。歳暮の時期とあっては、全国のファンからの贈物で、むしろ処分に困る位ではないか、と推察致します。お礼状を頂けるだけで光栄です。地球大紀行全巻を送って頂けるなど……。何とお礼申し上げればよいのか、言葉に窮します。私はこの上ない果報者です。 

「執念に敬服」とありましたが、私の場合はのろまで、時間ばかりかかってしまうだけのことで、お褒めいただくと、気恥ずかしい思いが致します。ただ、故意に時間をかけている意味はあります。アイデアを得てから丁度20年が経ちました。もしも「風雪断碑」の主人公のように、ガリガリやったとすれば、あるいはもっと早目に形になったかも知れません。しかしそれだけ反発も強く、世間から変人、狂人扱いされる危険性も強まります。(もっとも今は、私自身もっと変人に徹すべきだと考え直しています。)それに、木村卓治や大陸移動説のウェーゲナーのような、失意の人生を送るぐらいならば、「どうせ生きているうちに認められることはあり得ない」と最初からあきらめ、気長にやった方がよい、と考えます。 

 ところで、あのウェーゲナーの人生は、推理小説の題材にならないものでしょうか? 50才の誕生日に犬ぞりに乗って、単身グリーンランドの氷の世界に探検を挑み、そのまま帰って来なかったといわれます。偶然にしては出来過ぎています。自殺と言えないまでも、失意による投げやりさがあった、とは言えるでしょう。今でこそ、学者の多くは、彼のことを偉人として崇め奉っていますが、その彼らが当時に生きていたとしたら、ウェーゲナーのことを、こき下ろす側にまわったのは間違いありません。学界に何度働きかけても駄目、3版4版と改訂版を出しても駄目。努めて明るく振舞いながら旅立ったであろう、その最後の探検行の彼の胸中が、私にもいくぶんは、分かるような気が致します。 

 私は何につけてものろまなので、御手紙に対する礼状を書きかけてもたもたしている間に、「地球大紀行」全六巻、昨日届きました。船便で、一ヶ月先だろうから、その時にもう一度礼状を、と高をくくっておりましたが、エアーメイルとは。重ね重ね驚いています。こんな高価なものを……。エビでタイならぬ、カニで本を釣ってしまったようで申し訳なく思います。ありがとうございました。また読み終わりましたら、手紙を書かせていただきます。

  1988年1月17日]

 

2012年11月10日 (土)

清張氏の、守られた約束 その53

   ヤスーンの大きさを計算して出す 

 この問題にきちんと答えられなかったことは、後々まで気になった。何年も経ってから、他の調べものをするために町の図書館に行った時、たまたま、大きな地図帳を開いてみる気になった。あの時の質問を思い出し、各大陸の面積を合計してみよう、と思った。 

 その段階になって、いちいちの大陸の大きさにこだわる必要がないことに気がついた。ヤスーンが落下して作ったのは、現在の地殻の部分である。とすれば、地殻の平均の厚さを仮定して計算するだけで、ヤスーンの大きさが簡単に出てくる。 

 よく言われる例えだが、地球はゆで卵のようである。黄身にあたる部分はコア、もしくは核と呼ばれ、鉄やニッケルでできていると考えられている。白身の部分はマントルと呼ばれ、一応固体ではあるが流体のようにも振舞い、対流もおこなわれていると、現在の学説からは考えられている。 

 卵の殻にあたる部分は地殻、と呼ばれ、ここだけは凸凹している。海底の地殻は平均的に約5キロ、大陸の部分はずっと厚く、平均すると35キロぐらいである。 

 というわけで、地殻の平均的な厚さは10キロ、あるいは20キロと仮定すればよい。球の体積は4/3πで求められるが、4/3πの部分は途中で消えるので、そう難しい計算ではない。地球の地殻を10キロと仮定すれば、ヤスーンの半径は1068キロ、20キロと仮定すれば1345キロということになり、現在の月の半径1740キロからすれば、丁度ころあいの大きさだったことになる。 

 その時の地理学の授業には後日談がある。 

 後で娘に聞いたところ、私の仮説について、簡単なテストもあったらしい。日本でなら、学習指導要領によって、年間に教える内容が大まかに決められているので、よもや私のような、外部の素人の仮説を、教室で紹介することなどあり得ないだろう。ましてや、その授業に基づいて、小テストまで行なったとすれば、父兄から苦情が出るに違いない。アメリカの授業はおおらかなものだ、と思った。それ以降全く声がかからないところをみると、先生自身がちょっと興味を持ち、聞いてみたかった、というだけのことかもしれない。 

 それにしても、先生が興味を持つように、うまく説得したものである。私のその娘は、幼い頃から現実主義者であった。広い原野を走っている最中に牛の群れを見つけると、「カウ、カウ」といって大騒ぎする。幼児のあどけなさだと微笑ましく思っていたが、後年、牛そのものに興味があったからではなく、ミルクを出すものとしての牛に興味があったからだと知り、唖然とした。 

 地理学の先生に私の仮説を語ったのも、そうすると成績が上がるかもしれない、と考えてのことらしい。ただし、実際の成績の方は、彼女の思惑通りにはいかなかったようである。

 

2012年11月 4日 (日)

清張氏の、守られた約束 その52

   アメリカの中学で仮説を説明 

 清張氏は、手紙でも口頭でも、本にするときには小説の中の間違いを直す、と何度も繰り返した。流行作家にとって、新聞や雑誌に書く小説は下書きに過ぎないのだと、清張氏と出会う以前、考えたこともなかった。単行本として出版されて、本当の意味で作品は完成される、ということなのだろう。確かに読む側からしても、新聞や雑誌の連載小説は、読み捨てにしていることが多い。前回と話が違う、などといちいち気にする読者もめったにいないのだろう。日本だけの慣習だろうか、面白いシステムである。 

 再び待ちの日々が始まった。しかしもう今回は、いらいらすることもなかった。期待がなかったからでもある。小説が出たことによる反響は全くなかった。それは、あの小説の中の誤りのせい、とも思えなかった。もっと根本的なものなのである。清張氏への礼状に書いたように、数多くの人たちに会った結果、日本に、あるいはこの時代に、私のような異説を受け入れる土壌はない、と私は悟った。 

 仮に、誤りが全て正された単行本が出版されたとして、それで新たな反響が生まれるだろうか? そんな訳はない、と私は思うようになった。世の中の仕組みを悟ったと言うべきか、諦観したと言うべきか、これもまた成長の一種なのであろう。 

 それだけではない。あの小説に手をつけることは不可能だ、と思い込んでもいた。 

 というわけで、アメリカに戻ってからの私は、次の段階へと進むことにした。次は、アメリカ社会に向けて働きかけることである。 

 そんな私に、渡りに船、の話が持ち込まれた。当時14歳だった下の娘からである。学制上は高校だが、年齢的に日本で言えば、まだ中学生でしかない。日本から戻ってまだ1年も経たないある日のこと、地理の授業に出て大陸の起源についての私の仮説を説明してほしい、という教師からの伝言を私に伝えた。 

 自説を英文で説明するのに自信はなかったが、断る理由もなかった。何日かかけて、やっと原稿を書き上げた。 

 25~30人程度でいっぱいの小さな教室だった。私は、原稿を先生に読んでもらうことにした。私の訛りのある英語では、通じない可能性の方が強かったからだ。清張氏に送ったのと同型の地球儀を持ち込み、まだ幼さの残る生徒たちにそれを示し、先生の朗読の進行に合わせて、あちこち違う個所を示した。 

 丁度先生の朗読の終わる頃、廊下の方が騒がしくなってきた。早めに終わったクラスの生徒達が出てきたようである。それにかまわず私のいた教室では、先生が質問を促し、生徒の何人かがそれに応えた。印象に残ったのは、

「ヤスーンの大きさはどのぐらいだったのですか?」

 というものだった。

「それについて計算したわけではありませんが、現在の月よりは小さかった、と想定しています」

 と答えた。

 

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