« 2012年8月 | トップページ | 2012年10月 »

2012年9月

2012年9月29日 (土)

清張氏の、守られた約束 その46

   海溝に堆積物がたまってない 

 例えば、海溝の堆積物の問題がある。もしも海溝が対流の沈み込み口であるとするならば、プレートの上に乗っている堆積物はそこでどうなるのか? 沈み込むことができずに、堆積層として、そこに厚く溜まっていかなければならない。エスカレーターの上のごみが、その末端部で、積み重なっていくような具合にである。ところが実際の海溝に堆積物は殆んどなく、岩石がむき出しになっていたりする、とベローソフは反論する。 

 こうした反論に対してプレート・テクトニクス支持派は、いや、海溝の陸側の斜面に実際に溜まっている、とか、時々乱泥流が起こり、海溝は後で埋められる、とか説明したりする。 

 このような議論は古めかしいもので、今では一般的でないかもしれない。しかし、海溝と堆積物との問題は、造山運動との関連において、未だに解決されているわけではない。 

 ヒマラヤでもアルプスでも、世界中の殆んどの山脈は、かって海底にあった。それらの高山の山腹から、海洋生物の化石が発掘されたりもするし、斜めになった堆積層が、肉眼で見えもする。例えばヒマラヤには、イエロー・バンドという有名な堆積層があり、その目覚しい写真が、科学雑誌で紹介されていたりする。そうした堆積層は、水中で堆積したときには、水平の層状になっていたはずである。 

 そのようなものとして厚さを測ると、堆積層の厚さは10キロメートルを越える。アメリカ東部にあるアパラチア山脈は、昔からよく調べられていて、そこでは12キロの、浅海性の堆積物が溜まっている。 

 つまり大陸の周りには、陸地からの土砂を溜め込む地帯があり、やがて一杯になった後で隆起し、山脈になった、ということになる。現在陸上の最も高い地帯が、かっては全て海底にあった、というだけでも不思議なことだが、少しづつ堆積物を溜め込んで沈降し続けていたものが、反転して隆起し、威風堂々の山脈になったとは、信じがたいほどの不可思議である。 

 その問題をプレート・テクトニクスでは、大陸同士が衝突したとか、様々に説明してはいるのだが、決して納得のいくものではない。10キロもの堆積物を溜め込みながら、しかもその速度に合わせて徐々に沈降するメカニズムが分からない。そして何よりも、何故反転して隆起し始めたのか、はもっと分からない。 

 現代の学説からは、海溝こそが堆積物を溜め込んでいる地帯だ、と考えられている。だいたい10キロの深さがあり、山脈の堆積層の厚さとほぼ同じだからである。ところがそれは単に、数値の上での一致に過ぎない。海溝は、ベローソフの指摘通り、堆積物の溜まっている場所ではないし、溜まり方も、山脈の堆積層を説明するものではない。 

 山脈の堆積層は、上から下まで浅海性のものなのである。それに対し、海溝は深海にある。乱泥流という海の中のなだれがあり、浅海で積もった化石類を深海に運ぶことはあっても、それはあくまでも局所的、限定的なものでしかない。アパラチア山脈における浅海性の証拠の中には、穏やかな入り江における波の跡とかも含まれている。もしも乱泥流があったとすると、そのような痕跡は、消滅してしまっているはずである。 

 このようにして考えていくと、現在の海溝が将来の山脈になる場所である、とは到底考えられない。表面から見た場合、浅海性の堆積物が溜まっている普通の海底こそが、将来の山脈になる候補地のはずである。多分、メキシコ湾とか地中海などが、そうした場所であるだろう。日本海もそうであるかもしれない、と私は考えている。

 

2012年9月24日 (月)

清張氏の、守られた約束 その45

 第4章 清張氏の文章に手入れ

  上田教授から送られた新説の記事

  清張氏への礼状を書いて出すか出さないかの頃、上田誠也氏から手紙が届いた。秘書が宛名のレッテルを作ったらしく、私の名前の前に、Mr. ではなくDr. と付いていた。教授の秘書ともなると、手紙を送る相手はドクターのことが多く、私のことも間違えたのだろう、と思っていたが、どうもそういうことではないようである。後に、アメリカの大学などからの手紙でも、Dr. となっていることがあり、これは、こういう社会における習慣なのかもしれない、と思うようになった。ドクターをミスターとしたら失礼でも、その逆で怒る人はいないから、という理由によるのだろう。 

 中には、毎日新聞1984年4月14日号のコピイが入っていた。「月の起源は〝惑星〟だった」「地球重力圏に捕獲」「原始大気がブレーキ役」の3つの大見出しが付き、一面トップで大々的に扱われていた。林忠四郎京大名誉教授(天体物理学)と中沢清東大理学部助教授(惑星科学)とがコンピューターを駆使してまとめた新説である。更に三面には解説まで付いている。 

 この扱いの大きさには驚いた。科学の新説が一面トップで扱われたのを、他で見た記憶がない。この記事を書いたのは、毎日新聞科学部長・論説委員の横山裕道氏であった。この記事に対して私が手紙を出したことから、何通かの手紙が交わされ、後に日本へ行ったとき、新聞社に彼を訪ねた。社の近くの居酒屋で、昼食をご馳走してくれた。 

 彼も、カリフォルニア工科大学の金森博雄氏を訪ね、パサデナに行ったことがある、と話していた。「先生のあの車、私も乗せていただきましたよ」などという共通の話題で盛り上がった。東大地震研究所に移籍した金森氏の教え子、ロバート・ゲラー氏がどういう経緯で日本に来たのかも聞いた。私は異端者ながら、日本の地震学という業界のかなり近くにいるのかもしれない、と思った。 

 さらに後年、阪神大震災の後、彼が書いた「次の大地震大研究」(光人社刊、1995年)という本を贈られもした。示唆に富む非常に良い本で、今でも参照している。 

 記事の扱いの大きさ以上に驚いたのは、この記事のコピイを送るようにと手配してくれた、上田誠也氏の心の温かさである。日本滞在中、私は東大地震研究所を訪れ、上田氏と会って話し合うことができた。私の説に対しては、

「我々は、今プレート・テクトニクスという新しい説を得たばかりです。あなたの指摘する通り、確かに矛盾も多いのですが、まだまだ改良の余地があると思っています。この道をもっと進めてみて、にっちもさっちもいかなくなった時、あなたの説を検討することになるでしょう」

 と言っていた。うまい断り方だな、とは思ったものの、悪い気もしなかった。上田氏は、大陸移動説の復活を日本に初めて紹介した学者である。ターニング・ポイントともいうべき時期に、たまたま英国に留学していたため、その時代に主導的役割を果した地磁気の研究者たちの熱気を、まさに、肌で感じることができた。大陸移動説を知った時にはぞくぞくするほど興奮した、とも本の中で述懐している。 

 大陸移動説の復活後、それは海洋底拡大説となり、やがて、プレート・テクトニクス説へと発展する。上田氏はそうした分野においても、世界的な権威である。前にちょっと引用した「プレート・テクトニクス」という本は、専門の研究者向けで難しくはあるが、同説の全般を網羅した好著である。 

 しかしまた、大陸移動説の復活を初めて紹介した者として、説に対する反対も欠陥も充分承知していた。岩波新書の「新しい地球観」(1971年刊)は、色々な本で言及される名著である。英語他各国語に翻訳され、世界的になりもした。その最終章では、説に対する反対も扱われている。 

[破竹の勢いで進んできた新しい考えにも、多くの基本的な問題が残されている。第一近似的には正しいと見えた仮説も、よく調べてみると難点に満ちているということはしばしば起こることだが、我が海洋底拡大説やプレート・テクトニクスにとっても、そのような第二次的段階が見舞ってきたのかもしれない。] 

 ということで、ソ連科学アカデミー地球物理学主任のベローソフの反論などを紹介している。

 

2012年9月15日 (土)

原発問題を考える その44

  首都圏3000万人の避難 

 「サイエンスZERO 取り出せるか使用済み燃料」の番組の中で、水野倫之解説員が「4号機の使用済み燃料用プールの水がからになった場合、政府は当初首都圏3000万人の避難を検討していた」と言っていた。その言葉を聞いた時私はとっさに、その場合の同心円を想像した。その円は日本海にまで達するはずだから、交通機関も全て分断され、東北や北海道は離島になってしまう。 

 うかつなことに、この段階になって初めて、日本がどれだけ危険な状態にあるのかのイメージが、私の頭の中で形作られた。今までにも、小出裕章氏を初めとして数多くの人が、4号機の崩壊と日本の終焉とを結び付けている動画を見てきた。自分で書いてもいる(その2526)ので、知識としては充分承知しているはずだ。ところがそれは言葉の上だけの理解でしかなかったと思う。福島から首都圏にかけての一円が高放射能値により避難指定区域になる、という具体的なイメージの方が、はるかに個々の生活者の苦悩を映し出し、私の心に迫ってくる。 

 3000万人の避難って、一体彼らはどこへ行ったらいいのだろうか? 小松左京の小説「日本沈没」では、世界各国に受け入れてもらうことになるのだが、災害に同情して受け入れてくれるのは最初のうちだけである。やがて、各国で摩擦を起こして厄介者扱いされ、迫害を受けるのは目に見えている。さもなければ、現地人が暮らしたがらない環境劣悪の地の開拓者となるのか、あるいは、必ずや放射線症におかされるのを覚悟の上で、放射能汚染地帯で生活し続けるのか。どっちにしても大変な生活が予測される。 

 電力が足りないことによる不便さや経済の落ち込みを懸念し、それらを主にする者たちには、そのイメージが頭の中にでき上がってないのかもしれない。「4号機が崩壊したら日本は終わりだ」と言っても、冒頭で書いた私と同じで、言葉だけが知識として入ってきて、心に定着しないのかもしれない。もしかするとそれは、〝想像力欠乏症〟とでも呼ぶべき状態なのかもしれない。 

 特に今の首相や関西の財界人たちは鈍い。「ドジョウの面に水」という新しい格言を提案したいぐらいだ。その鈍さは、「再稼動」という言葉が民衆の間で一般的に使われているのにもかかわらず、「再起動」という言葉で押し通していた一事からしても推し量れる。もともと就任時からして、記者会見などで国民に向けて語りかけることは避け、外国に行って本音を話していた。松下幸之助氏は日本全体の将来のためにではなく、財界の代弁者を生み出そうとして塾を立ち上げたのであろうか? 

 今は、原発再稼動だの、原発比率などといっている場合ではない。4号機をどのようにすべきか、使用済み燃料の処置をどうすべきか、の問題に絞って広く意見とアイデアを求めるべきである。もともと4号機は運転休止中だった。それにもかかわらずそこが日本の存続を脅かすほどの危険性をはらんでいたということは、本来は「再稼動」そのものが問題なのではない。それは言うに及ばず、「使用済み燃料は日本全国でいったい何本あるのか?」「そしてそれらは、各原発の敷地内でどのように保管されているのか?」を知ることこそが、いま現在における最も差し迫った問題であるはずなのである。 

 

2012年9月 8日 (土)

原発問題を考える その43

   福島第一最大の不安は4号機 

 当地で8月11日放送の「サイエンスZERO 取り出せるのか?4号機 使用済み燃料」(日本では8月5日夜11時半放送)を見て考えさせられた。 

 趣旨としては、ドイツZDFテレビの「フクシマの嘘」に出てくる会社社長の言葉(その25)や、小出裕章氏の説明(その25)や予想図(その26)と全く同じである。彼らが口を揃えて言うように、今一番危険な状態にあるのは、福島第一原発の4号機なのだ。そのことをサイエンスZEROでは、映像によって丁寧に説明していく。 

 最大の危険性は、1300本もの使用済み燃料が建屋の4階のプールの中で保管されている、という点に起因する。おそらくは、クレーンで原子炉内から引っ張り出して保管するのに、プールが近いと効率的であり、都合がいいと考えられたからだろう。冷却用の海水を汲み上げやすくするために、原発の敷地自体も35mから10mにまで削っている(その24)。建設時からすべて、効率重点主義の設計をしてきたのだろう。 

 5階部分は吹き飛んでしまったため、4階のプールは雨ざらし、テントで覆っているだけである。茨城、栃木両県を襲った竜巻が直撃でもしたら大変なことになる、と竜巻のニュースの時に思った(その30)が、テントでカバーしてあるだけの映像を見ると、その不安はいっそう現実味を増す。 

 前述の社長は、建物の崩壊の危険性を一番に恐れていた。5階に使用前の燃料や重い機械類があるというのだ。しかし映像を見る限り、既に5階部分はがらんどうで何もない。恐ろしいのは建物そのものの強度である。一応コンピュータによるシュミレーションが行われ、M7.9 の地震の揺れにも耐えられると検証された。 

 ところが、壁には爆発の影響で膨らんでいる箇所もあり、コンクリート内部の強度が落ちている可能性もある。番組では、壁に穴をあけて内部の強度を検査する器械も使われていた。多分その結果はOKだったのだろう。OKでなかったならば、NHKで放送されることはないと思う。しかし、たわんだコンクリートの内部には小さなひびが入っている可能性がある。それらが時間の経過とともに大きくなり、壁や床をもろくしていくかもしれない、と考えるとしたら心配性すぎるであろうか? 

 燃料棒の取り出しを開始するのは、専用のクレーンのできる約1年半後と見積もられている。それまで、建屋の壁や床は保ってくれるのだろうか? しかも、クレーンが無事に出来上がったとしても、全ての使用済み燃料棒が取り出されるまでには更に数年がかかる。番組では、使用前燃料棒を取り出す作業が映し出されていた。使用前燃料棒は放射能を出さないため、作業員が触ってもいた。そのような良好な条件であってすら、1本取り出すのに丸1日がかかった。1300本の使用済み燃料を取り出すのに、仮にそれと同じ時間がかかったとして3年半はかかる。プールの中の瓦礫を避けながら、燃料棒を破損しないようにという細心の注意を払った上での作業では、いったい5年かかるのか10年かかるのか、見当もつかない。 

 それまでの期間、建屋が崩壊しない、あるいはプールから水が漏れない、と考えるのは奇跡を望むに近い。両側が切り立った崖の上を歩く登山家のような緊張を、日本国民はその期間ずっと迫られ続けるということでもある。

 

« 2012年8月 | トップページ | 2012年10月 »