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2012年6月

2012年6月24日 (日)

原発問題を考える その32

   原発を支持する者はどうせ見ない 

 前々回、前回に触れた「サイエンスZERO 冷温停止状態 浮かび上がる課題」は、数多くの人たちに見てほしい番組である。私は録画できたが、他の人はどうしたら見れるだろう、とインターネットで調べてみた。「冷温停止状態」で検索したところ、次の動画サイトが見つかった。

 20120513 冷温停止状態 浮かび上がる課題 by PMG5 

 しかし考えてみれば、このように地味な科学教養番組を誰が見るだろうか? もともと原発に賛成で、再稼動も早くやれ、と思っている者は、最初から見ようとはしない。また仮に見たとしても、興味がないから理解しようとはしない。 

 それに、慣れが怖い。今は放射能が怖いと思っている者でも、反対意見を何度も聞かされているうちに、「もうそういう話は聞きたくない」となってくる。多くの者は現在の便利さを失いたくはない、電気のない生活は考えられないと思っていることであろう。そして将来の不安に対しては、しだいに麻痺していく。 

 こうしてネットを探しているうちに、興味深い動画を見つけた。 

20120514 国際共同制作ドキュメンタリー インサイドフクシマ by PMG5 

 ドイツZDFテレビの「フクシマの嘘」に比べるとかなり押さえた作りだが、証言と映像によって、3月11日以降10日ほどの出来事を非常にうまくまとめている。制御室の内部、作業員たちが建屋に入っていく様、建屋の水素爆発シーンの鮮明さ、決死の覚悟をする自衛隊員、東京消防庁の作業シーンなどは迫力があった。 

 特筆すべきは、「フクシマの嘘」と同様、菅前首相とのインタビュー部分である。あの頃から吹き荒れた「菅降ろし」の嵐に慣れている日本人の多くにとって、彼の多用は意外なのではないかと思う。彼の説明を聞いても、自己弁護している、とぐらいにしか取れないのではないだろうか? 

 我が家にたまたま残っている雑誌を読み返してみて、当時の日本の菅氏に対する風当たりの強さは、えーっ、これほどまでに、と改めて驚くほどのものである。あの時代の流れを肌で感じていない者には、しょせん理解不能であるのかもしれない。ただ、そうした攻撃を1年後の目でまとめて読んでみると、彼の責任でないものまで負わされているし、感情的なものが多い。 

 そうした先入観を持たない外国のメディアの方が、むしろ全体の中で客観的に物事を見、正当に評価しようとしていたと言うべきかも知れない。彼らは、インタビューの相手に菅前首相を選んだだけではなく、何回も何回も登場させて彼に語らせている。もしも彼の言葉が作り物であり、自己弁護に過ぎないと外国メディアが判断したとすれば、そうした部分は編集の段階で削り落としてしまったはずである。 

 菅氏は、あのように誰も経験したことのない異常事態に遭遇して、きっと数多くの失敗をしただろうと思う。感情的になったこともあるだろうし、行き過ぎた指示を出したことも一度ならずあったであろう。しかし一つだけはっきり言えることがある。もしもあの時の首相が彼ではなく、この期にあっても原発再稼動を推進するような人物であったとしたら、おそらくは東電首脳部の言いなりになったであろう。もしも菅氏がベント、ベントと固執しなかったならば、撤退すら考えていた首脳部が、あの放射線量の高い建屋の中に作業員を送り込んで、手動でベントを開けさせたとは考え難い。 

 その場合、圧力容器、格納容器が爆発し、東京も含む関東一円が居住不能地帯となっていたはずである。あの時の首相が菅氏であったことは非常な幸運であった。我々はマスコミによって洗脳されているのかもしれない、と自分自身をすら疑ってみるべきである。後の世の冷静な、歴史家の目を心に持たなければならない。

 

2012年6月17日 (日)

原発問題を考える その31

   負の遺産ばかり残す世代 

 後世の日本人が振り返った時、我々の世代は、後世に負の遺産ばかりを残したとして特筆されるかもしれない。一世代前の人たちが、子や孫たちにこのひもじい思いはさせられないと、一生懸命に働いて、国を富ませたのとは正反対である。 

 国と地方の借金がまもなく1000兆円の大台を超えるというのに、それを減らそうという策はまったくに考えられてない。「財政再建のために」と使われる言葉は美しいが、実際には、国債の残高を減らすための議論はそっちのけである。むしろ、国の予算は更に膨らみ、国債への依存は更に増すだけのようである。消費税を上げて得る収入のかなりの部分を社会保障に使うみたいだが、社会保障は使ってしまう金であり、国に本当の意味の収入をもたらすものではない。結局は、社会保障を手厚くするのは、選挙に勝つための人気取りに過ぎず、一種の買収行為である。 

 上げた税は、国の借金を減らすためにのみ使われるべきである。さもなければ将来の日本国民は、上がりきった消費税やその他の重税に苦しみ、なおかつ世界一の膨大な借金をかかえて、それを返す手段とてなくなる。今は、不要不急な海外援助などを減らし、国や地方の支出の無駄をなくし、新たな産業を興して収益を上げることを工夫すべきである。 

 日本がギリシャのように破産寸前に追い込まれた時、もはや原発を廃炉にする余裕すらなくなる。ところが前回もちょっと触れた「サイエンスZERO 冷温停止状態 浮かび上がる課題」によれば、福島第一を本当の意味の「冷温停止」にするためには、大変な困難が山積している。メルトダウンした燃料の取り出しは、10数年かかったスリーマイル島の数十倍も困難であると見積もられている。 

 圧力容器外に漏れたと考えられている燃料は、格納容器内の複雑な機械の隙間に入り込んでいる可能性が強く、それらを取り出す手段があるかどうかも分からない。いや、それらの形状を知るためのカメラさえ入れられないでいる。漏れた燃料を冷却している水がなくなると、そこは再び高温となり、高い線量の放射能を放出する。 

 冷却水も問題になっている。瓦礫を迂回するために、全長40キロものパイプが繋ぎ合わされ、水漏れ事故も既に50数回にのぼっている。中には、汚染水が海に漏れたこともあるらしい。 

 さらに、汚染水が溜まり続け、この秋ごろにはタンクの置き場が満杯になるという。その原因の一つは、地下水が流れ込んでいるからだそうで、地下水の源流の方に井戸を掘り、水を吸い上げる計画だそうだ。しかしそれを見ていて疑問に思った。そんなことをしたら、原発敷地内の水が、地下水源流の方へと流れ出してしまわないだろうか? 

 もっと恐ろしいと思った問題がある。普通の汚れた水ならば、フィルターでこして汚れの原因になってる物質を集めて捨てれば良い。ところが放射性の汚染水の場合、フィルターにあたる集積塔の吸着剤でセシウムを集めているが、放射性物質というのは集積すると濃縮して発熱する。吸着剤が熱を逃がし難いので、数百度にもなるらしい。 

 さらに、放射性セシウムが水と反応して水素を発生する。その発生量は、福島第一では冷却水として海水も使用したので、更に大量の水素を発生し、爆発の危険もある。また海水による腐食も問題になるらしい。 

 このようにして語られる難問の全ては、先送りされ、次世代へのツケとして残される。一度ツケの味を覚えてしまうと、その悪習から逃れるのは難しい。クレジットカードによる借金地獄と同質である。国による「先送り依存症」、「ツケ依存症」である。

 

2012年6月 9日 (土)

原発問題を考える その30

   この1年で自然エネルギーは増えたか?  

 3・11以前に電力供給の約30%を占めていた原子力(その14参照)は、泊原発が停止した約1年後までに0%になったはずである。その穴を埋めているのは何なのだろう? 全てが火力で賄われたのだろうか? その当時までわずか1%しかなかった水力以外の自然エネルギーは、この1年間でどのぐらい増えただろうか? また、企業による自家発電量の増加はどのぐらいのものであったろうか? 

 原子力発電による電力供給が1年後に0%になるとは、もちろん去年の段階で予測できていたはずである。それ故に、もしも電力会社が自然エネルギーへの移行を考えていたとすれば、その方面での努力の成果を誇りを持って公表しているはずであり、ニュースとして語られているはずである。そうしたニュースがないということ自体が、電力会社に脱原発の意志はないと疑わせる理由である。 

 この1年間で自然エネルギーはこれだけ増加した。このペースでいけば、数年後には全ての原発を閉鎖することが可能になるだろう。しかし今年の夏は何%、来年の夏は何%程度の電力不足が予想される。そこで、その期間だけ原発を再稼動したい、というのが、電力会社の本来の形における発表でなければならない。 

 それをせず、今年になって初めて電力不足に気がついたみたいなニュースのあり方は納得がいかない。結局彼らは、一度稼動させれば莫大な利益を上げられる原子力発電を手放す気などはない。去年はさすがに致し方なかったとしても、ほとぼりの冷め始めた今年あたりからは、世論をうまく誘導しさえすれば原発再稼動は可能である、と考えているのに違いない。事実そうなりつつある。彼らはまるで、安全対策をもう少し付け加えただけで、福島第一事故以前に戻れる、と考えているかのようでもある。 

 それはまるで、血管の一箇所がもろくなって破裂したのに、応急処置を施しただけで、酒やタバコも以前通りに続けていける、と考えている患者のようなものである。福島第一は今もなお、ドイツKDFテレビ記者や小出裕章氏の描くような一触即発の危険状態にある。“血管の破裂”はいつ再発してもおかしくない。 

 茨城、栃木両県に被害をもたらした竜巻が、福島第一を直撃していたとすればいったいどうなっていただろうか? とあのニュースの時に思った。屋根もないむき出しの建屋を竜巻が襲ったとすれば、間違いなく、放射性物質が飛散していた。 

 しかしそれだけではない。よそからの力が加わらないでも、福島第一そのものが驚くべきほどの難問をかかえている。本来ならば、とても他の原発を再稼動できる状態ではない。 

 当地で5月19日に放送された「サイエンスZERO 原発事故(7)冷温停止状態 浮かび上がる課題」(日本では5月13日放送)を見ていて更に恐ろしくなった。 

 そもそも「冷温停止」と「冷温停止状態」とは違うことであり、今は、完全にコントロールできている本来の「冷温停止」には、程遠い状態なのだそうだ。「冷温停止状態」という紛らわしい言葉を作り出して、昨年暮れに収束宣言を出したこと自体にも、作為を感じる。それもまた、再稼動へ向けての一手であったのだろう。

 

2012年6月 2日 (土)

原発問題を考える その29

   「夏の電力不足」は世論誘導のため 

 今年5月になり、「夏の電力不足」が急にニュースにのぼるようになってきた。私には、これは原発再稼動のために作為的に流されたニュースである、という気がしてならない。 

 このシリーズの「その3」や「その22」にも書いたように、アンケートを取ると、日本では原発賛成や再稼動賛成の声の方が多い。原発反対と言ってみてもむなしくなるばかりである。「もしももう一度原発事故が起きたならば、日本は終わりです」と小出裕章氏をはじめとする心ある原発学者が警告を発しても、それを本気で聞く者は少ない。 

 何かの反対派がデモなどをしても、一般の人は「自分には関係ない」と思ってしまう。私もどちらかというとその傾向が強く、1960年代に安保反対の国民運動が盛り上がった時にも、冷めた目でその熱狂を見ていた。友人に誘われて一応デモの群衆に混じりはしたものの、その中にあってさえ私は傍観者であり、観察者であった。 

 原発についても、もしもこのブログを始めてなかったなら、地熱発電について調べることがなかったなら、原発反対と思うことはなかったかもしれない。しかしだからといって、積極的に原発賛成とも、再稼動賛成とも思うことはなかっただろう。アンケートにもそう答える人たちは、いったい何故そう思うのだろうか? 福島第一の事故後ですら、原発の怖さを実感しないのだろうか? 

 もしかすると、日本人って、権威ある人たちの言葉に同調しやすいのかもしれない。政治家や経営者の悪口や陰口を言うわりには、彼ら指導者たちの意を汲み、彼らの考えを自分の考えとする。「空気を読む」とか「以心伝心」という言葉が示しているように、日本人は共感や気配りを大事にしているようである。論理的矛盾をとらえて追及する、などというのはむしろ忌むべきことなのかもしれない。 

 原発がなければこの夏は電力不足となり、経済が立ち行かない、と財界人が言ったりすると、政治家やマスコミがそれに追従し、多くの会社員もそれは大変だ、と経営者の立場になって同意する。 

 このように経営者の立場になって考える傾向のおかげで、日本では労働争議も少なく、経済活動の強みにもなった。そしてその傾向は、誘導され易さということでもある。会社経営にとって停電は好ましくないとなると、原発再稼動のための援護射撃として、「夏の電力不足」が突然のようにニュースとして取り上げられるようになり、「再稼動やむなし」という世論が醸成される。 

 しかしそれで本当に良いのだろうか? 将棋や碁において、1~2手先のためには良い手であっても、数手先になると落とし穴にはまるようならば、それは決して本当に良い手ではない。たとえ飛車や角が取れても、王が詰んでしまっては元も子もないのだ。 

 原発の場合には、まさに日本という王そのものがピンチに立たされている。日本の指導者たちは、もっと遠い先の手を読むようになってほしいものである。

 

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