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2012年3月

2012年3月28日 (水)

地殻底のマグマ層 その32

 VAN 法の問題点 

 昨年10月に上田誠也氏にお会いしたとき、沢山のプリントの他に、「学士会会報」(20077月号)をいただいた。その中に、「地震予知研究の歴史と現状」という、夕食会時の講演要旨が載っている。(http://www.geocities.jp/semsweb/Uyeda_070309.html)これは、ネットで探して読むことも出来る。その他に、「地震の予知はできる」(岩波科学ライブラリー792001年)という本もいただいた。 

 以前、「地球・海と大陸のダイナミズム」(NHK ライブラリー921998年)もいただいた。この本の元になっているのは、19941月~3月に教育テレビで放送されたNHK 人間大学の講座の、同名のテキストである。そちらも、その出版直後に送られてきた。こうして長い年月にわたり、先生の書かれた何冊もの本を頂戴するとは、私のような立場のものにはもったいない厚遇である。  

 それら全てに、VAN 法についてが書いてある。だいたいは同じ内容なのだが、新しい「学士会会報」にだけ出ている情報もある。例えば、キルギスにおける地下への電流流し込み実験というのがある。それについては先にいって話す。 

 さて、前回私は、金森博雄氏の指摘を書いた。地震電気シグナル(SES)が、地震直前ではなく、その数日あるいは数週前に1回だけ出るのはなぜか? 圧電効果がVAN法の原理であるのは認めるとしても、それとSESの発生との間のつながりは、なかなか理解しにくい。 

 さらに、上田誠也氏の「地震予知はできる」のなかに、もう一つ別の問題点も書いてある。地上の2地点に電極を差込みさえすれば、どこででも地電流の異常な変化が観測できる、というわけではない。鍼灸のツボのようなものがあり、それ以外のところではうまく観測できないみたいである。 

[観測がうまくいくためには人工ノイズが高い都会地は避けねばならないが、ノイズの低いところでもSES を感ずるところ(「SES 有感地点」あるいは「ツボ地点」と呼ぶ)はまれなのである。SES 有感地点はあらかじめは分からない。経験的には地質構造が複雑だとか、地下水脈の発達が著しいなどがツボ地点の条件のようだが、 試験観測を続けて地震が起きるのを待って有感か無感かを知る必要がある。現在のところ、ギリシャでは約10ヶ所のツボ地点で連続観測が行われている。 

SES 特性の第2は、ツボ地点は震央の近傍ばかりではなく、100キロメートルも離れたところにもあるということである。しかも一つのツボ地点では、ある特定地域の震央からのSES しか観測できない。いいかえれば、震源域と有感観測点とが選択的に対応しているのである。震源から発した電流は四方八方に万遍なく伝わるのではなく、特定のチャンネルに沿って伝わるらしいのだ。] 

 これはなんとも厄介なことである。ツボを探すには、職人技の熟練とカンとが必要になりそうである。科学はフール・プルーフ(foolproof 「ばかでも扱えるような」とか「しくじりのない」という意味)であることを理想とする。職人芸の世界とは対極にあるはずなのだ。VAN 法を実用化する前に、まだまだやらなければならないことがあるようである。 

2012年3月22日 (木)

地殻底のマグマ層 その31

   岩に圧をかけると電気が生じる 

 今はない科学雑誌、「科学朝日」1995年8月号に、「ガリレオ工房」代表の滝川洋二氏が、VAN 法に関連した実験記事を書いている。 

[5500人以上の命が絶たれた運命の1月17日は、私たちのサークル「ガリレオ工房」の月例会に当たっていた。この日は、氷砂糖をペンチでつぶして、光らせる実験をしていた。 

部屋を暗くし、ギュッとペンチを握って力を加えると、氷砂糖が青白く光り、ついに砕けた。塩の結晶も、同じように光った。 

大震災にともなう発光や、電波の異常の情報を知って、ちょうどあの日、私たちが実験していた光と関係があるのではないか、と考え始めた。ちなみに、光も電波も同じ電磁波だ(光より波長の長い電磁波が電波)。…… 

水晶の成分は二酸化ケイ素で、花崗(かこう)岩ができるとき、その一部が結晶となったものだ。水晶が光るのなら、花崗岩も光るかもしれない。 

そこで、墓地で、使われなくなった花崗岩を拾って来て試すと、やはり光った。花崗岩は地下深部の代表的な岩石だから、地震の際の発光現象との関係を考えてみたくなる。…… 

水晶に圧力をかけてひずませると電圧が発生する(圧電効果)。…… 

水晶に圧力をかけて電圧が発生するなら、花崗岩を破壊したときも電圧が生じているのではないだろうか。 

花崗岩にリード線を付けて、この電圧を検出することができた。VAN の原理と同じである。] 

 このような実験の報告を読めば、VAN 法の原理は納得がいくし、私の仮説とも整合的である。地下のマグマにより圧力のかかった岩盤が、電流を発生すると考えられる。 

 1995年5月末に、金森博雄氏をパサデナの地震研究所に訪れた際、このVAN 法の問題をどう思うか、尋ねてみた。ただしその時には、この上掲の科学朝日の記事は、時期的に読んでいなかったはずである。 

 ギリシャ以外の地でいまだに成功例が出ていないのが、VAN 法の大きな問題点である、というのが金森先生の答えだった。そしてもっと肝心なことは、地震電気シグナル(Seismic Electric Signals 略してSES と呼ばれる)が地震の数日前にたった1回だけ出るのがどうしてか分からない。もしも岩石への圧電効果が地電流発生の原因であるならば、実際の地震直前に最大の地電流が起きそうなものである。 

 これは鋭い指摘である。岩石の破壊直前こそが、岩石に最も大きな圧のかかっている時期と思えるからである。 

2012年3月17日 (土)

地殻底のマグマ層 その30

   ジョン・ミルンの原書が読める 

 ネットで調べていたら、コロボックルを妖精の大きさととらえているものが多かった。それではまるで、白雪姫の7人の小人である。フキの下の人ということで、一般的なフキの大きさからイメージするからだろう。 

 北海道や東北には、2メートル、3メートルもの巨大なフキが自生している地方もあるらしい。それでは逆に巨人になってしまう。コロボックルをフキの下の人、と名付けたアイヌの地域には、1メートル前後のフキが自生していた、と考える方が自然である。 

 また、フキの葉を傘のようにさしていたり、家の屋根にしたり、文字通りの「下」である必要性はない。「下」は茎の意味であったかもしれない。名付ける人の気持ちから考えると、1メートル前後の小さい人をフキにたとえた、というだけではないだろうか。 

 コロボックルはエスキモーだった、と仮定してみると、その程度の背丈は現実的である。ヒトは、アリューシャンからアラスカを抜けてアメリカに広がった、と言われることからすれば、かってエスキモーたちが北海道にいたというのは、決して突拍子もない話ではない。 

 ジョン・ミルンについて英語のウィキペディアを当たったら、「コロポク-グル(コロボックル)は人種的にイヌイット(エスキモー)に関連している」とあったので、そんなことを考えてみた。 

 さらに英語のサイトを探していたら、ジョン・ミルンの原書が出てきたので驚いた。図書館の本を、丸ごと1冊電子化してあるのだ。話としては読んでいたけれど、実際に見るのは初めてだった。「グーグル革命の衝撃」(NHK 取材班著、NHK 出版、2007年)には次のように書いてある。 

[グーグルは現在、「人類の知の集積」である書籍をスキャンしてデジタル化するプロジェクトを着々と進めている。 

プロジェクトは、2004年12月以降、各国の図書館と提携するという形で進められている。現在、アメリカの議会図書館、ニューヨーク公立図書館、オックスフォード、ハーバード、スタンフォードなど、英米の主要大学のほか、スペインやドイツの図書館も参加している。またグーグルは、東京大学など、日本の大学図書館にも参加を呼びかけている。] 

 今までは、原典にこう書いてあるという本を読んでも、それを確かめようがなかった。コロボックルの話でも分かるように、最初の情報源から、次第に変えられて伝わる可能性があるのだ。しかし原典に当たることができるならば、そのような変更は起こらない。 

 というわけで、ジョン・ミルンの本の、関係ありそうな箇所をざっと読んでみることができた。彼は地電流の乱れを重視し、やがてはそれによって、地震予知の可能になる日が来ると考えていた。VAN 法よりも100年も前に、地電流に着目していた科学者がいたとは、驚きである。 

2012年3月12日 (月)

地殻底のマグマ層 その29

  フキの葉の下の小人族

 アイヌの伝説によると、彼らよりも前に、フキの葉の下に住む小人族がいたという。私はたまたま本屋で、ある小説のそれに関する箇所だけを立ち読みし、面白い、と思った。その伝説そのものにではなく、その小人族が日本人の祖先であったとする珍説が、それでも明治の頃には、それを主張する学者の権威のゆえに優勢であった、という著者の記述に興味を持ったのだ。私の仮説も、もしも権威のある学者が唱えたとすれば世に広まったはずだ、という思いが私にあったからである。

 後に、竹内均の「ムー大陸から来た日本人」(徳間書店、1980年)という本に、同じ話を扱っている箇所を発見した。ただし、私が興味を持った点である、学者の権威については書いてない。以下に、肝心な部分だけを抜書きする。 

[明治20年以後に、このプレアイヌ説をさらに発展させたのは、東京帝国大学人類学教授であった坪井正五郎である。彼はアイヌ伝説に出てくるコロボックルが日本の先住民であるとした。コロボックルはアイヌ語で〝ふきの下の人〟という意味である。 

坪井によれば、彼らはその名のように背の低い人種で、たて穴にふきの葉を屋根とした家に住み、貝を多く食べ、食人の風習があり、……… 

アイヌ説を支持する立場から、坪井のこのコロボックル説を攻撃したのは、日本の解剖学の創始者である当時の東京帝国大学医科大学長であった小金井良精である。……… 

大正2年に学会でモスクワへ出張中に坪井が亡くなってからあとは、コロボックル説は自然消滅し、アイヌ説だけが残った。] 

 前回書いたように、VAN 法のことから脱線し、ジョン・ミルンについて調べているうちに、それが意外な繋がりを持っていることを発見した。彼は本来鉱山学を教えに来たわけだが、前にも書いたように、地震に出会ってそれを生涯の研究対象にした。それ以外に、日本人の起源にも興味を持ち、人類学に一家言を持っていた。 

 アイヌやコロボックルについても書いている。もしかすると、函館出身のトネという女性と結婚していることからして、その関係からアイヌなどに興味を抱くようになったのかもしれない。 

 とすると、同時代人であるジョン・ミルンと坪井正五郎との間には、何らかの交流があったはずと思われるのに、竹内均の文章にジョン・ミルンが出てこないのは何故だろうか? 地震学者である竹内均が、地震学の祖である彼を知らないわけはない。 

 もう一つ、坪井正五郎の次男は、地震学者の坪井忠二である。竹内均とは、同じ東京大学で同僚だったはずと思う。何だか、地震学とコロボックル論争とは、いろいろな形で繋がっている。 

2012年3月 7日 (水)

地殻底のマグマ層 その28

   忘れられた日本地震学の父

 1995年8月の私のニュースレターは、3頁のほとんど全てをVAN 法に費やしている。まずは、“EARTHSHOCK”Andrew Robinson1993という本によって、VAN 法とは何かを簡単に紹介した。その部分の一部を以下に翻訳する。

VAN法は、ヴァロツォス、アレクソプーロス、ノミコス、3人の名前の頭文字VAN に因んで名付けられた。それは、ジョン・ミルンが1898年に英国王立協会に提出した論文に書かれた事実に基づいている。大地震の前、地中を波動して流れる自然の電流(地電流)がかく乱され、電気抵抗が変わるということを発表したのは、その論文が初めてである。この、いわゆる地震電気シグナル(SES)を検出し、予知のために役立てようとする以前からの試みは、多くの国で失敗し、その試み自体が省みられなくなった。しかし上記のギリシャの科学者たちは、1980年代にその方法を用い、かなりの成果を挙げた。1988年から1989年にかけて、ギリシャ近辺における17の地震の位置と強度を、予測して当てた。]

 この文章を本から引用した段階ではまったく気付いていなかったが、今回読み返してみて、「ジョン・ミルン」という名前をどこかで読んだ記憶がある。はてな? さっそくにネットで調べてみた。

  明治新政府が実権を得て真っ先に目指したことは、香港や上海のような植民地にされない強い国にすることであった。そのためには、各界の指導者を育てる必要性がある、と考えた。まだこれというほどの産業とてもない貧乏国であるにもかかわらず、教育のために大きな予算を割いた。英国をはじめとする欧米から、30年ほどの間に、なんと1万人近くものお雇い教師、技術者などを招いた。もちろん、本国と同じ給料では、誰も来てくれない。本国の相場の倍近くも払っていたようだ。しかも、教えるのも彼らの言葉による。

 そうまでして西洋の文明を取り入れようとしてきた明治の先人たちの先見性、そして有能な指導者群を生み出すシステムとに感心する。今の日本に一番欠けているものは、その点であるのかもしれない。平等の名の下に戦後の民主主義は、強い指導者を作らない教育制度へと改変した。

 ジョン・ミルンは、そのようにして招かれたお雇い教師の一人であった。彼は、ラクダの背に揺られたりしながら、3ヶ月にわたる陸路の旅を経て赴任した。日本に着いた早々に地震を経験し、それに魅了され、生涯の仕事とするようになる。他のお雇い教師仲間とともに、地震計を発明し、地震協会を設立する。日本の地震学の父、とも言うべき人物であった。

 ところがその後の日本で、彼の業績が重要視されることはない。日本人は、常に欧米を追い続けてきた。新着の欧米専門誌を取り寄せては最新の潮流を知り、それに合わせた研究をするのを良しとした。まるで、単一指向性マイクあるいはアンテナのようなものである。そのような研究者が多いため、新しい潮流に合わない研究者の業績が省みられることはない。たとえ日本地震学の父であっても、欧米で、後に地震断層説が主流となったために、忘れられてしまったのだろう。

 

2012年3月 2日 (金)

地殻底のマグマ層 その27

  地震予知を考える

 たびたび書いてきたように、私は、地震予知は可能だ、と思っている。しかし、当たるかもしれない、当たらないかもしれない中途半端な予知ならば、予知などはできないほうがかえって良い、とも思っている。

 我々が知りたいのは、地震の正体である。地下で何が起こっているか?を知りたい。そしてその結果として、地震予知が出来るようになる、というのが辿るべき道筋である。科学者が地震の予知を主体としてしまうと、いかがわしい予言者たちの権威付けのために、予知にかかわった学者の名前が、利用される危険性もある。

 しかし、明らかな地震の前兆が存在するのも確かである。「地震予知を考える」(茂木清夫、岩波新書、1998年)に出ている日本海中部地震(1983年5月26日、震源は秋田・青森西方沖海底、M77)の場合などが、まさにその例である。

 その地震に先立ち、東北地方の各地で群発地震が立て続いた。学者たちが「東北地方の北部では応力が高まっている。何か異常だ」と話し合ったほどの頻度であったらしい。

 そして火山も活動した。秋田・山形との県境にある鳥海山は、ほぼ200年ぶりに眠りを覚まし、1972年に小噴火した。また1977年には、北海道の有珠山が噴火した。

 有珠山の噴火活動が始まった後しばらくして、日本海中部地震の震源域は地震空白域となる。地震空白域というのは、前震活動がぴたっと止まり、本震の発生まで、空白状態になっている地域のことである。地震の前兆の一つと考えられているが、実際の観測上は、それが前兆なのか、地震が終息した状態にあるのか、判断に迷うところかもしれない。

 そしてその頃、青森・秋田両県の、日本海沿岸部が隆起する。その開始期は、日本海溝で起こった宮城県沖地震(1978年、M74)と同期している、と茂木清夫氏は見る。

 こうした前兆の多くが、私の仮説からは統一的に解釈される。日本海中部地震の震源のあたりで、地殻底のマグマの大動脈がふさがれたため、鳥海山、有珠山などから、マグマが噴火の形であふれた。そのあと函館や東北地方北部で群発地震が起こるようになり、さらに、日本海沿岸部が隆起し、地震空白域が出来た。茂木氏の図を見ると、宮城県沖地震は、火山活動の後、隆起や群発地震の直前に起こっている。隆起や群発地震のの引き金となったのは、宮城県沖地震であった可能性も強い。

 つまりここには、火山―地震―隆起・群発地震の系統的な関連性が存在している。それはまた、地震の正体を探る重要なヒントでもある。

 これを、日本海に北米プレートの境界を仮定して解釈しようとするのは無理がある。太平洋プレートの沈み込みは、列島を引きずり込み、沈降させたはずである。なぜ北米プレートの場合、隆起なのか? もしも太平洋プレート、北米プレート、フィリピンプレートなどが日本海や日本列島近くで会合しているのだとしたら、渦、もしくは乱流が発生するはずである。列島地下において、絵に描いたように整然と下降していく地下の姿は、実験により証明されなければならない。

 

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