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2012年2月 4日 (土)

地殻底のマグマ層 その22

  地殻底を掘り抜く計画

 地球の内部はゆで卵のように、地殻、マントル、外核、内核と分かれているといわれる。マントルや核の様子を直接検証することは絶対に出来ない。それにもかかわらず、地震波から得られた地球内部の姿を、検証できないからということで否定するつもりはない。むしろ積極的に賛成する。論理的な整合性を持っているからである。

 ところが、プレート・テクトニクスが描く地球内部の姿は、納得がいかない。一様に丸い地球の内部に、何故、ホットスポットのような特異点があり得るのか? 同じ熱の発散であるのに、マントル対流と違うのは何故か? 他の惑星にもない現象が、地球にだけあるのは何故か? 

 ホットスポットを説明するために、プレート・テクトニクス説の発展形として、プルーム説が考え出された。地震波から得られたわずかな違いをもとに地球内部の温度を推定し、巨大な上昇流の柱であるスーパー・プルームや下降流によってもたらされるスラブのようなものが存在すると説く。絶対に検証されることのあり得ない世界である。検証も反証も不能な世界の話が、本当に科学と言えるのかすら疑問だ。

 それに反して、地殻底、もしくはマントル最上部までが、我々人類があるいは到達できるかもしれない唯一の地球内深部である。とすれば、それ以深の永遠に答えの出ないテーマを追い求めるよりは、研究対象を、検証の可能な領域に限定すべきである。

 かってモホール計画という、マントルにまで穴を掘り抜く計画があった。マントルと地殻との境界は、発見者モホロビチッチの名前に因み、モホ面といわれる。そのモホを貫(つらぬ)く穴を掘り抜こう、ということから米国で生まれた計画である。海洋下のほうが地殻が薄いので、深海底を船の上から掘削する。1961年には試掘も行われたのだが、予想以上の難事業であることがわかり、わずか5年ほどで挫折した。

 モホール計画ほど大規模なものではないが、海洋底を掘削することによる研究は、それ以前にも以降にも、米国主導で続けられていた。ところが、1990年代になり、思わぬ展開を見せるようになる。日本で独自の掘削船を作ろう、という計画が持ち上がったのだ。

「地球の内部で何が起こっているのか?」(平朝彦他著、光文社新書、2005年)には、次のような言葉がある。

[平朝彦は、当時地球科学におけるリーダー的な存在であった東京大学地震研究所上田誠也とともに、(1990年、科学技術庁への)同報告書に新しい深海掘削の課題計画を提案した。]

 そういえば、1984年に上田先生の研究室を訪れた時、ひっきりなしにかかってくる電話で、会話が中断された。電話の内容は、海洋研究に関するものみたいだ、と思った記憶がある。やはり、あの時に脇で聞いていて思ったことは正しかったのかもしれない。その当時から上田先生は、海洋研究においてもリーダー的存在だったわけだ。

 2005年7月、地球深部探査船「ちきゅう」が完成した。新たなモホール計画である。ウェブで調べると、この下書きを書いていた2011年1月の頃は、紀伊半島沖で、南海地震の震源域を掘削中だったみたいである。本だと、過去のことしか知れないが、インターネットだと、現在まさに進行中のことが知れる。

 探査船「ちきゅう」により地殻底の情報が知られる日も、そう遠くはないのかもしれない。ただし、東日本大震災に巻き込まれ、その後長いこと研究は中断された。それについては、ネットで取りざたされている、いわゆる「地震兵器」についてを議論した後で触れるつもりである。

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