« 地殻底のマグマ層 その12 | トップページ | 地殻底のマグマ層 その14 »

2011年6月 3日 (金)

地殻底のマグマ層 その13

  プレート説により分かった気になる

 島村英紀氏の「公認『地震予知』を疑う」の中にも、火山噴火予知について似たような話が出てくる。私が最初に読んだ時、てっきり前回書いた三原山の話だ、と思い込んでいた。ところがこれを書くために確認してみると、違った。2000年、とある。あれっ? 三宅島? あ、そうか、三原山ではなかったんだ。つまり、14年後にも、同じ失態を繰り返した、というわけである。

[2000年初夏の三宅島では、島内で小噴火や地殻変動や群発地震があり、その後、震源が島内から神津島沖の海底へ移動した。火山噴火予知連絡会は、島内のマグマが島外に移動した、と一種の終息宣言を発表した。しかし、その群発地震はどんどん規模が大きくなり、神津島で崖崩れによる死者を生むなど、過去日本で起きた最大規模の群発地震になった。

このときは、滑稽なことに、地震の3つの委員会と火山噴火予知連絡会、つまり4つの委員会すべてで、同じ群発地震を議論して、別々のコメントを発表した。ちなみに判定会も、伊豆半島とその近辺は想定されている東海地震に関連する地域ということで影響を議論したのだった。

なお、火山噴火予知連絡会の「終息」宣言とは裏腹に、三宅島はこのあと大噴火をして、全島民が避難することになった。2004年現在、島民はまだ島には帰れない。]

 

 いったい何故、失敗しても失敗しても、同じような失敗を繰り返し続けるのだろう?

 たぶん彼らは、専門家であるゆえに、マスコミの執拗な質問に、「実は、地下のことはよく分からないのです」とは答えられないのだろう。

 しかし、もっと根源的なことで言えば、なまじプレート・テクトニクス説が巧妙に説明しているので、専門家たちもわかった、という気になってしまっているのかもしれない。ところが、プレート説からイメージされる地下の姿は、現実の火山の、マグマの動きを反映してはいない。

 たとえば、フィリピン・プレートは東から西へ、九州を押しながら、斜め下方へと沈み込んでいると言われている。ところが、1989年11月以降の雲仙普賢岳の活動は、そうした説明に反するものである。しかも専門家たちは、プレート説に不利なそのような事例に対しては、プレート説との関連をまったく言及しようとはしない。

 1989年11月、島原半島西方の橘湾直下、10~15キロの深さで群発地震が発生。その後、地震活動の中心は、しだいに斜め上方へと移動した。そして1年後の1990年11月、噴火開始。その後も火山活動は続き、半年後の1991年6月になって、大火砕流による大惨事につながった。群発地震の中心の移動は、マグマの移動と考えられるのだが、それは、プレート・テクトニクス説によるおなじみの説明とは、明らかに矛盾するものである。

Unnzen_new_2  左の図は、そのような地震活動域の斜め上方への移動を示している。点線で描いたのは、プレートの沈み込みによりマグマが発生し、マグマ溜まりができた後、まっすぐ上方に上昇して噴火する、というプレート説による説明である。

 右の図は、左図を上から見たもの。フィリピン・プレートが日本列島を押しているというプレート説によってでは、実際のマグマの移動方向を説明できない。

(図をクリックしてください。大きくなります)

« 地殻底のマグマ層 その12 | トップページ | 地殻底のマグマ層 その14 »

マグマ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1397932/40250093

この記事へのトラックバック一覧です: 地殻底のマグマ層 その13:

« 地殻底のマグマ層 その12 | トップページ | 地殻底のマグマ層 その14 »