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2011年6月

2011年6月30日 (木)

地殻底のマグマ層 その18

  移動するマグマが地震を起こす

 地殻底のマグマ層が移動することによって地震を起こす、という私の仮説を、今までも断片的に書いてきたが、ここでそれらをまとめて書くことにする。

 地球に大陸が生まれて以来、地殻底にできたマグマ層は、ある時代にはおもに大陸下、次の時代には海洋下に、とその主舞台を移してきた。それを動かす原動力は、大陸の重さによる圧力と、マグマの温度である。

 マグマが冷却すると、大陸中央部に小さくまとまろうとする。すると、大陸地殻を持ち上げながら、その内部で固化して厚くなる。厚くなった地殻は重くなり、内部のマグマを周辺部へと押し出す。さらに、放射性物質の崩壊熱(都合のいいことに、大陸を構成する花崗岩マグマに、放射性物質が一番多く含まれる)がマグマを温め、粘性を下げ、動き易くする。

 こうして、世界中の大陸下、海洋下の地殻底には、網の目のようなマグマ層が張り巡らされていて、マグマは常にあちこちへと移動している。ちょうど、シャボン玉の模様が常に変化しているようなイメージである。

 マグマが滞(とどこお)りなく移動している状態の時には、地震は起こらない。ところが、行く手を障害物によって遮(さえぎ)られると、そこに歪みが溜まる。川の流れが地崩れなどによる土砂でせき止められ、自然のダムが出来た後、さらに水が溜まり続けると、それはついに決壊する。地下においても、その決壊のような、岩盤の破壊が起こったとき、地震が発生する。

 障害物の量が多く、溜められた水が多いほど、決壊した時の濁流は巨大なものになる。同様にして、地震の大きさも、溜められた歪みの大きさに比例する。

 また、川の流れの場合、土砂などの障害物は、一度だけで全部が押し流されることは稀で、残りの土砂などが、時間を置いて流される。余震もまた、そのような現象だと考えるとわかり易い。

 松代地震のような群発地震は、マグマの通り道が狭められてはいても閉ざされてはいない状態のときに起こる。川の流れに大きな岩を置いたようなイメージである。

 圧が高くなり、地上にあふれることもある。火山噴火である。私の仮説からは、火山も地震も一元的にとらえられる。また、遠隔の地の地震、あるいは火山が、連鎖的に引き起こされることもある。圧の変化が引き金となることもあるからである。

 環太平洋などに地震帯が偏在しているのは、現代という時代にあって、そこがマグマ層の一番の活躍地帯だからである。ちょうど、波打ち際みたいなイメージと、私はとらえている。

 大地震に周期性があるのは、マグマの通り道の上の重みが沈み込み、新たな障害となるためにだいたい同じような時間がかかるからであろう。しかしその周期性は大雑把なものであり、プレート説からイメージされるような、定期的なものであるはずはない。 

2011年6月23日 (木)

地殻底のマグマ層 その17

  断層は地震の結果であり、原因ではない

 松田時彦氏の「動く大地を読む」(岩波書店、1992)には、次のようにある。

[その後長い間、日本ではマグマや熱の作用が重視されて、断層は地震の原因ではなくて、結果であるとされてきました。それが、1960年代になると、地震波にたいする理論的研究や観測がすすみ、地震計に記録された土地の動きは、断層が動いたと考えたとき最も合理的に説明できることがわかりました。1964年の新潟地震はそのことが具体的に示された日本の最初の大地震でありました。]

 別の言葉による引用をもう一つ。

[この(弾性反発説の)考えは、それから実に50年もの長い間、日本の地震学者からはほとんど無視されてしまいました。1960年代の直前まで、図解入りでこの説を紹介している地震学の教科書は日本にはほとんど全くありません。唯一の例外は地震研究所の石本巳四雄先生の「地震とその研究」(1935)という本です。しかし、石本先生はこの考えを否定しています。おもな理由は、岩石は長時間ゆっくりと作用している力にたいしては、バネの反発のような弾性的な動きをする能力を失い、粘土を押したときのように、力が除去されても、そのままの形に留まると考えたのです。]

[石本先生はレイド(ヘンリー・リード)さんとはちがって、断層は地震の結果二次的にできたものであり、地震の原因は別にある(地下のマグマの流動など)と考えたのです。]

 こうしてみると、地下のマグマの流動こそが地震の原因であり、断層はその結果である、とする私の考え方は、日本の地震学史において、むしろ正統派だったわけである。

 地上の断層が地震の原因でないのは、彼らとて納得するであろう。この本にも目撃証言があるとおり、地上の断層は、地震を体感してから後に出来たりする。したがって、断層といっても、地表に現れているのは地震の後、つまり結果であるのは間違いない。

 そこで、震源のある地下に断層を仮定しなくてはならない。しかし、それはあくまでも仮定に過ぎない。そのような深い所に、本当に地上で見られるような亀裂が生じ得るものなのか、直接的な実証はもちろんのこと、論理的にもいろいろな困難がある。

1)  深くなればなるほど、高温高圧により、可塑性が増えてくる。700キロもの半流動性のマントル内で、地震を起こすための亀裂など、できるとは思えない。

2)  地上の正断層、逆断層の断層面は、斜めになっている。それを地下5キロ、10キロと延長していくと、震源は、断層の直下ではなくなる。つまり、地上の断層と震源地とは、この意味からも違ってくるはずなのだ。

3)  沈み込むプレートによって押される力は一定のはずなのに、地震の大きさが違ってくるのは何故か?

4)  プレートの力の方向は一定である。しかし、地上の断層の向きは多様である。車や機械のようなギアがあるわけでもないのに、プレートの動きがどのように、違う向きの断層へと伝達されるのか?

2011年6月18日 (土)

地殻底のマグマ層 その16

  活断層調べて何が分かるのか?  

 1995年の阪神淡路大震災の後、「新編 日本の活断層 分布図と資料」(東京大学出版会、1991年)という専門書が飛ぶように売れた、とニュースで言っていた。自分の家が活断層の上に建っているのではないか、と心配した一般人が買ったらしい。本体価格だけで3万5千円もする本を、一度見た後、どうするつもりなのだろうか? 町の図書館や古本屋に流れたことだろう。ニュースを聞いて大笑いしてしまった。

 そもそも活断層の地図など、一般人が見て理解できるものではない。それに、分かったとしても役に立つものではない。島村英紀氏の「公認『地震予知』を疑う」のまえがきを読めば、活断層を恐れることのばかばかしさが歴然としている。

[たとえば、琵琶湖の西岸に沿って走る活断層(過去に地震を繰り返し起こした断層)である「琵琶湖西岸断層帯」での地震発生確率は30年以内に0.099%、50年以内には0.220%とされている。この確率は活断層診断の結果だ。活断層診断は、推進本部が目玉にして多額の費用を投入している事業である。

この活断層の長さは59キロ。活断層は長いほど大きな地震を起こすから、この長さだとマグニチュード7.8の大地震を起こすとされている。もしこの地震が起きれば、阪神淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震(1995年)よりはエネルギーが5倍以上も大きい地震になる。京都市内でも大被害が出るだろう。]

[ちなみに阪神淡路大震災(1995年)が起きる前に、この大震災を起こした活断層である野島断層で地震が起きる確率は、30年以内という条件で1%以下だった。]

[なお、琵琶湖西岸断層帯で、今後300年間に地震が起きる確率は260%と発表されている。常識的な言葉づかいからいえば、これは300年たっても、起きるか起きないか、どちらとも言えないということである。]

 それだけではない。被害の大きさと活断層とが一致してない場合の方が多い。阪神淡路大震災の時、一番被害の大きかったのは、震度7(激震、福井地震後に新たに制定された激震のレベルが適用された初めてのケース)の帯状の地帯だったが、そこは活断層帯ではなかった。六甲山麓の活断層群はまったく動いた形跡はなく、それよりも南東側で平行している幅2キロほどの一帯であった。

 1989年10月17日のロマプリータ地震の後、近くにある米国地質調査所の売店に行き、面白いものを見つけて買った。サンフランシスコ近郊の揺れの激しさを予測した地図である。その地図によれば、断層のすぐ脇の辺りが一番激しく揺れる地帯に指定されている。サンフランシスコの市内に、そのレベルの予測された地帯はない。

 ところが実際に地震が起こってみると、それとまったく逆の結果が出た。サンアンドレアス断層はまったく動かなかったのである。そしてその断層の近くで、ニュースになるほどの大きな被害を受けた所はなかった。

 しかも、島村氏によれば、1000年に一度ずつ大地震を起こす活断層は、活動度が高くて、地震危険度が高い活断層だそうだ。そうだとすると、一般人の感覚からすれば、めったに動かない活断層を調べて何になるのだろう?と思ってしまう。もしかすると、活断層を恐れるように仕向けていること自体が、問題なのかもしれない。

2011年6月13日 (月)

地殻底のマグマ層 その15

  「地震は断層が起こす」を疑う

 1906年、サンフランシスコに壊滅的な被害を与えた地震の時には、サンアンドレアス断層の北半分が大きくずれた。何と、477キロもの巨大な横ずれ断層だったと言われる。東京―大阪間が約400キロなので、それよりもさらに大きい地割れだったということになる。

 その目覚しさから、地震は断層によってできるのだ、という考え方が認められるようになる。4年後の1910年には、ヘンリー・リードが弾性反発説を提唱する。地殻は、ゴムのような弾性があり、歪みを溜め込むことが出来る。その歪みがある限界を越えた時、断層の片側がずれ、地震が起こるのだ、と説く。

 この説は今でも広く信じられ、「海洋のプレートの沈み込みに伴って、陸のプレートも引きずり込まれ、その接触面に歪みが溜まる。それが限界に達した時に陸側が跳ね返り、地震が発生する」という考え方の基礎にもなっている。さらに、「内陸部の断層も、海洋のプレートによって押し込まれた結果、そこに歪みが溜まり、地震によってそれが解放されるのだ」とも解釈されるようになった。

 「引きずり込まれた陸のプレート」に対しては、大陸地殻の反発は、スカンジナビア半島の隆起に見られる程度(100年間に約1メートル)の緩やかなものであり、地震後の隆起を説明するほど急激なものであるはずはない、と私は考えている。だいたいにおいて、地殻には、活断層やトランスフォーム断層が無数に出来るほどひびが入っている。ひびの入っているクシをはじいて、反発するはずもない。同様に、陸地にもコンニャクのような反発力はない。

 内陸部の断層をも、プレートの動きで説明しようとすると、断層の向きが問題になる。プレートの沈み込みは一方向であるのに、断層はさまざまな方向に向いている。地下のプレートの接触面から、どのような形で断層は地上まで繋がっている、と見るべきであろうか?

 それだけではない。地震学関係の本にならたいていは出ている断層の図、についても疑問がある。2つの羊かんのようなブロックを並べて置いて、それらのどちらかを横にずらし、これが横ずれ断層だ、というのである。ところが、現実の地上において、ブロックになっているところなどどこにもない。断層の末端は、ずーっと切れ目なく繋がっているはずである。Photo_4

 とすれば、右図の赤丸で囲んだブロックの末端部分(点線の部分)は、どのように解釈すべきであろうか? この図の通りのことが現実に起こったとすれば、そこの部分に大きな深い穴ができてしまうことになる。

 図というのは、往々にして現実と遊離してしまう危険性がある。権威ある教科書に掲載されているといっても、そのままに納得してはならない。常に、現実との対照を検討してみるべきであり、それこそが、科学的な姿勢であるはずなのだ。

 逆断層、正断層の場合にも、地下の末端部分が問題である。地震の真の原因であPhoto_5 る地下のマグマが押し上げ、あるいは引き下げるので、断層の片側が上がったり下がったりするのである。しかし断層が地震の原因だとすれば、持ち上がったブロックの地下は、右図の赤丸で囲んだ部分において、真空になってしまう。

2011年6月 8日 (水)

地殻底のマグマ層 その14

  40数年当たったことなし

 火山の場合、マグマが地下にあることは確実であり、群発地震だの山体のふくらみなどの前兆がある。それですら翌日の噴火さえ予知できないとすれば、正体が地下のどこにあるかさえ定かでない大地震の場合、予知できないのは当然である。

 島村英紀氏の「公認『地震予知』を疑う」(2004)には次のようにある。  

[しかし大きな問題は、この種の報告された前兆のすべてが、じつは地震後に報告されたものであることなのだ。地震予知計画が1965年に始まって以来、現在までに約40年経ったが、一度も地震予知に成功していない。1991年段階で前兆が790例あったといっても、そのすべては事後の報告なのである。]

 その後も当たったという話を聞いていないから、約40年ではなく、40数年、地震予知の当たったためしがない、ということになる。噴火予知の方は、有珠山での成功などもあり、皆無ではない。

 この本には、地震予知失敗の数々や、行政の失策などが数多くレポートされている。しかし問題はもっと深いところにある。私に言わせれば、プレート・テクトニクス説それ自体が問題なのだ。そしてそのことを、地震の専門家自身が最もよく分かっているはずだ、と思う。

 ロマプリータ地震(1989年10月、サンフランシスコに大きな被害を与えた地震)以来私は、専門家による数多くの驚き(まったくのところ、予期せぬ場所、予期せぬ起こり方の奇妙な地震が多かった)の記事を読んできた。

 南カリフォルニアのランダーズという町で、前世紀中のカリフォルニア州における3番目に大きな地震(M 7.3)が起きたときに、地震の翌日のロサンゼルス・タイムズ紙(1992年6月29日号)は、「地震学は不正確な学問であり、新たに大地震が起きたときには、その跡に、数多くの新説が生まれる」と、いみじくも書いている。その言葉から、インタビューを受けた学者たちの困惑が伝わってくる。

 ロマプリータ地震の断層は、地上に現れなかった。震源がサンアンドレアス断層近くであるのに、世界的に有名なその断層はびくとも動いていない。

 ロサンゼルス郊外のノースリッジで起こった地震の場合にも、まったく断層が見当たらず、「ブラインド・スラスト(目に見えない突き上げ)型断層」と名付けなければならなかった。

 サンアンドレアス断層を掘削した結果、歪みの蓄積は証明できなかった。

 地震学者ともなると、このような情報には精通しているはずである。プレート・テクトニクス説から導き出される予測が必ずしも当たらない、とは誰よりも知っているのだ。しかし彼らが、こうした学説に不利な反証を明らかにすることはめったにない。

 そうしたことからすると、「公認『地震予知』を疑う」で、地震学の問題点を明らかにした島村英紀氏は、勇気がある。

2011年6月 3日 (金)

地殻底のマグマ層 その13

  プレート説により分かった気になる

 島村英紀氏の「公認『地震予知』を疑う」の中にも、火山噴火予知について似たような話が出てくる。私が最初に読んだ時、てっきり前回書いた三原山の話だ、と思い込んでいた。ところがこれを書くために確認してみると、違った。2000年、とある。あれっ? 三宅島? あ、そうか、三原山ではなかったんだ。つまり、14年後にも、同じ失態を繰り返した、というわけである。

[2000年初夏の三宅島では、島内で小噴火や地殻変動や群発地震があり、その後、震源が島内から神津島沖の海底へ移動した。火山噴火予知連絡会は、島内のマグマが島外に移動した、と一種の終息宣言を発表した。しかし、その群発地震はどんどん規模が大きくなり、神津島で崖崩れによる死者を生むなど、過去日本で起きた最大規模の群発地震になった。

このときは、滑稽なことに、地震の3つの委員会と火山噴火予知連絡会、つまり4つの委員会すべてで、同じ群発地震を議論して、別々のコメントを発表した。ちなみに判定会も、伊豆半島とその近辺は想定されている東海地震に関連する地域ということで影響を議論したのだった。

なお、火山噴火予知連絡会の「終息」宣言とは裏腹に、三宅島はこのあと大噴火をして、全島民が避難することになった。2004年現在、島民はまだ島には帰れない。]

 

 いったい何故、失敗しても失敗しても、同じような失敗を繰り返し続けるのだろう?

 たぶん彼らは、専門家であるゆえに、マスコミの執拗な質問に、「実は、地下のことはよく分からないのです」とは答えられないのだろう。

 しかし、もっと根源的なことで言えば、なまじプレート・テクトニクス説が巧妙に説明しているので、専門家たちもわかった、という気になってしまっているのかもしれない。ところが、プレート説からイメージされる地下の姿は、現実の火山の、マグマの動きを反映してはいない。

 たとえば、フィリピン・プレートは東から西へ、九州を押しながら、斜め下方へと沈み込んでいると言われている。ところが、1989年11月以降の雲仙普賢岳の活動は、そうした説明に反するものである。しかも専門家たちは、プレート説に不利なそのような事例に対しては、プレート説との関連をまったく言及しようとはしない。

 1989年11月、島原半島西方の橘湾直下、10~15キロの深さで群発地震が発生。その後、地震活動の中心は、しだいに斜め上方へと移動した。そして1年後の1990年11月、噴火開始。その後も火山活動は続き、半年後の1991年6月になって、大火砕流による大惨事につながった。群発地震の中心の移動は、マグマの移動と考えられるのだが、それは、プレート・テクトニクス説によるおなじみの説明とは、明らかに矛盾するものである。

Unnzen_new_2  左の図は、そのような地震活動域の斜め上方への移動を示している。点線で描いたのは、プレートの沈み込みによりマグマが発生し、マグマ溜まりができた後、まっすぐ上方に上昇して噴火する、というプレート説による説明である。

 右の図は、左図を上から見たもの。フィリピン・プレートが日本列島を押しているというプレート説によってでは、実際のマグマの移動方向を説明できない。

(図をクリックしてください。大きくなります)

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