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2011年5月27日 (金)

地殻底のマグマ層 その12

  火山噴火予知の失態

 学派内部からの批判というわけではないが、英国の権威ある科学誌「ネイチャー」の、デイヴィド・スウィンバンクスという日本駐在記者が、日本の噴火予知について、辛辣(しんらつ)なレポート(1991年#351#511)を書いたことがある。

 1991年6月3日、雲仙普賢岳で火砕流が発生した。その時の、日本の専門家の言動は問題だ、と彼は言う。噴火の前に日本の各種の防災機関は、土石流が島原の町を襲うかもしれない、ということで警告を発していた。雲仙からの溶岩は、動きが遅く、粘性に富んでいるのでそんなに危険ではない、怖いのは土石流だ、と彼らは言っていた。しかし実際に起きたのは火砕流であり、多くの人命が失われた。

 日本の火山が、専門家の予測通りに振舞わなかったのは、これが初めてではない。1986年大島の火山が鳴動し始めた時、火山噴火予知連は、噴火は必ずしも差し迫ってはいない、と宣言した。ところがその2~3日後に噴火が始まった。この時点で予知連は、溶岩流はカルデラ(陥没などによって形成された火口よりは大きな凹地)内にとどまるであろう、と予測した。それにより、観光客がむしろ島に、噴火見物のため集まるようになり、その数は2000を超えた。噴火が落ち着いた時、気象庁は活動の終息を宣告した。

 ところがまさにその2~3時間後に、カルデラの壁に割れ目が出来て溶岩が噴出、元村に向かって流れ下り始めた。1万の島民と2千の観光客とは、一夜のうちに、島を退避しなければならなくなった。

 また、1989年に群発地震が伊東市を襲ったとき、地震予知連は最初、地震はプレート・テクトニクスによる沈み込みのせいだ、とした。土地の漁師が、茶色の水が海水面に浮かび、死んだ魚が浜に打ち上がると指摘したにもかかわらず、こうした情報は無視された。地震が短期的に休止したとき気象庁は、地震活動が終息したとして警戒警報を解除した。

 数時間後、奇妙な轟音が地下から聞こえた時になり、専門家はやっと、地震は火山性のものであるかもしれない、と語り始めた。新たな警報が発せられる前に、海底火山からの噴火物が、沖合い1キロの海面に現れた。

 過去数年に起こったこうした全てにもかかわらず、さまざまな災害関連の機関が、予測や警告を出し続け、一般の日本人は、その言葉をおとなしく聞き続けている。西洋人の観察者にとって、その点こそが最大の驚きである、と記者は結論付けている。

 その後の号で、日本人からの投書があった。私がこの問題に気付いたのは、その投書によってであり、偶然だった。ダイスケ・シモヅル(下鶴大輔)という名前に目が留まり、何だろう、と思ったからだ。スウィンバンクスにより糾弾されている火山噴火予知連の会長であった。 

 しかしその内容は、いかに噴火予知が難しいか、ということに終始していた。「三原山からの噴火がまもなくであるとは確信していた。しかしそれが何時だとは予報できなかった。その翌日、噴火が始まった」の言葉には、大笑いしてしまった。その後上述のように、スウィンバンクスの記事を探し当てて読み、更に笑い続けた。

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