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2011年5月20日 (金)

東北地方太平洋沖地震 その14

  「想定外」は日本人を誘導するための企みか?

 ここでもう一度、気象庁のマグニチュードの改定は、「すべてのことを想定外に持っていこうという企みの一環」なのではないか、という島村英紀氏の疑いについて考えてみる。

 他に、「マグニチュードは、津波の大きさの判断に大きく影響する」という言葉もある。そのこと自体間違いではないが、明治三陸津波のような「津波地震」もあることだし、マグニチュードが大きくても津波は小さいということもあり得るわけだから、その指摘自体は、心理的なものにすぎない。むしろ、島村氏自身が本の中で触れている「海底津波計」が、何故正確な予測をもたらさなかったのか?という点をこそ問題にしてほしかった。

[今回の大震災でも、その日本人の習性を利用すべく、大震災に引きつづいての福島原子力発電所の原発震災についても、「想定外の大きさの地震と津波に襲われた、人災を超えるもの」という心理に日本人を誘導しようとしている企てが透けて見える。]

 という島村氏の言葉を読むと、気象庁に対し政治的な圧力がかかった、という推定に基づいているように思われる。私もその疑いは非常に強い、とは思う。しかし、そこまでテレビドラマ的な筋書きを考えずとも、気象庁の担当官が結果の大きさに驚いて、自分が出した軽めの速報値を引っ込めて計算し直した、というぐらいの方が、より真実に近いのではないだろうか。しかしいずれにしても、内部告発でもない限り、憶測以上の結果が出てくることはほとんどないだろう。

 もっと問題なのは、「想定外」の部分である。島村氏が繰り返し指摘しているように、これは想定外の大地震ではあり得ない。私はたまたま、小説「マグマ」に関連して、「地震国日本では、自然災害に付随しての、不可抗力の原発事故も起こり得る」と3月1日のブログに書いた。わずか10日前である。地震国に暮らす以上、原理的には、千年に一度、あるいは世界最大の地震が明日襲うことも、40メートルの津波が押し寄せることも、すべては想定内であるはずなのだ。

 それを「あり得ない」ことにしてしまったのは、そこそこの幸せで満足せず、世界の経済大国であることを目指してしまった、経済至上主義による「ご都合」のせいである。経済発展のために電気が必要であるとなると、「これ以上の地震や津波は起こらない」とたかだか数十年分のデータで、勝手に線引きされてしまうのだ。

 しかも、原発推進派のデータに基づいて、一旦安全である、となってしまうと、「想定外」の事故が起こった場合の対処法は、一切考えられなくなる。負けた時や捕まった時の対処法を、一切考えなかった日本軍と同じである。

 社会に一つの流れが決まってしまうと、それに反する考えや疑問は聞かれなくなる。原発の安全性に対する疑問や理の通った反論があっても、原発に重大な事故が起こるまで、受け入れられることは、ない。

 そのことは、プレートテクトニクス説が多くの欠陥を抱えながら、反論がまったく出ないほど世に受け入れられるようになった、地球科学の歴史をつぶさに見てきた私には、まったく同じ構図に見える。

 「安全神話」を疑うことが、原発のような究極の危険物を扱う上では求められる。プレート・テクトニクス説に対しても同様に、常識だと思われている「神話」を疑うべきなのである。「科学」を科学たらしめるために。

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