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2011年5月

2011年5月27日 (金)

地殻底のマグマ層 その12

  火山噴火予知の失態

 学派内部からの批判というわけではないが、英国の権威ある科学誌「ネイチャー」の、デイヴィド・スウィンバンクスという日本駐在記者が、日本の噴火予知について、辛辣(しんらつ)なレポート(1991年#351#511)を書いたことがある。

 1991年6月3日、雲仙普賢岳で火砕流が発生した。その時の、日本の専門家の言動は問題だ、と彼は言う。噴火の前に日本の各種の防災機関は、土石流が島原の町を襲うかもしれない、ということで警告を発していた。雲仙からの溶岩は、動きが遅く、粘性に富んでいるのでそんなに危険ではない、怖いのは土石流だ、と彼らは言っていた。しかし実際に起きたのは火砕流であり、多くの人命が失われた。

 日本の火山が、専門家の予測通りに振舞わなかったのは、これが初めてではない。1986年大島の火山が鳴動し始めた時、火山噴火予知連は、噴火は必ずしも差し迫ってはいない、と宣言した。ところがその2~3日後に噴火が始まった。この時点で予知連は、溶岩流はカルデラ(陥没などによって形成された火口よりは大きな凹地)内にとどまるであろう、と予測した。それにより、観光客がむしろ島に、噴火見物のため集まるようになり、その数は2000を超えた。噴火が落ち着いた時、気象庁は活動の終息を宣告した。

 ところがまさにその2~3時間後に、カルデラの壁に割れ目が出来て溶岩が噴出、元村に向かって流れ下り始めた。1万の島民と2千の観光客とは、一夜のうちに、島を退避しなければならなくなった。

 また、1989年に群発地震が伊東市を襲ったとき、地震予知連は最初、地震はプレート・テクトニクスによる沈み込みのせいだ、とした。土地の漁師が、茶色の水が海水面に浮かび、死んだ魚が浜に打ち上がると指摘したにもかかわらず、こうした情報は無視された。地震が短期的に休止したとき気象庁は、地震活動が終息したとして警戒警報を解除した。

 数時間後、奇妙な轟音が地下から聞こえた時になり、専門家はやっと、地震は火山性のものであるかもしれない、と語り始めた。新たな警報が発せられる前に、海底火山からの噴火物が、沖合い1キロの海面に現れた。

 過去数年に起こったこうした全てにもかかわらず、さまざまな災害関連の機関が、予測や警告を出し続け、一般の日本人は、その言葉をおとなしく聞き続けている。西洋人の観察者にとって、その点こそが最大の驚きである、と記者は結論付けている。

 その後の号で、日本人からの投書があった。私がこの問題に気付いたのは、その投書によってであり、偶然だった。ダイスケ・シモヅル(下鶴大輔)という名前に目が留まり、何だろう、と思ったからだ。スウィンバンクスにより糾弾されている火山噴火予知連の会長であった。 

 しかしその内容は、いかに噴火予知が難しいか、ということに終始していた。「三原山からの噴火がまもなくであるとは確信していた。しかしそれが何時だとは予報できなかった。その翌日、噴火が始まった」の言葉には、大笑いしてしまった。その後上述のように、スウィンバンクスの記事を探し当てて読み、更に笑い続けた。

2011年5月24日 (火)

地殻底のマグマ層 その11

(ここで再び、中断していた前のシリーズに戻る。例えば地震空白域説についてなど、既に扱ってしまったが、あえて、大きくは書き変えない。断片的に読まれるかもしれない「ブログ」というものの性格上、何回もくり返した方が良い、と考えている。)

   

  「地震予知」を疑う

                                             

 島村英紀氏の「地震は妖怪 騙された学者たち」を読み終わった段階では、月並みな地震関係の本とはひと味もふた味も違うことに感心していた。

 ところがその数年後に出た「公認『地震予知』を疑う」(柏書房、2004年、後に、「『地震予知』はウソだらけ」というタイトルで文庫本化されたらしい)という本を読み、びっくりした。プレートによる説明などからして、それまではガチガチの体制派か、と思っていたのに、イメージが違った。

 2005年に読み、そして昨年11月にもう一度読み直した。凄い力作である。学者であると同時にジャーナリストである、と思った。

 「予知が出来る」というのも「出来ない」というのも、同じプレート・テクトニクス学派であることは間違いない。一般に、プレート学派に対して、地質学者の一部は強烈に反対したりするものの、同じプレート学派内で反対し合うことはない。

 例えば、アメリカの科学雑誌“Discover”1992年10月号に、激しい議論が出ていた。

 「太平洋沖地震に思う その4」の中で既に述べたように、地震空白域説というのがある。プレートの境界に起きる地震は、一定の領域で巨大地震が起きた後は、そこの歪みが解放されるため、その同じ場所で当分、大地震が起こることはない。したがって次に大地震が起こる候補地は、最近に地震の起こったことのない空白域のはずである、というのがその説の骨子である。

 ところがそれに対して、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の地球物理学者、デイヴィド・ジャクソン氏が疑問に思った。「本当にそうだろうか?」というわけで調べ直してみると、地震空白域説で安全とされた地域に、危険とされた地域の5倍もの地震が起こっていた(1979~1988)そうである。

 それに対する反論がプレート・テクトニクス学派の別の学者から出され、更なる反論が再び、ジャクソン氏から出された。

 その後、私がアメリカ地球物理学会のサンフランシスコ大会に出たとき、たまたまデイヴィド・ジャクソン氏の名前を講演者の中に見つけたので、その会場に行ってみた。白熱した議論が聞けるかもしれない、と思ったからだが、まったくそんなことはなく、テーマも地味なものだった。

 反論があるとはいっても、同じプレート学派同士、議論がしつこく繰り返されるようなことはないのだ、と私はその時思った。

 ついでながら、その後の地震空白域説に対する私の疑問をここに書いておく。インドネシアでは、最近巨大地震が立て続けに起こっている。あれなどは、その説の反証になっているように思われるのだが、どんなものだろう? チリにもかなりの大地震が起こったみたいだし、デイヴィド・ジャクソン氏の方が正しいのではないか、と思う。

 この稿を書いた頃にはまだ、確信を持てなかったので上述のように書いたが、スマトラ島やチリにおいて、巨大地震が起きた地域で、その後になって何回も大きな地震が起きているのは確かである。それを知れたのは、今回の3-11大地震の後、東大地震研のウェブサイトによってである。それについては、先にいってもっと詳しく書くつもりである。

 こうしてみると、地震空白域説が間違いなのは明らかである。そもそも、その説のもとになっている、「歪みが恒常的に蓄積している」というプレート説の主張そのものに問題があるのだ。

2011年5月20日 (金)

東北地方太平洋沖地震 その14

  「想定外」は日本人を誘導するための企みか?

 ここでもう一度、気象庁のマグニチュードの改定は、「すべてのことを想定外に持っていこうという企みの一環」なのではないか、という島村英紀氏の疑いについて考えてみる。

 他に、「マグニチュードは、津波の大きさの判断に大きく影響する」という言葉もある。そのこと自体間違いではないが、明治三陸津波のような「津波地震」もあることだし、マグニチュードが大きくても津波は小さいということもあり得るわけだから、その指摘自体は、心理的なものにすぎない。むしろ、島村氏自身が本の中で触れている「海底津波計」が、何故正確な予測をもたらさなかったのか?という点をこそ問題にしてほしかった。

[今回の大震災でも、その日本人の習性を利用すべく、大震災に引きつづいての福島原子力発電所の原発震災についても、「想定外の大きさの地震と津波に襲われた、人災を超えるもの」という心理に日本人を誘導しようとしている企てが透けて見える。]

 という島村氏の言葉を読むと、気象庁に対し政治的な圧力がかかった、という推定に基づいているように思われる。私もその疑いは非常に強い、とは思う。しかし、そこまでテレビドラマ的な筋書きを考えずとも、気象庁の担当官が結果の大きさに驚いて、自分が出した軽めの速報値を引っ込めて計算し直した、というぐらいの方が、より真実に近いのではないだろうか。しかしいずれにしても、内部告発でもない限り、憶測以上の結果が出てくることはほとんどないだろう。

 もっと問題なのは、「想定外」の部分である。島村氏が繰り返し指摘しているように、これは想定外の大地震ではあり得ない。私はたまたま、小説「マグマ」に関連して、「地震国日本では、自然災害に付随しての、不可抗力の原発事故も起こり得る」と3月1日のブログに書いた。わずか10日前である。地震国に暮らす以上、原理的には、千年に一度、あるいは世界最大の地震が明日襲うことも、40メートルの津波が押し寄せることも、すべては想定内であるはずなのだ。

 それを「あり得ない」ことにしてしまったのは、そこそこの幸せで満足せず、世界の経済大国であることを目指してしまった、経済至上主義による「ご都合」のせいである。経済発展のために電気が必要であるとなると、「これ以上の地震や津波は起こらない」とたかだか数十年分のデータで、勝手に線引きされてしまうのだ。

 しかも、原発推進派のデータに基づいて、一旦安全である、となってしまうと、「想定外」の事故が起こった場合の対処法は、一切考えられなくなる。負けた時や捕まった時の対処法を、一切考えなかった日本軍と同じである。

 社会に一つの流れが決まってしまうと、それに反する考えや疑問は聞かれなくなる。原発の安全性に対する疑問や理の通った反論があっても、原発に重大な事故が起こるまで、受け入れられることは、ない。

 そのことは、プレートテクトニクス説が多くの欠陥を抱えながら、反論がまったく出ないほど世に受け入れられるようになった、地球科学の歴史をつぶさに見てきた私には、まったく同じ構図に見える。

 「安全神話」を疑うことが、原発のような究極の危険物を扱う上では求められる。プレート・テクトニクス説に対しても同様に、常識だと思われている「神話」を疑うべきなのである。「科学」を科学たらしめるために。

2011年5月16日 (月)

東北地方太平洋沖地震 その13

  遠地津波にも備えよ

 私は最初、前回書いた「光ケーブル式海底地震・津波観測システム」を知る前に、どうやったら津波を検知できるか、自分なりに考えてみた。津波による衝撃波が海水面に達するのを知るには、海水面にブイを置き、そこから水深の違う2つの水圧計を垂らせばよい、と考えた。それにより、衝撃波の到達時間の違いや水圧の瞬間的な強さから、津波の強さ、高さを割り出せる、と思った。

 しかしブイから垂らすのでは、ブイが海流によって流されてしまう。では、海底からアドバルーンのように2つの水圧計を浮かせばよい。しかし、衝撃波は上ばかりではなく、横にも広がるはずである。とすれば、現在既にある津波観測システムと原理に違いはない。

 本来ならば、島村英紀氏が書いたように、「津波がまだ沖合いにいるときの高さや波形」を正確に割り出せたはずなのである。それなのにどうして、10~15メートルを越える津波を正確に予測できなかったのだろうか? あの時は、岩手、福島3メートル、宮城6メートル、と予測していた。印象としてはまるで小さい。また、その後の余震においても、空振りの津波警告を出し続けてきた。不思議である。

 仮に、このような津波観測システムが、将来非常に正確なものになり、信頼置けるようになったとしても、チリ地震のときのような遠地津波には役立たない。地震という前触れもなく、突然に津波が襲ってくるので、地震・津波のコンビネーションには慣れている土地の人たちも対応しそこなう。気象庁の発する警告だけが頼りである。

 1960年、観測史上最大M9.5 の巨大地震がチリで起こったとき、三陸沿岸には22時間後の未明に到達した。死者139名、三陸沿岸における波高は6mにも達した。「地震と火山の100不思議」(神沼克伊他、東京書籍、2004)には次のようにある。

[日本各地の地震計でもこの地震は記録され、チリに大地震が発生したことはわかっていました。この時点で日本には翌朝50cm程度の津波の襲来があるかもしれないと予測されました。発生から18時間後にはハワイに津波が到達して、ハワイ島のヒロで死者61名という大災害が起きていたのです。その情報は気象庁にも届いていたようですが、結局「津波情報」は津波の第一波が到達する前には発せられませんでした。チリで起こった大地震の過小評価とその先入観による緊張感の欠如が津波による被害へとつながったのです。]

 これは怖いことである。情報を知っていながら、担当官が遠地津波の怖さをよく理解していなかったために判断を誤り、三陸沖の住民が、「寝耳に水」の津波に襲われて被害を受けた、ということになる。

 GPS などの機器のある現在、海表面の高さをリアルタイムで測ることはそれほど難しくない、と思えるのだがどんなものだろう? その上で、津波が刻々と押し寄せてくる様を、よく見かけるシュミレーションの動画のような映像にして放映すべきである。そうすれば、ただ口頭でより緊迫感があり、警告を無視する者は少なくなると思う。

 ついでながら、近海で起きる津波に対しても、そのような映像を何種類か作っておき、海底津波計などからの観測値を入れるだけでよい、というようにしてあれば、同様にして、アナウンサーの警告の繰り返しだけ、よりは効果を持つことだろう。

2011年5月12日 (木)

東北地方太平洋沖地震 その12

  島村英紀氏vs気象庁

 たぶん4月初めの頃だったと思うが、島村英紀氏のサイトを訪ねてみたら、講演会で話したという伝聞ではなく、本人の言葉で、気象庁に対する疑惑の数々が書かれていた。そのさらに後になったら、北海道新聞に載った記事も出ていた。

 それらを読むと、前回書いたマグニチュード改定の経過が非常に良くわかる。何時に改定されたのか、私も記憶があいまいだったので、参照させてもらった。気象庁が出した津波の予想は小さ過ぎた、という指摘はもっともである。私もこのシリーズの1回目で書いた通り、アナウンサーの読み上げた数値には疑問がある。

 今までの津波警告が外れすぎ、「オオカミ少年」効果をもたらしてしまっていた、という指摘も正しいと思う。「津波が来るぞ~」という警告に人が耳を貸さなくなっている、というわけだが、それについては、彼の著書「日本人が知りたい地震の疑問66」(サイエンス・アイ新書、2008)の中に詳しい。その本の中には次のようにある。

[津波予報がオオカミ少年にならないための方法がないわけではありません。そのためには、日本列島の周囲の海底に海底津波計を配置することが必要です。津波計は震源の近くで、津波がまだ沖合いにいるときの高さや波形を観測する装置です。

これらのデータがわかれば、発生したその津波が陸に近づくにつれてどう振幅が大きくなるか、という増幅の倍率はすでに知られていますから、陸を襲う津波の正確な高さが予測できることになるのです。]

[津波予報が出ても住民が逃げてくれない、と行政や気象庁は住民の防災意識の低さをなげくことがよくあります。また、警報のほうが実際の津波よりも大きければ、人々が逃げなくて大災害になったとしても、お役所の責任は逃れられるでしょう。

しかし、津波予報を信頼されるものにすることこそを、心がけるべきなのです。]

 批判するだけで、解決策を提示しないとすれば、小言幸兵衛(落語出てくるキャラクター)かガミガミ女の類に過ぎない。批判や反省、もしくは分析が重要であるのは言うまでもないが、それ以上に重要なのは、「では、次にどうしたら良いか?」という視点である。この場合のように、海底津波計という解決策が与えられているのは素晴らしい。

 しかし、待てよ、としばらくして思った。海底津波計が現実にあるものならば、津波多発地帯の三陸沖に、既に設置されていそうなものである。何故今回そのようなものが活躍していなかったのだろうか? 

 インターネットで調べてみたら、「三陸沖 光ケーブル式海底地震・津波観測システム」というサイトが見つかった。東大地震研究所と東北大などとが共同で、釜石湾東方の沖合いに3台の地震計と2台の津波計を置いて、光海底ケーブルで結んだものだそうだ。その光ケーブルは、釜石市八木浜の陸上局に引かれ、情報がそこに集められる。

 いつ設置されたのかをさらに調べていったら、1995年、16年も前のことであるようだ。それでいながら今回のような肝心な時に、さほど役立ったようでもない。いったい、どこに問題があったのだろうか?

2011年5月 9日 (月)

東北地方太平洋沖地震 その11

 マグニチュードの改変は〝怪変〟か?

 東北地方太平洋沖地震が発生した直後から、マグニチュードが改定され続けた。最初に画面に出たのはM7.9。ニュースを見ていて1時間ぐらい後に、M8.4に引き上げられた。そしてM8.8へ。

 マグニチュードの変更というのは、1989年ロマプリータ地震の時もそうだったと記憶している。被害が大きいので、結果を知った後で驚いて上げたのかな、などと推量していたが、今回はその日のうちに2回もの変更である。

 それから2日後、M9.0へともう一度引き上げられた。その頃に、米国地質調査所のサイトを調べていたら、M8.9になっていた。ますます混乱してきた。

 3月末になり、インターネットで島村英紀氏の動向を調べていたら、講演会でマグニチュード変更の話をした、というサイトにヒットした。たんぽぽ舎というところが発信元であるらしい。

[今回のマグニチュード9.0というのは、気象庁がそもそも「マグニチュードのものさし」を勝手に変えてしまったから、こんな「前代未聞」の数字になったものだ。

いままで気象庁が採用してきていた「気象庁マグニチュード」だと、いくら大きくても8.38.4どまり。それを私たち学者しか使っていない別のマグニチュード、「モーメント・マグニチュード」のスケールで「9.0」として発表したのだ。

すべてのことを「想定外」に持っていこうという企み(あるいは高級な心理作戦)の一環であろう。]

 金森博雄先生に、この件も尋ねてみることにした。なにしろ、相手は「モーメント・マグニチュード(Mw)」を作ったご本人である。それ以上に最適な回答者は他にいない。ただ、私がメールを書くときに、自分なりの言葉で要約したため、ちょっと誤解を招いてしまった。というわけで、人の言葉はできるだけ、そのまま引用した方がよいのだが、前にも書いたように、英文なのでそれはできない。適当にまとめさせていただく。

[気象庁のマグニチュードは、8.3あたりで頭打ちになり、それ以上の地震の差をつけられない。日本の古い地震をMwで決め直すことも可能です。その場合、Mw9の地震がいくつかあったかもしれない。しかしもちろん、その時代の地震波の記録がないわけで、何とも言えません。]

 Mwの計算に、人為的ファクターが入り得るものなのでしょうか?という私の質問に対しては、次のように答えていただいた。

Mwの値にあいまいさはなく、それがこのシステムの長所です。気象庁がどのようにマグニチュードを変えたのか、私も知りたいところです。彼らが語ってないのだとしたら、科学的とはいえません。国民の間に疑念がある場合、何故、どのようにして改定したのか、説明すべきでしょう。]

 これはもしかすると、マスコミが調べようとしないのが問題なのかもしれない。4回も別の数値を出すというのは、いかにも不自然である。検事の捏造、相撲の八百長、年金保険料のずさんな管理、いろいろな会社や機関の隠蔽体質などなど、数多くの問題で騙され続けている国民は、敏感になっていて当然だろう。マスコミが、現場の責任者に直接会って、はっきりと問いただすべきである。

2011年5月 6日 (金)

東北地方太平洋沖地震 その10

  マグニチュードと津波の高さ

 このシリーズのその2、「海底でよみがえったゴジラ」を書いたときに、「例えば1896年のときは、マグニチュードはたかだか6.8に過ぎず、」と書いた。ところがその数値に疑問を感じたので、もう一度、参考にした本「地震は必ずくる」(前回の私のブログを参照)を調べ直してみた。

 すると、表には確かに6.8とあるのだが、本文(P170)には以下のように、M7.4と書いてある。ちなみに、引用文中に出てくるMt とは、この本の著者、阿部勝征氏が考案した「津波マグニチュード」と呼ばれるものである。地震と津波の大きさは必ずしも一致しないので、モーメント・マグニチュードと同様の計算式で、津波用のマグニチュードを出す必要性があった。

[津波地震の代表としては、2万人以上の死者を出した明治の三陸津波があります。この場合は、震度が2~3にすぎませんでした。M7.4の地震がMt8.2の大津波を起こしたわけです。]

 金森博雄先生に2回目のメールを出したときに、M6.8 は誤植でしょうか、と尋ねてみた。それに対する返信には、「たぶん誤植ではないでしょう。1896年の地震にはいろいろな記録が残っているし、定義によっても違ってきます」とあった。「津波地震」というのは、高周波帯で弱く、長い周期で強い。短周期でマグニチュードを決めた場合には小さく、M6.8 になり、長周期だとM7.4 になる、ということらしい。

 このあたりの記述は、地震波を扱ったことのない者には理解しにくい。M6.8 で間違いではないと知れたので、また、小さなゆれの地震が大きな津波を引き起こす、という点を強調するために、私はあえて、小さな数値の方を取った。

 もう一つの疑問は、津波の高さである。明治の三陸津波の時には、高さ38.mに達したという。ところが今回は、ビルの3~4階に達したというのに、私がニュースで聞いた限りでは、10mぐらいと言っていた。そこで金森先生に、昔の計測がオーバーだったのか、それとも今回の津波が高くはなかったが、スピードがあり、強烈だったということなのか、と尋ねてみた。

 先生からの答えは次のようなものであった。

[今回の津波の高さがいくらだったか、まだ正確に分かっているわけではない。明治三陸津波のときの38mは綾里白浜で計測されたものだが、今回の津波の同じ白浜地区の計測によれば、23mともいわれている。しかしどちらの高さにも、不確かな点がある。]

 実際その後のニュースなどで、私も大きい数値を聞くようになった。それでもなお、明治三陸津波の高さを越えた、という話は聞いていない。

 こうして見ていくと、地震でも津波でも、分からないことがまだいくらでもある。今回の津波は、人類が目撃した最強最悪な津波であったと私は思う。ところが、揺れはたいしたことないのに、それ以上の高さの津波が日本を襲ったことがあるのだ。いったい海底で、どのような動きがあった場合、そのような津波地震が発生するのであろうか? 

 私の推理からすれば、それは、断層などの地盤の動きによるものではない。海底火山の噴火、もしくはそれに近いものが起こったのだ。海底火山噴火といっても、マグマが実際に流出する必要性はない。火山ガスが大量に噴出した場合、風呂でおならしたときのように、大津波のもととなる水面上昇がもたらされる。

 断層か火山噴火か、それによって、津波にどのような違いが出るか、誰か実験によって調べてもらいたいものである。

2011年5月 2日 (月)

東北地方太平洋沖地震 その9

 金森教授、東京で地震に遭遇

 金森博雄氏は、台湾での3週間の後、ちょうど3月10日の夜東京に着き、翌日には、東京大学での会議に出席されたそうである。3月11日、午後1時半に始まった会議は、1時間と少し過ぎたころ、あのM9 の地震に襲われる。揺れはかなり長くまた強かった。とはいえ、命の危険を感じるほどではなかった。しかし建物の外に出るように求められ、会議はキャンセルになったそうだ。

 ホテルのテレビを見て思ったことは、私の印象と同じだったという。あの時の実況放送では、映像による衝撃、被害の大きさが、言葉として伝わってこなかった、という点に賛成していただけたのだと思う。

 メールの文中に、「13日にパサデナに戻って以来、何故あの地震が、予期せぬ形で来たのかを考え続けている」という言葉がある。金森氏にとっても、あの地震は驚きであったようだ。

 2005年の宮城県沖地震について書いた論文(2006)では、単純な固有地震のモデルでは解釈し切れないということを言いたかったのだそうだ。続けて、最近のGPS の結果を考慮すれば、巨大地震が来る可能性を排除できない、というような慎重な言い方をしている。ただし、その論文により、今回の地震を予知したと受け取られるべきではない、とも書いている。

 もともと金森氏は、自分の業績を誇る人ではない。ロサンゼルス・タイムズ紙の記事(「東大紛争のおかげで その2」2010-9-4 を参照)の中で、「ヒロオ・カナモリは、誰よりも地震のことをよく知っている。しかし彼は、他の学者より多く理解しているわけではない、と言うだろう」と記者は書き、彼の謙虚さを記事のメイン・テーマにした。

 2006年の論文以来、地震というものの多様性に興味を持ち、過去の地震を調べ直していると言う。ごく最近では、1907年のスマトラの奇妙な地震を調べているそうで、それについての英文の論文を、添付で送っていただいた。それを読むと、その地震が「津波地震」だったから、ということで興味を抱いたみたいである。

 津波地震とは、「地震は必ずくる」(阿部勝征著、読売科学選書、1990)によれば、次のようなものである。

[たくさんの津波のなかには、地震のマグニチュードの割に不相応に大きな津波を起こすものがあります。これを金森教授は「津波地震」と名づけました。この程度の地震かと思っても意外に大きな津波がやってくるわけです。それを地震計記録から即座に判断することはいまのところ難しいため、津波地震の存在は、津波予報のうえで大きな泣きどころとなっています。]

 遠く、昔のスマトラ島沖の地震を調べながら、金森氏の関心は、宮城県沖(あるいは三陸沖南部)に起こるかもしれない津波地震に注がれていた。論文の最後の方に、確かにそのことが触れられている。

 ただ、「津波地震が来る可能性が強い、とは言えても、確実に来る、と言い切れないのがつらい。あいまいな予測に過ぎないものを、どのようにしたら現実の災害軽減に結びつけることができるのか、それが問題である」と私へのメールの最後をまとめている。

 実際に、巨大津波をともなう超巨大地震が起こってしまった今になってみると、津波が来る可能性と地域までも当てていながら、論文の中でしか警告を発することができなかったことで、悔しい思いをされているかもしれない、と思う。

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