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2011年4月11日 (月)

東北地方太平洋沖地震 その4

  地震空白域だったのか?

 地震空白域の考え方自体は、かなり昔からあった。関東大地震(1923年)の可能性を示唆した説(1905年)を唱えた今村明恒東京帝国大学助教授は、後に東南海地震(1944年)、南海地震(1946年)をも中期予知して成功した。それらの予知は、地震空白域の考え方に基づいていた。大地震は、長いこと大地震のこない地域に起こりやすい、というわけである。

 この考え方は、PT説に受け継がれた。PT説では、一定の速度でプレートが移動していると仮定している。つまり、大地震によりそこに溜まっていた歪みが解放されたあと、また再び新しい歪みが少しづつ蓄積されていく、というわけだ。

 この考え方を延長したものが、第一種の地震空白域である。例えば、日本列島の近くで起こった大地震の震源域を楕円で表わしていくと、それらが重なり合わず、また、しばらく大地震の起こっていない空白域が見つかる。次の大地震は、そのような空白域の一つで起こるに違いない、と予測して当たった例もある。「地震予知はできる」(上田誠也著、岩波書店、2001年)には次のようにある。

[力武常次が1973年4月、国会の科学技術振興特別委員会で「今、大地震が起こりやすいと考えられるのは、根室半島沖と遠州灘である」旨の発言をしたが、6月には根室半島沖地震(M7.4)が発生した。]

 この地震空白域説に基づいて、東海地震が想定された。

[茂木清夫が1970年に指摘し、力武が1973年に国会の委員会で触れた東海地震は、「明日起こっても不思議はない。その想定震源は駿河湾の奥まで及ぶであろう」という石橋克彦東京大学助手(現在、神戸大学教授)の発言(1976年)でにわかに注目を集めるようになった。震源域が駿河湾の奥におよべば、首都圏、東海地域への脅威は甚大となるからだ。]

 ところが、この地震空白域の説はいつでも当たるわけではない。同書の別の箇所には、次のようにある。

[ただし、根室半島沖の空白域が埋まってしまうと、そのあたりでは次の地震はまったく予想がつかなくなる。当分はどこでも大地震は起きないだろうというのが自然な推理だが、実際には1993年には根室半島沖にもう一つM7.8、1994年にはそのすぐ東側にM8.2が起き、関係者を悩ませた。]

 また、1992年10月のアメリカの科学雑誌“Discover”誌には、この地震空白域説に疑問を投げかけ、テストしてみた研究者のレポートが出ている。環太平洋の地震帯を、高リスク帯(100年間地震無し)、中リスク帯(100~30年前までの間に地震があった)、低リスク帯(30年前までに地震があった)の3つの地帯に分けた。その上で、1979年から10年の間に起こったM7 以上の地震をプロットしてみた。

 結果は、地震空白域説で安全とされた地域に、危険とされた地域の5倍もの地震が起こっていたそうである。

 今回の東北地方太平洋沖地震は、いったい地震空白域に起きたのだろうか? 来る来ると言われ続けた東海地震は、40年以上経ってもいまだに来ない。地震空白域説、そしてプレート・テクトニクス説を、同様なテストで、検証してみてもらいたいものである。

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