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2011年4月

2011年4月28日 (木)

東北地方太平洋沖地震 その8

  金森博雄教授から貴重な返信

 私のブログが、沢山の人に読まれ、沢山の反響を得られるとしたら素晴らしい。しかし仮にそうなったとしたら、何事もスローな私は、対応できるだろうか? コメントなどにいちいち返事を書けるか、自信はない。

  書くためには調べなくてはならない。これが結構楽しい。書くことによって考えがまとまる、という点も素晴らしい。今は、下書きを書き上げること自体が目的、みたいなところがある。

 下書きがある程度切りのいいところまで溜まると、金森博雄、上田誠也、島村英紀、の3人の先生方にメールで送る。もしも目を通していただけたら、この次お会いしたときの議論の足しになるかもしれない。また、ご本人に関する部分は、私が勝手に書いて間違えたままネットに出たりしたら、ご迷惑をおかけすることになる。実際にも、金森、上田両先生に関する部分、手を入れていただいて、私も貴重な勉強をさせていただいた。

 今回、金森先生から、非常に懇切丁寧な、素晴らしいお返事をいただいた。私だけが死蔵してしまうのではもったいないほどの貴重な話もある。このシリーズに、何回分か、書き加えることにする。

 ただ、問題なのは、先生からの返事が英文で書かれているので、そのままコピイ・ペイストはできない。たぶん、英語での生活の中で常に臨戦態勢を保つため、普段から英語で書くように、自分に課していられるのだろう。毎日が日本語漬けの私など、何十年経っても英語が上達しない。

 かといって、先生の英文を、私ごときが翻訳するのもはばかれる。先生からの部分は、伝聞体で書くことにする。

 まずは、私から送ったメールの文章を以下に。

[金森先生、いかがお過ごしでしょうか?

地震発生以来、多忙の日々をお過ごしのことと考え、あえて電話などでお邪魔しないようにしてきました。しかし、お尋ねしてみたいことは多々あります。今回、あの地震について、7回分のブログにまとめました。添付にてお送りしますので、お読みいただき、ご指摘などいただけましたら幸いです。

文中にも書きました通り、先生のお名前がいろいろなところに出てくるので感心しました。宮城県沖地震の共同研究者、Jim Mori の名前に記憶があります。ロマプリータか、ノースリッジの時に、新聞記事で読んだように思います。パサデナのUSGSから京大防災研に行ったのですね? いろいろなところに弟子が行っているのだ、と想像しています。………]

2011年4月25日 (月)

東北地方太平洋沖地震 その7

  動物が地震を恐れるはずはない

 地震予知に関して、動物の異常行動を問題にしたりする。しかし、動物が地震を恐れる理由は、危険という観点からはない。彼らが野原や森の中にいるときに地震が来ても、命を脅かす状況はほとんどない。ナマズが水の中にいて、何が彼らの上に倒れてくるというのだろう? 彼らが恐れているのは、電磁波であるか、特殊な臭いであるか、人間には分からない何かであって、危険性ではない。

 以前イエローストーン公園に行ったとき、そこのレンジャーが、何度も繰り返し強調していた。「森の動物が山火事を恐れるのは、ディズニーが作り出した虚構であって、実際の動物たちは恐れません」。講堂のスクリーンに映された映像には、山火事を背景に悠然と草を食べているシカたちの姿があった。

 動物も山火事や地震を恐れるだろうと考えるのは、我々自身の恐れを投影しているに過ぎない。では、人間はなぜ地震や火事を極度に恐れるのか? それは、人間の作ったものが地震や火事にあったとき、我々の生命を危険にさらすからである。家をはじめとする建造物が倒壊して下敷きになる。それらが燃えて、逃げ場を失ったために焼死する。もしも建造物がまわりになかったとすれば、地震そのものは、雷や竜巻より怖い、というほどでもないだろう。

 建造物が複雑精妙になればなるほど、地震などの自然災害にあったときの被害も大きくなる。いかように建築基準法を厳しくし、免震構造の高層ビルを沢山建てたとしても、それで「絶対に安全」ということにはならない。必ずや「想定外」もあり、手抜き工事もあるだろう。

 そのことは、ロマプリータ地震のとき、日本からの地震学者が語った言葉に対して、私が実際に思ったことでもある。国道246の真上を走る首都高速3号線は、下から見上げると、ビルの4~5階あたりを通る雄大な建造物である。サンフランシスコやオークランドの高速道路が崩壊して大きなニュースになっていたので、東京のああいう高速道路は大丈夫なのだろうか?と尋ねてみた。「日本の高速道路は大丈夫ですよ。法律が厳しいから」というのが彼の答えだった。東京オリンピックのために無理をしていた時だから、そうは言っても信じられない。口には出さなかったけれど、私はそれでも納得がいかなかった。

 東京の高層ビル群は、関東大震災時とはまったくに違う環境を生み出した。再び似たような巨大地震が東京を襲ったとき、それらの建造物がどのように振舞うか、実際になってみなくては分からない面があるはずである。それらは、ニューヨークのテロのときにも見たように、案外もろいものであるかもしれない。

 だからといって、快適さ、便利さに慣れた近代文明は、原始の生活に戻ることはできない。電気やビルのない明治時代に戻ることすらできない。崩壊に繋がっているのだとしても、この道を進む以外はないのだ。

 我々にできることがあるとすれば、自然に対し、もっと謙虚になる、というだけかもしれない。巨大な堤防を築いても、それを乗り越える津波がある。「絶対安全」と言われ続けてきた原子力発電所も、自然災害の前に意外なもろさを見せた。

 人間の建造物に、「絶対安全」はあり得ない。そして、「安全神話」を疑う心があってこそ、次に、被害を軽減する方策が見つけられるかもしれない。 

2011年4月19日 (火)

東北地方太平洋沖地震 その6

  海底に新しい断層があるか?

 3月11日の地震は、南北方向に長さ450キロ、幅150キロの断層を作ったと考えられている。津波の規模からしても、海底にそのぐらい巨大な上下のずれができた、とみなさない訳にはいかない。

 その断層についての直接的研究が行われるようになったとき、今回の津波の正体がはっきりすることだろう。マグニチュード的には、2004年スマトラ島沖の津波よりも小さかったのにもかかわらず、コンクリートのビルディングすら破壊するほどに強烈だったのは何故か? 断層の形の中に答えが見つかるかもしれない。また、断層の、海溝側が持ち上がったのか? それとも陸側か? プレート・テクトニクス説との関連で、有用な情報になるだろう。

 既に「日本で学者たちと議論 その7 地殻が、ピーンとは戻らない」の項で書いたように、今回の地震のような形で、沈み込むプレートに直交する形の断層があった場合、陸側の地殻がピーンと戻ることはあり得ない。ひびの入っているクシの歯をはじいても、反発しないのと同じである。

 事実今回は、陸地が沈降し、「地震コンニャク説」ができたときの根拠とは、反対の結果が出ている。

 さて、このような海洋底の断層について、もう一つの疑問がある。それは、余震域の形状である。そもそも断層によって破壊されたなら、そこにエネルギーが残っていそうには思えない。クシの歯が正常であるならば、はじかれて振動し続けるのに不思議はないが、ひびが入ってしまったら、それっきりのはずである。

 そして、余震域はなぜ、楕円形になるのか? なぜ断層に沿った線形ではないのか?

 私の仮説の場合、何回か書いてきたように、地殻底には移動するマグマ層があり、その通り道が岩盤などによりふさがれた時、そこに歪みが溜まって、地震が起こる。しかし今回のような巨大地震をまのあたりにして、いくぶんの修正をほどこさなくてはならない。今まで線で考えていた地震を、面でとらえ直す必要性が生じた。

 今回の地震の余震の起こり方を見ると、「移動」ということだけではとらえきれない。100キロ、200キロの距離を、数分、数十分で移動は不可能だからである。衝撃波だろうか? 地震は爆発のようなものであり、それによって引き起こされた衝撃波が、次の余震を誘発する。こういう考え方も十分ありそうだが、余震の発生間隔が問題になる。衝撃波が届いているのに地震が起こらない場合を説明できない。

 もう一つのアイデアは、既に下書きの方には書き終えてあるので順序が逆になってしまったが、地震計を発明し、明治期に日本の地震学を確立したジョン・ミルンを調べているときに気がついた。その当時、地震と雷を結びつけた説はかなりあったらしい。

 余震があちこちで起こる状態を、雷があちこちで発生するようなものととらえると、イメージとして分かり易いかもしれない。この議論は後になって再びする。

2011年4月15日 (金)

東北地方太平洋沖地震 その5

  前兆はあったのか?

 小さい地震の前兆はとらえにくい、と言われたりすることがある。ということは逆に、大きな地震の前兆をとらえるのは簡単なはずである。今回の、M9.0 もの超巨大地震となれば、当然前兆はあっただろうし、予知に成功したという話の一つや二つ、ありそうなものである。

 インターネットの調べ方が悪いのか、今回の地震を短期予知していた、という話を見つけることはできなかった。あるいは、阪神・淡路大震災のときのように、こういう前兆をとらえていた、という話は、これから出てくるのかもしれない。

 東大地震研のサイトを調べていたとき、金森博雄氏の名前を3箇所で見つけた。別々の研究者たちと別々の共同研究を今までにしてきたみたいで、アメリカにいながら、凄いものだな、と思った。その一つは、宮城県沖の過去の地震波形の研究から、将来起こり得る地震の可能性を予測している。2006年に書かれた論文である。

[過去70年間の地震に伴う滑りは、プレート運動に伴う歪みの蓄積の約1/4しか解消していない。また過去1400年間に宮城県沖から銚子沖にかけて巨大災害地震は起きていない。]

 という言葉もある。もしもこの論文が、今回のような巨大地震を想定していたのだとしたら、たいしたものである。

 3月11日から釘付けになってテレビを見続けていたら、その翌日だかに、小学生約50人がヘリコプターで救出された、というニュースが流れた。彼らが救出された船の名前に記憶があり、はてな?と思った。「ちきゅう」という名前のその船は、マントルまで掘りぬくことを目的とした地球深部探査船である。掘削するためのパイプの全長は、1万1000メートル、水深4000メートルの海底から、7000メートル下のモホ面に到達することもできるといわれている。

 この船については、「地球の内部で何が起こっているのか?」(平朝彦他著、光文社新書、2005年)という本に詳しい。ついでながら、この本に次のような記述がある。

[平朝彦は、当時地球科学におけるリーダー的な存在であった東京大学地震研究所上田誠也とともに、同報告書に新しい深海掘削の課題計画を提案した。]

 上田誠也氏は、新しいことが始まると、その先頭に立つ人であるようだ。

 「ちきゅう」のホーム・ページには、次のような文章もある。

[「ちきゅう」は科学史上初めて巨大地震の震源まで掘削し、そこを直接観測し、地震がなぜ発生するのか、そのメカニズムを解明します。また、掘削した孔(あな)には観測装置を設置し、地震発生と同時に、その情報を陸上へすばやく伝えるシステムを目指しています。]

 というわけで、「ちきゅう」は八戸沖で津波を逃れて沖合いに出、というニュースを聞いたとき、三陸沖が次に危ない、という情報を得ていて、そこに移動したばかりなのだろう、と思った。この1月には熊野灘で、東海地震の震源域を試験掘削していたはずなのだ。

 残念ながら、そこまで地震予知できていたわけでもないらしい。地底の生命圏がどこまであるかを調べる、他のプロジェクトのためだったみたいである。

2011年4月11日 (月)

東北地方太平洋沖地震 その4

  地震空白域だったのか?

 地震空白域の考え方自体は、かなり昔からあった。関東大地震(1923年)の可能性を示唆した説(1905年)を唱えた今村明恒東京帝国大学助教授は、後に東南海地震(1944年)、南海地震(1946年)をも中期予知して成功した。それらの予知は、地震空白域の考え方に基づいていた。大地震は、長いこと大地震のこない地域に起こりやすい、というわけである。

 この考え方は、PT説に受け継がれた。PT説では、一定の速度でプレートが移動していると仮定している。つまり、大地震によりそこに溜まっていた歪みが解放されたあと、また再び新しい歪みが少しづつ蓄積されていく、というわけだ。

 この考え方を延長したものが、第一種の地震空白域である。例えば、日本列島の近くで起こった大地震の震源域を楕円で表わしていくと、それらが重なり合わず、また、しばらく大地震の起こっていない空白域が見つかる。次の大地震は、そのような空白域の一つで起こるに違いない、と予測して当たった例もある。「地震予知はできる」(上田誠也著、岩波書店、2001年)には次のようにある。

[力武常次が1973年4月、国会の科学技術振興特別委員会で「今、大地震が起こりやすいと考えられるのは、根室半島沖と遠州灘である」旨の発言をしたが、6月には根室半島沖地震(M7.4)が発生した。]

 この地震空白域説に基づいて、東海地震が想定された。

[茂木清夫が1970年に指摘し、力武が1973年に国会の委員会で触れた東海地震は、「明日起こっても不思議はない。その想定震源は駿河湾の奥まで及ぶであろう」という石橋克彦東京大学助手(現在、神戸大学教授)の発言(1976年)でにわかに注目を集めるようになった。震源域が駿河湾の奥におよべば、首都圏、東海地域への脅威は甚大となるからだ。]

 ところが、この地震空白域の説はいつでも当たるわけではない。同書の別の箇所には、次のようにある。

[ただし、根室半島沖の空白域が埋まってしまうと、そのあたりでは次の地震はまったく予想がつかなくなる。当分はどこでも大地震は起きないだろうというのが自然な推理だが、実際には1993年には根室半島沖にもう一つM7.8、1994年にはそのすぐ東側にM8.2が起き、関係者を悩ませた。]

 また、1992年10月のアメリカの科学雑誌“Discover”誌には、この地震空白域説に疑問を投げかけ、テストしてみた研究者のレポートが出ている。環太平洋の地震帯を、高リスク帯(100年間地震無し)、中リスク帯(100~30年前までの間に地震があった)、低リスク帯(30年前までに地震があった)の3つの地帯に分けた。その上で、1979年から10年の間に起こったM7 以上の地震をプロットしてみた。

 結果は、地震空白域説で安全とされた地域に、危険とされた地域の5倍もの地震が起こっていたそうである。

 今回の東北地方太平洋沖地震は、いったい地震空白域に起きたのだろうか? 来る来ると言われ続けた東海地震は、40年以上経ってもいまだに来ない。地震空白域説、そしてプレート・テクトニクス説を、同様なテストで、検証してみてもらいたいものである。

2011年4月 7日 (木)

東北地方太平洋沖地震 その3

  謎だらけの巨大地震

 何故この地震が起きたのか? 私が見ている地震関連報道番組のあいだに1度か2度、科学者が登場して、この地震の発生メカニズムを解説していた。もちろん、プレート・テクトニクス説による説明である。

 しかし、この「2011年東北地方太平洋沖地震」ほど不思議な地震はない。地殻底のマグマの移動を仮定している私の仮説のほうが、西への、一方向のプレートの動きだけで説明しようとするプレート・テクトニクス説よりは説明が付けやすい。とはいうものの、やはり謎だらけである、ということは認めざるを得ない。

 まず3月9日、M7.3 の地震から始まっている。この地震に続いては、M5 とかM6 とかの余震が立て続けに起こっている。米国地質調査所の資料では、2日の間でそれらの余震発生回数は40に近い。私には群発地震のようにも見える。

 そしてそのすぐ隣の海域で、3月11日、M9.0 の本震がおこった。巨大な津波はこれによって発生した。

 ところがそのわずか22分後に、M7.4 の地震が本震の約200キロ北の方でおこっている(このあたりは、気象庁の資料と、米国地質調査所の資料では違っている。私はこの場合、前者を取る)。その次には、茨城県の海岸近くで、M7.7の地震が起こっている。M7.4 のわずか7分後である。一旦北に向かった地震がはじき返されて南に飛んだようにも見えるが、距離にして450キロを、移動のために7分というのはあまりにも短い。

 その後、もっと不思議なことが起こる。プレート・テクトニクス説の説明からすれば、地震はプレートがこすれあっている海溝よりも陸側の地下で起こるはず、と思われる。

 ところが、次の地震は海溝の海側で10分後に起こった。M7.5、本震のほぼ真東の、海溝をはさんでの反対側にあたる。私の仮説からしても、マグマ層がどのように繋がっているか、説明がつかない。PT説ならば尚のことであろう。

 さらにその後、PT説ではもっと説明しにくい地震がつづけて起こった。海溝型とは別の、活断層型だと言うのだが、それでは「一応名前をつけました」というだけにすぎない。我々が知りたいのは、何がどのようにして関連したのか、という点である。

 まずは本震の約半日後、長野県北部に震度6強の強震をもたらしたM6.7 の直下型地震。規模としては、新潟県中越地震や 新潟県中越沖地震とほぼ同程度なので、太平洋側の超巨大災害がなかったならば、かなり大きなニュースになったはずだ。

 その後で、被害がないのでメディアにほとんど取り上げられもしなかった奇妙な地震が、秋田県北部沖で起こっている。M6.4、マグニチュード的には長野県のよりいくぶん小さい、という程度である。 わずか47分後、距離は400キロほど離れている。移動したとは考えられないから、呼応したとでも考えるより他はない。

 そしてもう一つ。3月15日、約3日半後に今度は静岡県東部で、M6.4 の地震が起こった。

 地震というのは、もともとこのようにあちこちで起こったりするものなのだろうか? まるで悪魔が地中で、玉突きでも遊んでいるかのような、あるいはピンボール・ゲームのような、なんとも不思議な地震群である。

311_2 

   月日   分  M  深さ(km)

    ① 3-9 11:45 7.3 8

 3-11  14:46 9.0 24

 3-11 15:08 7.4 32

 3-11 15:15 7.7 43

 3-11 15:25 7.5 34

 3-12 03:59 6.7  8

 3-12 04:46 6.4 24

 3-15 22:31 6.4 14

2011年4月 3日 (日)

東北地方太平洋沖地震 その2

  海底でよみがえった「ゴジラ」

 10年以上前に、金森博雄カリフォルニア工科大学元地震研究所長とお会いしたとき、吉村昭の「関東大震災」(文春文庫、1977)を薦められた。その後何年か経って、何かの折に買ってはあったものの、そのころは興味が地震から離れていたので、長いこと積読(つんどく)になっていた

 金森先生と昨年7月にお会いしたとき、再び吉村昭の話が出た。

 「作家というのはたいしたものです。感心するほどよく調べています」

 というわけで、その後の9~10月に日本に行ったとき、今度はその時に薦められた別の本「三陸海岸大津波」(文春文庫、 2004)を、本屋で積極的に探してみた。

 今回、それら2冊の本を読んで私も感心した。「関東大震災」など凄(すご)すぎる。どちらも、地震に関係している者すべてが読むべき本である、と思った。さすがに、地震学者の金森先生が推薦しただけのことはある。

 「三陸海岸大津波」は、1896年、1933年、三陸沖で発生した地震に伴う津波、1960年の地震を伴わないチリ地震津波、の3つの津波を扱っている。それぞれの津波に個性があり、襲ってくる時間も地震の規模も違う。

 たとえば1896年のときは、マグニチュードはたかだか6.8に過ぎず、震度もわずか3でしかなかったのに、死者2万人を越える被害をもたらした。3つの地震のどれもが夜、もしくは早朝に来た。暗闇の中を逃げるのも辛いだろうし、明け方にぐっすり眠る私などは助からない。

 今回の地震は、日中に来たことだけがそれらと違う。しかし、津波の規模、来る速さにおいて、それらをはるかに凌駕(りょうが)していた、と思う。

 この本の解説を書いた作家の高山文彦氏は、「三陸海岸大津波」を読んで、「ゴジラ」のことを思い浮かべた、と言う。

 「ゴジラというのは、人類が作った核兵器に対する象徴なんです」

 とは、本多猪四郎監督からじかに聞いた。本多家との個人的なつながりについては、「清張氏の、守られた約束」の第5章、第6章で扱ったので、やがて、このブログにも掲載する。

 後に、「本多猪四郎『ゴジラ』とわが映画人生」(実業之日本社、199412月)という本を読み、その言葉に秘められた深い思いを知った。

[水爆みたいなものを考えた人間というのは、いい気になって自分たちの勝手をやっていたら、自分たちの力で自分たちが完全に滅びる。自分たちだけじゃなくて、地球上すべてのものを殺してしまうかもしれないほど人間というのは危険だ。]

 いま、東北地方太平洋沖地震、津波、福島原子力発電所、という一連の大惨事を見ていると、本多猪四郎氏の不吉な予感が現実になった、と思われてならない。

 三陸沖の海底でよみがえった「ゴジラ」は、津波とともに上陸し、原発に居座り、放射能の火を吐き続けている。

 何とか、映画の結末のように、「ゴジラ」を、見事に退治してほしいものである。

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