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2011年3月12日 (土)

地殻底のマグマ層 その7

  実験、実証が必要なくなると

 プレート・テクトニクス説に対する最大の不満は、反証性がない、という点である。

 科学における説が正しいか間違っているか、を決めるものは、自然界における証拠、あるいは実験によって得られる結果である。この点が、信じるか否かだけを決め手とする宗教とも違うし、多数決によって決定される民主主義とも違う。

 クリスチャンの学校で、毎日聖書の言葉を聞いて育ってきた私は、小学校5~6年生の頃になると、すっかり科学の言葉の方を好むようになった。聖書の中にある数々の奇跡の話は、イエスを偉大と思わせるどころか、かえって、キリスト教の体系そのものを疑わせた。

 ただし、自分自身が科学者になれるほど頭が良い、とは思っていなかった。どっちかというと科学的な本を読むのが好きだ、という程度でしかなく、有名な科学者たちは、遠くから尊敬の目で見るだけ、の存在でしかなかった。

 ところが、偶然に大陸の起源説を思いついてから、乗りかかった船を今さら引けない、ということで前へ前へと進み続けた。そうして長いこと、科学の世界に接近してみると、科学界は、必ずしも冷徹な論理で成り立っているわけではない、と知れた。

 権威ある学者の思いつきに過ぎない説が、あっという間に学界全体に広まったりする。疑問や批判が出ることはめったにない。宗教の世界の対極にある、と思ってきた科学の世界、必ずしも、証拠と実験とだけが幅を利かせる理性の世界、というわけでもなかったのである。

 本来ならば、アーサー・ホームズが「大陸を動かした原動力は、マントルにある対流だ」と言ったとき、何回も何回も対流実験が繰り返され、大陸を動かすような対流というのがあり得るか、検証すべきであったのだ。ツゾー・ウィルソンが「太平洋底は方向転換した」と主張した時、方向転換する対流があり得るか、を調べるべきだったのだ。

 地球規模の実験など出来ないのも確かだろう。しかし怖いのは、それが口実となり、地球科学を科学たらしめていた碇(いかり)が切れてしまったことである。ひとたび「大陸は動いていいのだ」となり、そしてそれに対する厳密な実験は必要なし、となってみると、無数のアイデアが発表されるようになった。今では、地球科学は漂流状態、「言った者勝ち」の世界である。これは本当に科学なのだろうか?

 例えば、地球の内部にはホット・スポットという、マントル対流とは別の熱流システムがある、と言われる。しかしながら、マントル対流でさえも実験的に証明されたわけではない。ホット・スポットとなると、更なる飛躍である。循環型の対流にからむ別の上昇流があることを、どういう実験により、証明できるだろうか?

 地表から見てもっともらしく思えるホット・スポットも、マントル下部の上昇開始点から考えてみると、それは仮定でしかない。丸い地球の中のどこであっても、上昇開始点となり得たはずなのに、なぜ不動の特異点が、現在ある位置にだけ出来なくてはならなかったのか? 地球そのものを掘り抜くことが出来ない以上、それは、実証することも反証することも永遠に不可能な、お話に過ぎない。

 そして、ホット・スポットという概念から発展したプリューム・テクトニクスは、お話の度合いをさらに強め、PT 説を信じない者には、まるでおとぎ話のようである。

 宗教の言葉は、多くの場合反証不能である。「神がいる」ということを誰も否定することは出来ない。それは、信じるか否かの領域の問題だからである。「幽霊を見た」「UFOを見た」というのも同じである。それらは、反証不能なのだ。プレート・テクトニクス説もまた、反証性を失い、宗教の領域に近付いている。

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