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2011年3月31日 (木)

東北地方太平洋沖地震 その1

(現在連載している「地殻底のマグマ層」については、全部で25~6回分になり、一応下書きは書き上げた。しかし、「東北地方太平洋沖地震」という超巨大地震が起きたので、それについてを書き、「地殻底のマグマ層」は中断し、この連載の中に挿入する。)

  東北地方太平洋沖地震

 3月10日、夜10時(日本時間11日午後3時)、日本語のテレビ番組を見ていたとき、画面が津波のシーンになった。漁港の風景は、その後に続く悲惨さを思わせるものはなく、人影はさすがにないものの、いかにも日常的であった。駐車している車が何台もあり、休日ではない、と思わせた。何よりも、海岸線と平行な高架道上の車が、慌しく両方向に行き交い、人々の活動を示していた。

 波止場を乗り越えた水も、最初のうちはさほどの量ではない。津波の規模も、予想は3メートルとか6メートルとあるものの、実際に到達した第1波の高さは、20とか50センチでしかなかった。ああ、たいしたことなくてよかったな、とそれを聞いて思った。

 マグニチュードも7.9、大きいことは大きいが、超巨大という感じはしない。アナウンサーは逃げるように、としきりに警告をくり返しているけれども、常套句を言っているに過ぎないのだろう、と思っていた。ここ数年の日本での、地震に伴う津波は、たいてい予測よりは小さなもので終わっていた。

 車が押し流される次の場面が映し出されたとき、事態がただならぬものであることを察した。さらに、町の中から田畑へと、木材の残骸を含む、黒い水流が進んで行く異様な光景を見たとき、これは、2004年スマトラ島沖の津波よりも強烈だ、と思った。あの時は、22万人もの犠牲者が出たとはいえ、建物の被害が今回ほどではない。同じ木造であっても、2階のベランダから撮影して平気だったように記憶している。今回は、ブルドーザーで根こそぎ土地をならしていくかのような、恐ろしい水の力に目を見張った。1万人以上の犠牲者が出るかもしれない。その時に思った。

 ところが、アナウンサーの報告する死者数は、非常に小さな数から始まった。そしてやがて、「死者は1000人を超す模様」と言うようになり、それが丸一日以上続いた。

 阪神淡路大震災のときにも同様な報道があり、疑問に思った。警察や自治体などに入った各地区の集計を、そのまま発表してしまうからだろうか、あの時も、非常に小さい死者数から始まった。それでは、かえって事態の深刻さが伝わらない。

 その当時、毎日新聞科学部長・論説委員だった横山裕道氏の著書「次の大地震大研究」には次のようにある。

[各自治体は正確な情報をつかむことが出来ず、兵庫県知事から自衛隊の出動要請があったのは午前10時と地震発生から4時間以上も経過していた。また、政府が非常災害対策本部の設置を決めたのは10時を回ってからだった。そのころ分かっていた死亡者の数はわずかで、「未曾有の災害になるのでは」という意識は防災担当の国土庁を含めどこにもなかった。

正午過ぎの政府・与党連絡会議の冒頭、五十嵐広三・官房長官が、「正午現在の死者は203人」と最新情報を報告した。これを聞いて村山富市首相は、「エーッ」と驚きの声を上げた。それでもまだ事態の深刻さを十分理解していなかったのか、首相が「関東大震災以来の最大の都市型災害」との認識を示したのは午後4時の記者会見の席だった。]

 こういう重大な災害時には、全体像が把握できるようになるまでの初期の間、集計中の数字は一切発表せず、映像と、地震の規模と、死者数の予想推計だけにした方が、かえって良いのではないか、とそのとき思ったが、同様なことが今回も繰り返された。

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