« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

2011年2月

2011年2月26日 (土)

地殻底のマグマ層 その3

  水の注入が引き起こす地震

 島村英紀氏の「地震は妖怪 騙された学者たち」の中には、「人間が呼びさました妖怪地震」の項がある。

[1962年に米国コロラド州のデンバーの近くで深さ3・7キロメートルの深い井戸を掘って、液体の放射性廃棄物を捨てたことがある。米空軍のロッキー山工廠(こうしょう)という軍需工場の廃液であった。地下深部というのは厄介ものの放射性廃棄物を処分するには卓抜な思いつきだ、と思ってはじめたに違いない。

意外なことが起きた。日本と違って地震がまったくなかった場所なのに、突然地震が起こり始めたのだ。多くはマグニチュード4以下の小さな地震だったが、なかにはマグニチュード5を超える結構な大きさの地震まで起きた。生まれてから地震などは感じたこともない近くの住民がびっくりするような地震であった。

ちょっとした騒ぎになった。しかし、1年後の1963年10月にいったん廃棄を止めたら、地震はしだいに減っていった。

ところが、さらに一年後の1964年9月に注入を再開したところ、おさまっていた地震が再発した。]

 さらに、ダムが原因となった地震も多い。

[1967年にインドでマグニチュード6・3の地震が起きた。177人が犠牲になったほか、2300余人が負傷した。この地震は近くにコイナ・ダムというダムをつくったことによって引き起こされたものだ、というのが地震学者の定説になっている。

ここも米国と同じく、ふだん地震が起きないところだった。しかし、1962年にダムが完成してからマグニチュード4クラスの地震が起きはじめた。]

 注入の場合もダムの場合も、ここだけが例外なのではなく、世界で数多くの例が知られている。

 私のニュースレター1992年9月号で、私はこの問題を扱い、その時、“The EARTH”(Peter J Smith, Macmillan Publishing Co., 1986) からかなり長く引用した。しかも、そのときに描き写したイラストを見れば、世界における人為的誘発地震は、ほとんど全て、ふだんは地震のないプレート内部で起こっている。つまり、プレートの押し合いによる歪みなど、溜まっていそうもないところばかりなのである。

 このような誘発地震に対し、水が潤滑剤となり、溜まっているプレートの歪みを解放するのだと考える学者が多い。その考え方から、サンアンドレス断層などの大断層に水を注入し、人工的に小さな地震を誘発してやれば、大災害をもたらすような大きな地震を防げる、と主張する学者も出た。

 とんでもないことだ。PT説による地下のイメージはことごとく外れているというのに、もしかすると逆に大地震の引き金になるかもしれない実験を、都市近くの断層で、軽々しく始めてもらっては困る。

2011年2月22日 (火)

地殻底のマグマ層 その2

  ゆっくり歩く「地底の妖怪」

 「地震は妖怪 騙された学者たち」(講談社+α新書、2000年8月)を読んだのは、2003年2月のことであった。私は、以下のような読後メモを書くほどに感心したのに、最近になって読み返してみるまで、その内容をすっかり忘れていた。私自身がその時期、地震の問題から離れ、世界地図の新しい図法に夢中になっていたからかもしれない。

[ゆっくり歩く「地底の妖怪」は面白い。文章もうまく、一度は会ってみたい相手ではあるのだが、PT(プレートテクトニクス)説にこり固まっているようでもあり、難しいとも思える。]

 ここにある「地底の妖怪」とは、以下のようなものである。

[さて、こうやって地殻変動を細かく見ると不思議なことが見つかった。

関東地方で、地面のわずかな傾きが変化していた。その変化が、東から西へ、ゆっくりと移動していくのが発見されたのである。地面の傾きが移動するということは、地面の膨らみが、西に動いていったことを意味していた。

その動く速さは、ごく遅く、年に20キロ。時速にすれば2メートルほどになる。つまり、カメよりも遅く、カタツムリなみの速さのものが、地下を動いていったことになる。……

もっと不思議なことがある。

この移動を時間を遡(さかのぼ)ってたどっていくと、陸から海へ出て、さらに太平洋プレートが日本海溝へ沈み込むときに起きる大地震の震源域に至る。

そして、この移動した「なにか」は、大地震が起きたときに、ちょうどその震源に、その時間にいたことが分かったのである。関東地方の例では、1953年11月に起きたマグニチュード7・5の房総沖(ぼうそうおき)地震、東北地方の例では、1968年5月に起きた十勝沖地震(マグニチュード7・9)がその地震である。

つまり地下の妖怪は、大地震の震源の近くで生まれて日本を駆け抜けたように見えるのである。]

 ここにある妖怪の姿こそは、私が常々主張している地下の姿である。地殻底には、圧縮されて地震波に対し固体として写るマグマ層がある。それは、ちょうど2枚のガラス板に挟まれた油の層のように、わずかな圧が加えられただけで、あちこちに移動する。それは、水溜りに浮かぶ油の層のような、勝手気ままな模様を描く。ただし、地殻底の隙間は、2枚のガラス板とは違い、ムラがある。ちょうど葉脈のように、あるいは河口近くの水路のように、入り組んでいる。つまり、マグマの通り道がある。そうした通り道が、崩れてきた岩盤などによってふさがれた時、そこに歪みが溜まり、やがて爆発的な破断が起こり、その時地震が発生するのである。

 このような私のイメージからすると、PT説における不思議は、不思議でも謎でもないのである。

2011年2月19日 (土)

地殻底のマグマ層 その1

            地殻底のマグマ層 その1

(この後の部分は、島村氏と会う前までに、氏のどのような本を読んでいたかを、さらーっと書くだけのつもりでいた。しかし本を読み直し、調べ直しているうちに、どんどんふくらんでいった。そこでこの部分だけ、別のカテゴリーとしてまとめることにした。)

  島村英紀氏の本はユニーク

 日本で、上田誠也氏以外に会いたい地震学者の筆頭は、島村英紀氏である。

 私が初めて読んだ彼の本は、「教室ではおしえない地球のはなし」(講談社ブルーバックス、1991年11月)である。たぶん1992年か、93年に読んだと思う。

 今まで、地震、地球関係のさまざまな本を読んできたが、この本は、それらどれとも違っていて、軽快で、シャレていた。イラストもまた、小粋である。極度に省略された線で描かれていて、人物などは、アメリカでかって人気のあったキャスパーという子供のお化けのようである。しかしなんとなくユーモラスで良い。今改めて本を手にしてみると、カバーの裏に、「この本では図版も著者の直筆である」とある。この漫画風の絵もちょこちょこっ、と描けてしまうのだろうか。羨ましい。

 その書き出しからしてユニークだ。カバーの、表紙の裏の部分から書き写す。

豆腐の上にパチンコの球を置いたら、どうなるでしょう。

球は、自分の重さで豆腐の中に沈んでいってしまうはずです。

では、どのくらい大きな鉄の球を地球の上に置いたら、地球の中にめり込んでいってしまうのでしょう。

直径20キロメートルもあれば十分。東京でいえば、23区がすっぽり覆われてしまうくらいの巨大な球です。

しかし、地球をタマゴの大きさにたとえたときには、仁丹の大きさどころか、そのわずか10分の1。こんな大きさの鉄の球を支えきれないほど、じつは地球は軟らかいのです。]

 

 このたとえをもう少し拡張してみると、地表に重金属のあることが不思議である。もしもそれら全てがマントル以深の地中から湧き出してきたとすると、マグマ状態であったときに分離されて沈潜し、地表に達することは適わなかったはずである。この面からしても、地表にある物質は、巨大隕石、もしくは天体の残骸(ざんがい)、とみるべきである。

 その後「地震はどこに起こるのか」(講談社ブルーバックス、1993年12月)も読む。重複する内容も多いのだが、海底地震計についてさらに詳しく書いてある。海溝における震源の誤りを正したり、中央海嶺の、地震の起こる場所を特定したり、数多くの業績をあげている。

 しかも、海外の学者からの評判も良く、共同研究を頻繁(ひんぱん)に申し込まれたりもするらしい。世界でも通用する日本人地震学者の一人であるようだ。

2011年2月12日 (土)

日本で学者たちと議論 その9

  上田先生から素晴らしいメール

 11月1日に日本から帰宅した。サンフランシスコ行きの日本航空が、羽田から飛び立つようになって、2日か、3日目の便である。面白いことに、暦の上では11月2日午前0時5分に立つのだが、サンフランシスコには1日前の夕方に着くことになる。

 普通のビジネスマンならば、着いた翌朝からバリバリと仕事するのだろう。しかし、何事にもスローな私には、そんな器用な真似は出来ない。3日、4日、これは時差ぼけなのだ、と自分を甘やかしてぐだぐだしていたところ、びっくりするようなメールが、上田誠也先生から入った。

[篠塚さま:

またもや、ご無沙汰になりました。

お送りくださった文書、毎晩、床に入ってから読んだのですが、昨晩、やっと読了しました。面白かったです。

随分、内容の多岐にわたる力作でした。清張さんとのお付き合いの歴史はどこかに特にお書きになるといいなと思いました。あまり、時を経ると、清張さんをしのぶ世代も減ってしまうかもしれませんね。僕らの世界でも同じことです。世代をこえた人物―アリストテレス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン―は本当に少ない。

それにしても、エイズから原爆まで、いろいろなことに純粋に興味をもち、積極的に自ら調査し、自ら独自の考えをめぐらすのには、感銘をうけました。並みの職業的学者にはとても手がでません。

小生などは狭い自分の専門分野以外にはほとんど文盲だなと思いました。

今年はなるべく動かず、先日の広島での地震学会にも行きませんでした。金森さんは行かれたようですが。11月15日には静脈瘤の手術を予定しています。

それでも今年度中には、なんとかアテネとキルギスに行こうと思います。これは本職です。ともに、アメリカなど(日本も)の手も出ないすごい研究をしているのです。

先便でもおたずねしましたが、もうアメリカにお帰りでしたか?

どうかいいお年を。

上田]

 これを読んだのは早朝で、寒いぐらいだったのだが、私はカーッと体が火照り、上半身裸になった。初めての経験である。

 清張先生にしろ、上田先生にしろ、一流の人たちは違う、と思った。彼らは自分に自信があるから逆に、謙虚でもいられ、手放しでほめることも出来る。

 もっと大きな驚きは、上田先生のひたむきさであり、情熱の強さである。キルギスなんて、中央アジアの小国のはずである。よもや直行便があるとは思えない。そんなところへ地震予知研究のために、何回か乗り継いで行かれるというのだろうか? 手術後のお体で?

 何らかの良い結果が出て欲しいと、私も祈らずにはいられない。

2011年2月 5日 (土)

日本で学者たちと議論 その8

  上田先生、金森先生と話す時が一番楽しい

 その翌日、私は次のようなお礼のメールを、上田先生に送った。

[上田誠也先生

 昨日は、退院したばかりのお身体にもかかわらず、2時間以上ものお時間を私のために割いていただき、ありがとうございました。そしてまた、今回もご本やプリントをいただき、ありがとうございました。

 私は、学説に対する反対の素人であるにもかかわらず、先生や金森先生とお話ししている時が、一番話題も楽しく、at home(くつろいで) に感じます。一般の人たちに自分の仮説を語っても、退屈されるか顔を背(そむ)けられるだけでしかありません。ところが、先生方には、たとえ反対される問題であってさえも、話の内容は理解されているわけで、こんな楽しいことはありません。また、私の側からしても、地震学界の人たちに対する一応の知識を持っているため、お話を聞くのも分かり易く、楽しいです。それにしても、学界の内部は大変なものですね。私のような立場の方が、ずっと気楽で良いのかもしれません。

 以前お送りしました私の原稿、ぜひ目を通してみてください。プレートテクトニクス説に対する私の批判は、厳しいものではあっても、不快になるようなものではない、と信じています。また、先生とのエピソードもかなり書いてあります。東大を退官されてから後、過去の名声に安住するのではなく、新たな茨の道に進むことに男のロマンを感じられた先生の生き方に、私も感動したものでした。私の文章から、当時を思い出していただけるかもしれません。

たった一つ、残念なことをしました。昨日帰宅して、レコーダーを聞き返しているうちに操作を間違えて、せっかくの貴重なお話を、消去してしまいました。悔やんでも悔やみ切れません。どうかまた、別の機会をお与えくださるよう、お願いいたします。私はプロのジャーナリストではありませんので、ブログなどに公表する時には、問題がありそうな場合、目を通していただくようにしています。

昨日もお話ししたとおり、地電流の計測による地震予知は、東海地震の予知活動などとは違い、原理的に可能であると考えています。どうかお体に気をつけられ、これからも、研究活動に頑張ってください。]

 このメールにもあるように、せっかくに許可を得て録音したのに、あとで聞き返しているうちに、消去してしまった。最後の方にある余白を消すつもりで、テープレコーダーと同様に扱ったところ、IC レコーダーの場合には、全文が消えるようになっていた。私は、余白の箇所だけまず区切ってから、そこだけ消す操作をしなければいけなかったのだ。

 もしもその部分が残っていたら、私は地震予知について、もっと詳しく、ここでも書くはずであった。しかし微妙な問題なので、上田氏の実際の言葉がない以上、ここでは扱わない。後に、私自身の考え方にからめて、話すことになるかもしれない。

2011年2月 1日 (火)

日本で学者たちと議論 その7

  地殻が、ピーンとは戻らない

「それからまた、海溝型の地震の説明では、『沈み込むプレートによって押し込まれた地殻が、ある限界に達したとき、ピーンと跳ね上がる。その時に巨大地震が起こる』と説明していますが、それはあり得ません」1

「なぜ?」

「地殻の反発というのは、スカンジナビア半島におけるように、年に数センチ程度の緩(ゆる)やかなものです。クシの歯を弾(はじ)くような、急激なものであるはずはありません。だいいち、地殻には、活断層のようなひびが無数に入っているわけで、ひびの入っているクシの歯を弾(はじ)いて、反発するだろうとは期待できません。つまり、地殻がピーンと戻ることは、あり得ないのです」  

  上田氏は、肯定も否定もしなかった。しかし、先ほどまでの厳しい表情は、ずいぶんと柔らかいものになった。

 プレート・テクトニクス説、そして地震予知。先覚者の道を歩き続けてきた上田氏は、猛烈な反論の嵐に曝(さら)され続けてきたに違いない。それらの多くは、既に書いたように、感情的、攻撃的なものであったろう。そうしたものに比べると、私の反論は、いかにも素人っぽい、素朴なものであるのかもしれない。

 そのあと話題は、地震予知の現況に移り、地震学界の情報などもうかがった。特許を取得した私の世界地図をお見せし、説明したりもした。

 そうした会話の合間に、ポツリと呟(つぶや)かれた。

「君の原稿を読むようにしなければいけないな」

 約2時間にわたるその日の会話の、最大の収穫は、その言葉をいただけた、ということであったかもしれない。

« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »