トップページ | 2010年9月 »

2010年8月

2010年8月30日 (月)

金森博雄教授と再会 その3

米国地震学会会長、地震研究所所長

 米国の教授というのは、学生のための研究費や生活費までも調達したりするみたいである。研究所に電話した時、ワシントンに行っていて留守だ、と言われたことが何回かある。その後でお会いした時に、「近頃はアメリカも不景気みたいで、基礎研究の予算はなかなか下りない」とこぼしていらしたので、ワシントンへは、政府の高官か政治家との折衝に行っていたのかもしれない、と推察した。

 ただしこれは、私の推測のし過ぎで、実際には、政府の高官や政治家に会っていたのではなく、研究費関連の会議のためであったらしい。会議のために米大陸横断、というのもけっこう大変なことに思える。学者は研究と学生の教育だけ、ではすまないようだ。それにしても、学生のために研究費だけではなく、生活費も調達しなければならないとは……。

 1985年には米国地震学会会長をつとめ、1990年から1998年までは、カリフォルニア工科大学地震研究所の所長職にあった。かなりの重責であったに違いない、と思う。その頃、私の車で町なかを走行中、自動車修理工場の看板を見てつぶやかれた。

「大学の先生などではなく、修理屋のおやじになっていればよかった、と思うことがありますよ」

 今回、

「ものが二重に見えるので目医者に行ったら、血圧を計った後、『キリンの血圧並みだ』と驚かれ、救急病院を手配されました。……それもあって、翌2005年にリタイアしました」という言葉を聞いたとき、私は、それまでに溜まったストレスの大きさを思った。

 1/31/4の小さな部屋になったとは言うものの、今も名誉教授として、地震研究所の中に研究室を持ち、講演などのために忙しく各地を飛び回っているらしい。そういう話をお伺いすると、以前よりもかえってお元気なのではないか、と思う。

2010年8月28日 (土)

金森博雄教授と再会 その2

モーメント・マグニチュードとCUBE

 もっともこの5~6年は、状況がいくぶん違っているかもしれない。モーメント・マグニチュード(1977)、地震防災システムCUBEの開発(1990)などの業績が日本でも評価され、多くの本や教科書で取り上げられるだけではなく、文化功労者(2006)として受賞してもいる。

 巨大地震をそれまでの大きさの単位で示そうとすると、どれも似たような値になり、差が出てこない。そこで、巨大地震に固有の長周期波に着目して、モーメント・マグニチュードという計算式を提案した。

 例えば、1960年のチリ地震は、従来のマグニチュードでは8.5となり、1933年の三陸地震と表記上は変わらない。しかしチリ地震は、地球そのものを釣鐘のように長く揺らし続けるほど莫大なエネルギーを持っていた。モーメント・マグニチュードで計算すると9.5となり、地震学史上最大の超巨大地震の素顔がはっきりとしてきた。

 CUBEとは、地震予知よりはむしろ、起きた場合にすばやく対処するほうがより現実的効果的であるとして、南カリフォルニア一帯に張り巡らしたシステムのことである。各地に設置した地震計からの情報を、一旦カルテック地震研究所と米国地質調査所とに集積して、地震の規模などを判定、それを、ライフラインの関係機関にすばやく流すようにした。被害をもたらす主振動までに数秒の違いがある場合があり、それが災害対策に大きな差をもたらしもする。

 阪神大震災のちょうど1年前、ロサンゼルス北のノースリッジに、マグニチュード的にはほぼ同程度の地震が発生した。その時にこのCUBEシステムが効果を発揮し、被害軽減のための有効性が認識された。

2010年8月26日 (木)

金森博雄教授と再会 その1

パサデナのカルテック

 7月14日(水)、金森博雄名誉教授の研究室を訪れた。私が住むサンフランシスコ近郊からは、車で約6時間かかる。グーグルで調べると、600キロ離れていることになる。それは日本だと、東京から神戸よりは遠く、岡山よりは近いことになる。

 カリフォルニア工科大学のある町パサデナは、ロサンゼルスの北の郊外に位置し、その北側を、サンガブリエル山脈が切り立った屏風のように遮っている。緑が多く、しっとりと落ち着いた町である。以前訪ねたのは10年前の5月末、ちょうど青いジャカランダが満開であった。通りの両側の歩道に数ブロック、並木として植えられている界隈があり、息を呑む美しさであった。濃い青の花びらがひらひらと、広い車道いっぱいに舞う姿を見て、桜の満開とどちらが美しいだろう、甲乙つけがたい、と私は思った。

 私がその町を初めて訪れたのは33年前、もちろんその時も、金森教授に会うためであった。彼が、カルテックとも呼ばれるカリフォルニア工科大学の地震研究所にいなかったとしたら、本や話の中だけで知る、遠い存在の町であったに違いない。

 もしもあなたが、地震学者の名前を数名知っているとしたら、あなたは、かなりの地震通であるだろう。もしもその数名の中に、「金森博雄」の名前も入っていたとしたら、あなたは間違いなく地震の世界に精通している。金森教授は、日本にいないというだけではなく、一般向けの本を一冊も出してはいないからだ。

2010年8月17日 (火)

「大陸は何故あるの?」のブログ、始めます

 これは、一見、「空はどうして青いの?」、「月は何故できたの?」という、幼児が発するのと同じタイプの素朴な質問に見えます。こういう質問に対する答えは、一応、科学書などを調べれば出てくるでしょう。ところが、「大陸は何故あるの?」という問いに対しては、答えがないばかりか、問いかけそのものがないのです。「大陸がどのように移動したか?」を問うものはあっても、「そもそも大陸自体がどのようにして生まれたのか?」を問うものは、浅学のせいか、見たことも聞いたこともありません。

 バケツの中に砂を入れ、砂山を作る、と想像してみてください。次に、バケツの縁のほうから静かに水を注ぐと、ミニチュアの大陸と、海とができます。さて、この砂の大陸に水をかけたとしたら、大陸は崩れ、水中に没するはずです。もしもバケツをゆすったとしたら、その過程はもっと早まります。

 次に、水中に没した砂の大陸を、元通りに、水面上に隆起させる方法を考えてみてください。外から新しい砂を足す以外の方法があるでしょうか? 手で水中の砂をかき回してみても、大陸は隆起しません。……いくら考えてみても、私には、その答えがありそうに思えません。

 マントル対流とか、火山の噴火とか、大陸の衝突とかという説明を聞くと、陸地の隆起って、当たり前のことのように思えるのですが、砂と水、という簡単なものに還元してみると、大陸の生成って、地球内部からのそうした働きによっては、できるはずもないことなのです。

 地球には引力があり、全ての方向の物質を、地球の中心へと引っ張っています。そのために地球は、内核、外核、マントル、地殻、海洋、大気圏、成層圏と層状になっているわけです。しかも、中心からの力が全方向に均等に働くため、それら全ての層は、球形になっています。ところが地殻においてだけ、陸地が海洋よりも部分的に突出しています。これは、おかしなことです。

 本来ならば、比重の大きいものは下にあるはずです。カクテルにプース・カフェというのがあり、私も若い頃に作ったことがあります。何種類かのリキュール類が、比重の大きい順に、下から層状に重なります。別名をレインボー・カクテル、と言ったと思うのですが、注意深く作ると、本当に虹のような、カラフルで美しいカクテルができます。作るポイントは、長い柄のスプーンに液を伝わらせて、少しずつ静かに注ぎ、下の液と混じらないようにすることです。こうすると、ほんのわずかな比重の差でも、きれいな境界ができます。

 地球でも同様に、比重の大きい順に、下から重なっていなくてはなりません。水と油ほどの比重の違いがあれば、プース・カフェの場合のように注意しなくても、油は水の上にきます。岩石と水との比重の違いは、油と水どころではありません。気体との混合物である軽石を除けば、岩石が比重の小さい海水に浮かぶ、などとは考えられません。つまり、岩石を砕いて砂状にしたら、あるいは高温で溶かして溶岩状にしたら、岩石が、海水面の上にくるはずはないのです。

 現在最も受け入れられているマントル対流論によれば、地殻の下にあるマントルには対流があり、下から湧き出してきたマグマは、水平に移動した後、海溝で沈み込むとされています。その時に、花崗岩は下の玄武岩よりも軽いので、浮きかすとして沈めずに、大陸を形成する、というのです。もしも花崗岩が軽いのなら、「そもそもどのようにしてマントルに潜り込めたのか?」という問題もありますが、今は、そのことは置いておきましょう。

 ここで問題になっているのは、花崗岩が軽いといっても、それは玄武岩に対してであって、水に対してではない、という点です。マントルに対流があって攪拌しているとすれば尚のこと、岩石である花崗岩が、海水面上にきてはならないのです。それはまさに、「バケツの中の砂をかき回して、水面上に陸を作れるか?」という問題と同じです。

 というわけで、「どうして大陸があるの?」という問いかけは、単純素朴であるように見える割には、かなり根源的かつ困難な問題であるはずなのです。私は、これからこの問題を、ブログの形で少しづつ書いていくつもりです。火星の地形の成因について、太陽系の生成についても語ります。地震や地震予知の問題も扱います。恐竜の絶滅についても書くつもりです。唯一の理解者であった松本清張氏についても書きます。

 大陸の形は、メルカトール図法で描かれるようにばらばらなものではありません。全ての大陸は、今でも一繋がりです。そのことを図として示したら、私の言いたいことがみんなにも理解してもらえるだろう。分かってもらいたい一心で、長いことかけて「大陸の世界地図」を開発したところ、幸いにも、米国の特許が取れました。それについてもお話しします。

 以前、英文のニュースレターを5年半ほど出していたことがあります。学者や研究者との手紙の交換で、激しい論争になったこともあります。そのニュースレターを和訳していこうか、とも計画しています。

 軽い話題でもなく、写真や図(どのようにしてコンピュータに取り込んだらよいのか、転用したい図の許可を取るのはどうしたらよいのか、など、今のところ分からないことだらけです)を多用することもないので、多くの人に読まれる、ということも期待できません。しかしたとえ数は少なくとも、「こんな考え方もあるのか」と目からうろこの思いをしてくださる方が必ずやいるはず、と信じています。

トップページ | 2010年9月 »