2022年11月 5日 (土)

旧統一教会問題を考える その1

政権政党はウイルス感染していた

 私は友人への手紙で以下のように書いた。918日のことである。

 [このところ、旧統一教会のニュースを見続けています。最初のうちはむしろスルーしていたのですが、テレビ朝日のワイドスクランブル(93)を見てこの問題の根深さに気付きました。アメリカに文鮮明の七男が開いた分派があり、そこの合同結婚式では皆がライフル銃を手にしている、とありました。しかも彼を含む数名は、銃弾を王冠にして被っています。これは、「武器を保有、携帯する権利」を憲法で保証しているアメリカならでは許される宗教儀式です。しかし他国で、そこの国民以上に過激な行動は、日本人には全く考えられないことです。ロサンゼルス暴動時に、屋根の上で銃を構えて自分の店を守った韓国人と言い、ガッツの凄まじさに、むしろただ感心するだけです。

 ネットを調べていくと、旧統一教会を束ねている文鮮明教祖の未亡人のことを七男は批判しています。なるほど山上容疑者が言っていたのはこのことか、と納得しました。派閥のどちらかを倒しても反対派を喜ばすだけでしかない、ということで安倍元総理を狙ったそうです。結果からすると確かに、教団に最大のダメージを与えたことは間違いないでしょう。日本を食い物にする吸血の構図や日本の政治に巣食う黒い意図が明かされました。山上容疑者が銃を自作出来たことと言い、教団への影響に対する思考法と言い、恐ろしい程の頭の良さです。

 日本のテレビを見ていて物足りないのは、教団の奇妙な理論を紹介程度で、深く掘り下げない点です。韓国を植民地支配した日本は罪深い悪魔の国である。日本の信者は贖罪として、高額商品を買い、桁違いの献金を貢がなければならない。などというのが教祖以来の教義のようです。

 韓国人は優秀である。日本は悪魔の国である。などと独善的な理屈を持ち出されて怒るべきが当然なのに、簡単に教義を信じ込み、おかしな儀式に巻き込まれ、破産するまで貢がされーーー。そうした被害信者の入信時の心理を知りたいのですが、マスコミには被害者を責めないという不文律があるのでしょう、そうした側面に深くメスを入れることはありません。

 こうした独善的な教義を知って納得のいくことがあります。慰安婦や徴用工の問題を見て、一部の韓国人は謝っても謝っても許さない人たちなのだ、と思っていました。しかし今回上述の教義を知って、謝るかどうかが主目的ではない、と気づきました。日本人から金を出させることこそが本当の目的みたいです。ここ数十年来の日本人はよほど甘いと見られているのでしょう、甘い汁を吸い取られっぱなしです。韓国の30万人の信者からは搾取せず、60万人の日本人信者がもっぱらの資金源となっているという報道もありました。また、4200人もの信者の団体が、南米の銀行に現金を預けに行ったという話もあります。マネーロンダリングだそうです。外国の宗教団体に結婚相手も決められ、破産するまで献金させられ、地球の裏側にまで金を運ばされ、まるで羊の群れのように意のままにされています。何だか、そういう人たちの存在そのものが不愉快な気もします。

 勝共だの反共だのというのはお題目だけで、金日成、金正日親子に莫大な贈り物をしたそうです。自動車工場を立ち上げ、それを無償で譲ったとも言われます。日本人信者からの献金が回り回って北朝鮮に行き、核兵器やミサイルになっているということです。

 政権政党にかなり深く入り込んでいるというのも気になるところです。ひょっとしたら韓国や北朝鮮に重要な情報が流れているのでは、という恐れもあります。まるで新型コロナと同じで、無症状でも感染しているみたいなことでしょうか。とすると山上容疑者は、後世の歴史家から暗殺犯としてよりも、政界に浸透していたウイルスを明るみに出したPCRや抗原検査の、試薬のような存在として重要視されるかも知れません。]

 上のように書いた後も1か月以上、旧統一教会問題を追っている。マスコミのキャンペーンは大したものだと思う。毎日のように教会の会見や信者家族の言葉を扱い、うやむやにしようとしていた政治家たちもついに折れ始めた。記憶喪失・往生際最悪大臣は辞任し、首相も前日の言を翻したりした。

 しかしながら、上掲の文章でも分かる通り、私の考え方はマスコミとは違っているみたいだ。宗教の名のもとに日本から莫大な金を吸い上げ、韓国経由で北朝鮮、アメリカ、南米で使っている金の流れの構造が問題だと私が考えているのに対し、マスコミの関心は被害信者家族の救済と解散命令の実現とにある。

 そしてそれらよりも更に重要なのは、政権政党が彼らの影響を受けているという点である。それはまるで、新型コロナウイルスに感染してはいるものの無症状のままという状態であった。日本の政治家は、目先の選挙協力に目が眩み、将来どのように大きな危険を担わさせられるのか、見えていないようである。例えば、日韓親善を名目の日韓海底トンネルも、日本侵略を目論んでの布石かも知れない。もしも私のその危惧が正しいとすれば、何とも恐ろしい計画を内に秘めた教団である。

 

2021年12月 2日 (木)

ウイルスとの戦い その9

感染者数激減の理由は国民性にあり

 数日前の友人への手紙で私は以下のように書いた。

 [東京では新型コロナ感染者10人以下の日もあったりして、みな首を捻っているようです。私もその謎についてを語る番組が好きで、色々なニュースショーを見てきました。この前見たのでは、9人の専門家の殆ど全てがワクチン接種率の高さを挙げていました。ワクチン接種率が同じ位の国はいくらもありますが、最初の頃に出遅れ、その後体制が整ってきてから急激に接種率が伸びたのがかえって良かったと或る人は言います。日本人の抗体がまだ減ってないのだろう、というのです。その程度の差だけで、と疑問は残りますが、面白い意見です。

 他の番組ではマスクの差を挙げていました。日本では一口食べてはまたマスクをし、という人も多いのに、ヨーロッパでそんな食べ方をしている人は誰もいません。イギリスのサッカー観戦と日本の野球観戦とが比較として出ていましたが、マスクと言い、騒ぎ方と言い、全くに違っていました。

 ただスエーデンなどでは、マスクをしないのにさほど感染者が増えていないというニュースを以前見たことがあります。その後どうなったかは分かりませんが、このウイルスは本当に謎だらけです。東アジアの人間は遺伝子的にヨーロッパ系とは違うという意見もありました。しかし、韓国で感染者が増加しているとなると、その説は通用しないかも知れません。いずれにしても、ワクチン接種率はほぼ同じヨーロッパで現在感染者が急増している、という事実だけが残ります。

 私にとっても謎は謎なのですが、独自の推測があることはあります。日本で急増した時期は、東京オリンピックが開催された頃でした。あれだけの催し物があって人の心が浮き立っていたら、感染拡大に直接間接の影響を及ぼしていたはずです。それなのに専門家は誰1人として、感染拡大とオリンピックとの関係性を問題にしません。何だか日本人全体が、あのオリンピックに触れたがらないかのような気さえします。

 私の推測によれば、もしもあのオリンピックがなかったならば、第5波はなかったか或いは低い山で済んでいたかも知れません。あまりの急勾配で感染者数が増加していくのを見て、日本人は非常な衝撃を受けたのではないかと思います。それによって、より強い危機感を持って自粛した結果、あのような急激な減少をもたらしたのでしょう。

 それにしても、こういう場合の日本人の集団的な自粛行動は見事とすら言えます。「マスクをするしないは個人の自由だ」「ワクチンを打たないのは権利だ」などと言ってデモまでする欧米人とは全くに違います。おそらく、地震や台風、洪水などの巨大災害にしばしば襲われる国に住む民の国民性なのかも知れません。]

 もしも今回の感染者数激減が単なる一過性の現象ではなく、オミクロン株をも大過なく乗り越えられたとすれば、上掲の友人への手紙でも書いたように、日本人の国民性が関与しているのだという可能性は更に強くなる。日本人は自ら進んでマスクを着けたり、手の消毒を頻繁にするなど、社会的な共通認識になっている問題には自発的に協調する傾向を持つ。しかも感染したくない主要な理由の一つが、他の人に迷惑をかけたくないから、であったりする。東日本大震災時に、被災者の整然とした行動が世界を驚かせた。最近では、大谷翔平選手の小さな善行が、アメリカ人にすら評価された。落ちているゴミを拾うほどではなくとも、町を汚さないために自分から協力したいという意識は、日本人ならば誰もが持っていることだろう。もしも国民の自発的協調が感染拡大を防ぐ武器になり得るのだとしたら、世界を再び驚ろかすことになる。

 

2021年7月13日 (火)

災害先進列島 その10

東京オリンピックを3年後に

 友人への手紙に、私は次のように書いた。
[先日チャンネルを探している時に、キャリア官僚の給付金不正受給のニュースを偶然に見ました。高校時代の同級生2人がどちらも慶応大学に入り、後に経済産業省の同じフロアで働くようになったということです。給料額を超える家賃のタワーマンションに住み、高級腕時計やブランド品を購入し、という贅沢生活を送っていたことで内偵が入り、550万円を詐取した容疑で逮捕されたようです。
高校は神奈川県の有名私大付属とありますが、名前は出て来ません。子供の頃からエリートコースをまっしぐら、一人は慶応から東大に移ってまで到達したエリート官僚のポスト。それなのに、それまでの努力を全て無にしてしまう犯罪に、何故手を染めてしまったのだろうか?と不思議に思います。
私がこの事件に興味を持つのは、元慶大生の犯罪だからというだけではありません。クレジットカードというシステムの存在もあり、今の世の中では収入以上の贅沢が簡単に出来てしまいます。その借金の穴埋めをするために、犯罪に走る者も出るということなのかも知れません。
「収入以上の贅沢」は国家にも言えます。新型コロナ対策で多大な出費が必要な時期に、オリンピックを強行しようとしています。海外からの観客や観光客からの出費を見込めず、国内の観客数にも制限がかかる中、莫大な赤字になるのは目に見えています。祭りの後の火の車が心配です。
そう言えば、美空ひばりの歌に似たようなのがありましたね。「お祭りマンボ」は、祭りに夢中になりワッショイワッショイやっているうちに家が火事になっていた男の話で、「あとの祭りよ」という落ちが付いていたと記憶しています。オリンピックの後、ため息つくようなことにならなければいいなと思います。]
 
 オリンピック後に財政破綻するのではないかという危惧は、2019年にも書いている(災害先進列島 その9)。その中で[オリンピック開催国に、そうした嘘やズルをしてまでのメリットがあるものだろうか?終わった後の収支を知ってみたい。----「借金体質による崩壊」というもう一つの"台風"がついそこにまで迫っている、と思われてならない。]と書いた。
 
 私の持論は「延期」である。こんな直前になって現実性は全くないが、もしもデルタ株が更に猛威をふるい、ドタキャン止むなしの状況になった場合のために書いておく。
 
 「延期」といっても「来年に」ではない。パリ、もしくはフランスと交渉して、2024年の開催権を譲ってもらい、パリには2028年に移ってもらう。そして可能ならば猛暑の7月にではなく、5月のゴールデンウィークかその周辺にして貰えばいい。減額される放映権料によるIOCの収入減少分は、日本が補償する。それでも充分に採算が取れるほど、日本の収益は大きくなるはずである。
 
 ゴールデンウィークには海外旅行に出かける日本人も多い。3年後ならば空室が多い都心のホテルを、海外からの観客や観光客で埋められる。会社が休みで通勤ラッシュがないために、観客らによる交通渋滞も緩和される。マラソンも北海道に移さなくてよい。選手の健康にとっても最善。折角に建てた施設を無駄にしなくてよい。まさに一石数鳥である。
 
 3年後ならば、コロナ禍で失なった損失を取り戻すだけではない。官民一体となって、最大の収益を上げるための計画を立て直すことが出来る。日本には、国家に収益を上げさせるという考え方がない。政府もメディアも、給付金、支援金、補助金、助成金、休業補償など言葉は変われど全て、公から私への金の流れだけを議論する(ウィルスとの戦い その3、その5、その7)。冒頭の官僚の犯罪は、そうした風潮の中で生まれた、というべきかも知れない。東京オリンピックを機に、「税金以外で国が儲ける方策」についてを議論してもらいたい。

2021年2月25日 (木)

ウイルスとの戦い その8

日米のワクチン開発

 最近では月1回の更新すら難しくなった。そこで、友人に書いたメール(2月10日に送信)を引用して1回分とする。

 [2月4日にファイザー社の1回目のワクチンを受けました。保険会社から医療関係者と75才以上者への誘いがメールで入り、予約を取りました。ニュースではアメリカのワクチン接種は遅れているとのことですが、もう既に我々よりも先に受けた知人が3組もいたり、接種会場でのスムーズな進み具合からして、結構順調に進んでいる気がします。

 列に並んでいた時に、妻がソーシャルディスタンスを守らず前の女性に近づこうとします。まるでリーシュ(犬の手綱)を引っ張るしつけの悪い犬のように、腕を握った私の手を引っ張るのです。前の女性が振り返って、「あそこのベンチに座らせたら?」と言います。どういう意味かわからず、とりあえず「私の妻はアルツハイマー型認知症だ」と言ったら怪訝な顔をしていました。後で考えて、妻が疲れて駄々をこねているとその女性は思ったのでしょう。

 それからしばらくして、遠くの方から近寄ってきた別の女性が声をかけました。妻ともみ合い、羽交い締めしたりしている私をアビューズ(虐待)だと思ったのでしょう。再び認知症だと説明したのですが、「私が面倒みようか」と余計な提案を。ソーシャルディスタンスなのに何言ってるんだ、と思ったものです。日本の「知らんぷり」の文化が問題になっていますが、アメリカのお節介の文化も私には煩わしいです。

 防疫に乗り気でない大統領のもとで尚、2社がほぼ同時に世界最速でワクチン開発出来たということに感心します。しかも、イギリス製のなどに比べても、両社とも90%強と驚異的な有効率を示しています。やはり、アメリカ企業の底力と言うべきでしょうか。

 家電や自動車の衰退でアメリカはあのまま駄目になってしまうのかと思っていたら、シリコンバレーのコンピュータ産業の勃興で、見事に蘇りました。本の注文だけに使っていたアマゾンが、これほど巨大な企業になったことも驚きです。他に私が注目するのは、電気自動車のテスラです。もう既に巨大産業化し、ショッピングセンターのパーキング場には充電器がズラッと並んでいたりします。環境問題を重視するバイデン氏が大統領になったことで、株価が上昇したとも言います。トヨタを超えて世界一の自動車メーカーになるとも言われています。

 慶大教授が8輪の電気スポーツカーを開発したのは、もう20年近く前のことです。テレビあるいは科学雑誌でそれを知り、その将来性を期待したのですが、日本では三菱以外まったく興味を示しませんでした。中国に実用化の話をもっていった、という話を聞いてがっかりしてしまいました。当時の日本の経営者には、ハイブリッド車までしか見通せなかったようです。電気自動車は、非現実的な夢物語でしかなかったのでしょう。宇宙開発など、アメリカ人は夢物語だと尚のこと燃えるのに対し、日本人は現実的で安全志向のようです。

 ワクチン開発にしても、アメリカ人は困難だからこそ尚のこと燃えたのでしょう。フロンティア精神と関係があるのかどうか。日本政府は最初から自国で開発するのは諦め、外国産を買うことだけしか考えてなかったみたいです。政治的な配慮で後回しにされたり、高値になったり、ということがあるかも知れませんね。日本で自力開発する技術的能力は、もともとなかったということでしょうか? 貴方のご意見は昔から興味深かったです。これからもいろいろお聞かせ下さい。]

 このメールを発信した後で、テレビで偶然に、国産ワクチンについてのニュースを立て続けに見た。塩野義製薬は年間3000万人分のワクチン製造体制を構築中だと言う。しかし、「年内にも臨床試験の最終段階」というのにはがっかりした。1年近く待たなければ、有効率や安全性に対する疑問にも答えられない、ということである。まだまだ、実用的であるのかどうかも分からない。それでもなお国産ワクチンの開発にこだわるのは、戦略的な理由によるらしい。

 もしかすると、国産開発の能力がない国には足元を見て値を釣り上げる、なんてことがあるかも知れない。1瓶あたり5回の接種ということで決められていた値段が、1瓶で6回の接種が可能と分かって、その分余分に払えと言ってきた、とかのニュースを見た。また、今後も毎年買い続けなければならないかも知れない。このまま数社による寡占状態が続くようでは、世界各国による奪い合いが避けられない。更に、日本独自の変異株が発生した場合、特殊なケースとしてすぐに対応してもらえないかも知れない。

 つまり、国産ワクチンを開発する必要性は、国防や大災害に対する備えと同じレベルの問題なのだ。実際に使うか否かは別にして、いつでも実用可能な段階にまで研究開発を進めておく必要性がある。

 とすれば、政府と関係企業とは一丸となって、新型コロナが発生した初期の段階から、Go To キャンペーンなどではなく、国産ワクチンの開発を急ぐべきであった。せめて2~3ヵ月の遅れ程度で、米英のワクチン開発を追走して欲しかった。

2020年11月21日 (土)

人生最大の失敗 その3



大陸は今も一つに繋がっている

 いま私は、ニューヨーク・タイムズ紙にほぼ全頁大の広告を出そうとした時の自信の大きさについて語ろうとしている。本来なら、広告を出した1991年時点での自信の強さだけを語るべきなのかも知れない。しかし前回「プレート説の最大の欠陥は『形』である」と書き、「重い鉄がマントルから地表に出てくることは出来ない」とも書いた。その流れで、10年も後になって気づいた話を広告の経緯よりも先にする。

 2001年秋、世はニューヨークでの同時多発テロ事件で騒然としていた。私も、世の雰囲気の中で憂鬱になっていた。どうやら私の説が世に受け入れられることはなさそうだ。もういつ死んでもいいよな、という気分になっていた。その年の瀬も押し詰まったころ仕事先で、いつもながらの繰り言を考えていた。「だけど悔しいよな。図で示せればもっと分かってもらえるかも知れない。大陸を中心にした世界地図があれば、ヤスーンの落下を納得してもらえるのに。そんな地図を作ってくれる専門家、誰かいないかなあ」。もう何十回となく繰り返してきた愚痴に過ぎなかった。しかしそれから先が、その日は違っていた。

 先ず頭の中に、お椀を伏せたような半球状の地球儀をイメージする。その上で、頂点を指で押し込む。するとこの地球儀は半分の高さになる。次にその凹んだ地球儀の、一番高い縁を押し込んで高さを更に半分にする。これを繰り返していくと、レコード盤のような波型の平板が出来る。これは新しい世界地図作成法である。今までの投影法だと、数学的素養のない素人には歯が立たなかったが、この方法ならば自分でも出来そうだ。しかも新しい方法なので、アメリカの特許を取得出来るかも知れない。私の憂鬱はすっかり消えた。

 何度もの繰り返しになるが、地球は本来丸いはずである。中心への引力により均等に引っ張られているので、地表は球面になり、海が全てを覆うのでなければならない。ところが現実には大陸がある。ウェゲナーはたった一つの大陸、パンゲアがあったことを前提にしたが、そんな大陸があったとするそのことこそが、解明しなければならない最大の謎なのだ。彼は「大陸と海洋の起源」という著書を1915年に出版し、後の「プレート・テクトニクス」の大もとになったが、その第一章で「パンゲアの起源」を問うべきであった。

 パンゲアが存在したか否かは別にして、大陸は今も偏在している。北半球に陸地が多いのはよく知られた事実だが、北極点をフランスのロワール河口に移すと更に陸地面積が増える。この新しい半球は陸半球と言われ、その反対の半球は海半球(水陸の対比から水半球と呼ぶのが一般的だが、大陸・海洋の対比の方がより特色を捉えていると思う)と言う。海半球の中心点はニュージーランドのすぐ南の海洋中にあり、ロワール河口の対蹠点(たいせきてん、正反対の地点)にあたる。陸・海半球の境界線は特に太平洋周辺において目覚ましい。極端に言えば、地球は半分笠を被った丸いドングリのような形をしている。

 私はこの陸半球の地図を作るためにアナログなやり方をした。ロワール河口に鋲を突き刺し、等間隔に穴をあけたペラペラの定規を使って、地球儀上に線を引いた。線によって区切られた区画の中の地形を、厚紙上の区画に写しとっていく。そして最終的に、陸半球の円を描いた。同様にして海半球の円を描いた後、その円を半分に切った。幸運なことに、海半球の中心点を通り、大陸を分断しない直線が引けた。

 そうして出来た四半球を、陸半球本体に繋げた。陸半球と海半球との間の境界線によって分断されるのは主に2カ所である。南米大陸をゾウの横顔として例えると、丸い顔の輪郭がそのまま分断線になる。顔から垂れた鼻は海半球に入る。その部分を含む海半球の四半球を南米大陸が繋がるようにして接続する。アジアではインドシナ半島、マレー半島において分断されている。分断されたかけらを含む海半球を、それらがうまく繋がるように陸半球に接続する。このようにして作ったのが下の図である。パテントに使用した図は白黒なので、陸半球・海半球のカラー地図を探していたが見つからなかった。結局、地図を作ってくれる人をネットで探し、注文した。それも、標高で色分けしてあるだけで、山脈が立体的ではなく、位置もあいまいである。特に南極大陸とグリーンランド、アフリカ南部が高地になっていて、私が本当に求めている形ではない。

 残念なのは、日本列島が分断されてしまうことだ。ロワール河口を中心とするからである。150キロほど北もしくは北東に中心点を移動させると、房総半島、紀伊半島、四国、九州など切らずに済む。北へ行くと、満潮時に島、干潮時に陸続き、になる修道院で有名な、モン・サン・ミシェルがある。サン・モロ湾にあると言われるが、それではよく分からない。フランス西海岸に突き出た2つの大きな半島の間の、90°に開いたV字湾のほぼ最深部にある。北東に行くとオート・レースで有名な町、ル・マンになる。

 日本を分断させないように中心点を移動すると、南米大陸の面積が削られる。大陸の面積がまとまっている分、半球全体の陸地面積も小さくなる。モン・サン・ミシェルにするかル・マンにするか、それとも他の地点にするか、専門家に決めてほしい。

 このようにして、大陸中心の世界地図が完成した時の喜びは例えようもなかった。何よりも、左右にバランスが取れていて美しい。大陸は今でも一つなのだ。私はこれを「大陸の世界地図」もしくは「大陸のプロフィール」と名付けた。赤道中心の通常の世界地図とは違い、大陸が一つに繋がっていることをはっきり示している。更に、山脈の繋がり具合が歴然としている。固い隕石の落下は、はっきりとした円形の高まりを周囲に造る。ヤスーンは軟体だったので完全な円形ではないものの、隕石落下と同様な丸みを帯びた高まりを、大陸の周辺部に形成した。

 金銀など、比重の大きい貴金属の歴史的に有名な産地は、こうした周辺の山脈にあることが多い。北米のシェラネバダ、南米のアンデス。日本もかっては一大銀輸出国で、銀と交換に、鉄砲、大砲、弾丸用の鉛などを輸入していた時期があった。程度の差に過ぎないとは言え、ヤスーンの落下時に重金属は遠心分離され、周辺の山脈に蓄積された。したがってヤスーン仮説からは、「南極大陸に金銀ほかの重金属が膨大に埋蔵されている」と予測される。
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2020年10月16日 (金)

人生最大の失敗 その2


 ヤスーン仮説の正しさを確信

 前回も書いたように、1967年私は新しい大陸誕生仮説を思いついた。大陸のもととなった「失われた月」を「ヤスーン」と名付け、仮説全体系を「ヤスーン仮説」とした。もしもこの説を思いつかなかったとしたら私の人生はどうなっていただろう、と時々思う。松本清張氏との出会いもなく、私をモデルにした短編小説(南半球の倒三角)を書いていただく、などという僥倖もなかったことになる。清張氏とお会いした時、小説が出版された時などに、かって経験したこともないときめきを覚えた。Img_20201008_0003

 世界的な地球物理学者、金森博雄教授(元カリフォルニア工科大学地震研究所長)とは、1977年に初めて研究所を訪れて以来、20回ほどもお会いしている。3〜5時間の議論の後は決まって寿司など、食事を共にした(カテゴリー「金森博雄教授」内の数々の記事を参照)。もしもヤスーン仮説を思い付かなかったなら、教授とこれほど親しくお付き合いすることなど決してあり得なかった。特別な職業的才能を持たない私は、清張氏や金森教授のような一流の人たちとお会いする機会もなく、何の変哲もない人生を送っていたことだろう。

 仮説を思い付いたことによるもう一つの幸せは、100パーセントその正しさを信じ切れる、という点である。「自ら省みて直くんば、千万人といえども我行かん」(孟子)という言葉があるが、まさにその言葉通りの心境である。思い付いた1967年当時、プレート・テクトニクス説(以下プレート説)は、未だ世に広まってはいなかった。丁度、学会内で誕生した頃でもある。私がもたもたしている間に、プレート説は学界全体から認められ、今では一般大衆でさえも知る定説となった。しかし、プレート説には数多くの重大な欠陥がある。

 私からすれば、100も200もの疑問を提示できる。中でも最大の欠陥は「形」である。マントルから対流が上昇するとしても、それは点もしくは上昇域のはず、大西洋中央海嶺のような線状にはならない。それも、単純な線ではない。大西洋両岸の大陸に相似形の複雑な線形である。そんな対流など、あるはずはない。Img_20201015_0002

 また、対流の下降域は蜂の巣型をしているはずである。或いは、対流の流れの方向に対して外側に張り出した弓張り形をしているはずである。ところが太平洋の西側は、大陸側から張り出した花づな型をしている。この形は海洋起源ではなく、大陸起源であることを示唆している。つまり形の上からすると、プレート説は上昇域においても下降域においても成り立たないのだ。

 プレート説を歴史的に見ると、大西洋両岸の大陸の海岸線が似ているという、これも「形」から始まっている。アルフレッド・ウェゲナーが大陸移動説を提唱して、海岸線が相似している理由を説明した。ところが何が大陸を動かしたのか、という原動力論において当時の学界に受け入れられなかった。それに対しては、アーサー・ホームズがマントル対流論を提唱した。しかしマントルに対流があるとすれば、一般の球体内で起こる対流と、同様なものが起こっているはずである。何故その肝心な部分を、実験なり何なりで証明しようとしないのであろうか? 

 大陸移動の原動力がマントル対流だとされた時点で、実際の地形との照合が行われなければならない。しかし原点に立ち返って、そんな照合なり証明なりを試みる科学者は皆無である。「マントルに対流があり得るのか?」「大陸は本当に移動したのか?」などとプレート説の根拠を問う者は、何十億の人類の中で、私一人だけなのだろう。

 本来は「対流というのはこういう形で起こるはずである。従って、この辺りにこういう形の下降域が出来るはずだ」などという予測が先に立てられ、結果がそれに伴うのでなければならない。ところが現実には、地震や火山の多い地帯が恣意的にプレートの境界として定められ、そこが対流の下降域だとされる。これは、仮説〜推論〜検証の正しいプロセスから、明らかに逸脱している。単に「地震や火山が多いのは何故か?それはプレートの境界だからだ」と別の理由付けをしたに過ぎない。

 プレート説を説く専門家とは違い、私には「地球科学の現象を何とか説明しなければ」という必要性は全くなかった。何度も書いてきたように、私は「地球にはかってもう一つの月があり、それが落下して大陸になった」というアイデアを偶然思い付いただけである。それから初めて地球科学の本を読み、調べれば調べる程に自信を深めた。数多くの現象が、矛盾なく導き出されるのだ。「大陸や山脈の形が何故弧状の輪郭を持つことが多いのか?」「大西洋中央海嶺は何故両岸の大陸と相似形をしているのか?」「山脈は何故大陸の周辺部にあることが多く、かっては海底にあり、沈降と隆起を繰り返すのか?」などの設問に答えることができる。

 もう一つの例をあげる。最近、鉄についてのテレビ番組「アイアン・プラネット」を見ていて矛盾していると思った。一方で「小さな天体が集まり惑星が形作られ、重い鉄は内部に沈み、中心にコア(核)を作る」「地球が誕生して間もない頃、鉄はその内部に集まっていた」と説明しておきながら、他方では「マグマの噴火が繰り返されたことによって、鉄は次第に地表に現れるようになる。およそ38億年前になると、海の底に分厚い鉄鉱石の層が形作られる。それが長きにわたる地殻変動によって地上に姿を現す」と言う。

 重力によって内部に沈むはずの鉄が、どうしてマグマと一緒に地表に現れることができるのか? マグマがマントルやコア由来ならば、そしてマントルが対流可能な程に可塑性に富むならば、重い鉄が地表に出てくることは出来ない。それなのに地上には、鉄などの重金属がある。それは、原始地球の地殻がいったん固化した後、重金属のコアを持っていた天体が空中で分解しながら落下、原始地表に広がったためである。つまりヤスーン由来の鉄は、今もマントルに沈み込めずに地殻に残り、我々人類がその恩恵を受けているのである。

 

 

2020年9月23日 (水)

人生最大の失敗 その1

ニューヨークタイムズ紙にほぼ全頁大広告

 ここのところ、自分の人生を総括している。

 私は中学生の頃から数多くの失敗を繰り返してきた。当時は自分自身を過小評価し、劣等感の塊になっていた。自分の長所を伸ばすのではなく、短所を治そうと努力した。高校時代にはあまりにも自由な校風に慣れるうちに、向上しようとしないことの楽さを覚えてしまった。一浪してやっと真剣になった。しかし先の見えない浪人生活のストレスへの反動で、翌年受験に成功すると、再び楽でイージーな生活が続いた。

 私が慶応大学で哲学を専攻したのは、どうせ就職が出来ないならば、世の中に一番役立ちそうにない学問を、というひねくれた理由からだった。幸運だったのは、当時の慶応は英米系の科学哲学が主流だったことだ。ドイツ流の観念哲学やフランスの実存哲学であったならば、授業に出るのすら止めただろう。更に大きな幸運は、沢田允茂、大出晃というそうそうたる教授陣が揃っていたことである。彼らが熱意を持って記号論理学を教えていて、科学を好きな私にはぴったりだった。授業は楽しく、出席した時には真剣に聞いた。

 職業的な才能を全く持たない私は、卒業して渡米してから、掃除夫、ガーデナーなど、肉体労働者になった。ヤスーン仮説を思いついたのは、私のこうした落ちこぼれの経歴による。世の大多数者は「大陸はどうして生まれたのだろう?」などという役にも立たない疑問を持ったりはしない。「そんな疑問は学者や専門家に任せておけばいい」ということなのだろう。私は逆に、人が気づかないような疑問を考え出そうとする。

 大陸移動説で有名なアルフレッド・ウェゲナーは、なるほど大陸の移動を考えはしたものの、大陸の生成を考えた訳ではない。「大陸という突出が地球内部の内在的な力で生まれるはずはない」という議論は、このブログの第1回目「ブログ始めます」の時にした(今読み返してみると、もう10年も経つのに、予定していたトピックの多くにまだ全く触れてもいないので呆れる)。その時は「地球の引力によって比重ごとに層を成すはずだ」と書いた。地球の引力は、エントロピーと同様、不可逆的な1方向への力である。大陸や山脈は、絶えず低くなるようにという力を受けている。その場の中で、マントル対流が大陸や山脈を隆起させ得た、とは考えられない。大陸の移動を可能にするためにマントルは可塑的であり、半流動的でなければならない。ところがそうなると、土台であるマントルは、上に載る大陸や山脈を支え切れない。バケツの中の砂山に水を注ぎ、それでも砂山を隆起させられるか?という、その時の思考実験を検証してもらいたいものである。

 「そもそも大陸が何故生まれたのか?」を疑問に思う者は私だけなのかも知れない。他にも通常の人が思いつかない数々の疑問を持つ。それらの中には例えば、「陸上の鳥は長いこと、かなりの高温で卵を温め続けなければ孵らない。しかし卵というのは本来、水中でほぼ水と同じ温度で孵っていたはずなのだ。鳥だけではなく、哺乳類の体温も高い。水温と同じ低さでも魚のように生物として生存可能であったはずなのに、鳥や哺乳類は何故高体温になったのか?」という疑問もある。

 カール・セーガンは、彼の晩年の著書「カール・セーガン科学と悪霊を語る」(青木薫訳、新潮社、1997)の中で「子供たちの多くは、生まれながらの科学者だ」と語っている。[子供たちは好奇心にあふれ、何でも知りたがる。鋭い質問が次々と飛び出してくるし、納得するまで質問をやめない。この年齢の子供たちは、「くだらない質問」というものがあるなどとは聞いたこともないのだ。]と言う。

 ここでいう子供は幼稚園児か小学一年生だが、NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる!」のチコちゃんも「永遠の5歳児」という設定になっている。どうやらその年ごろの子供は、洋の東西を問わず特殊であるようだ。私の大脳の或る部分は5歳児のまま、発達障害を起こしたのかも知れない。このブログのタイトルを「大陸は何故あるの?」とあえて子供言葉にしたのも、その年ごろの子供たちがする本質的な質問、ということにしたかったからである。

 1967年11月、私設体育館の掃除夫をしていた私は、ある雑誌に出ていた大陸移動説の記事を読み、「移動が何故起こったか」と考えていた。「そうだ、かってもう一つの月があり、それが落下し、大陸にぶつかって動かしたんだ。いや待てよ、その月が大陸になったんだ」と思いついた。大陸は地球内部から生まれたのではない。外から別の天体が落下して出来たのだと考えると、完全な球体でなければならない地球に、大陸という高まりのある理由が説明できる。しかも、小天体同士が衝突、合体を繰り返しながら惑星に成長した、という太陽系生成説にもよく合う。

 私は紛れもなく、真理を見つけたと思った。「借金してでも世に広めよう」と何度か思った。最初は思いついてすぐ、日本で学者に聞いてもらおうと旅費を借りた。2度目は1976年、自費出版で「ヤスー」というタイトルの本を出した時に。そして3度目は1991年5月14日、ニューヨーク・タイムズ紙にほぼ全頁大の意見広告を出した。この時が一番多額の金を使った。娘たちは「たった1日で、高級車を買えるだけのお金を使った」と言って批判した。しかしこの時が、最も成功に近づいた時でもあった。

2020年8月24日 (月)

ウイルスとの戦い その7

公金を使い果たしてしまったら

 新型コロナ感染のピークが4月にあり、5月に入って一旦収まってきた。これは私にとっては嬉しい誤算であり、「日本の奇跡」だと思った。しかしそんなことはなく6月になると再び増え始め、7月には何度も何度も過去最多記録を更新し続けた。呼び方として4月のと区別するために「第2波だ」とするのは間違いではないが、実質的には両者は一体であり、6月以降の伸びの方が本来の姿である。戦略もなく、強制力もない日本の対応ぶりで、終息させられるほど生易しい敵ではない。

 5月の収束はおそらく、日本人が新しい感染症の怖さを初めて実感し、自分たちから積極的に自粛した結果なのだろうと思う。志村けんさん、岡江久美子さんらの急速な亡くなり方が恐怖を与え、大きな影響力を及ぼした。国がPCR検査数を絞り、「症状があっても4日待て」という目安を出したことで、岡江さんは遠慮したのだと推察する。今は病院も混んでいるだろうし、この程度で煩わせていいのだろうか、と患者は迷ったりするものなのだ。

 6月になるとくすぶっていた残り火から再発火したが、今思えばこの時こそが、より徹底的に収束させる唯一のチャンスであったかもしれない。PCR検査体制に余裕が出来たことでもあるし、医療・介護関係者、美容・理容従事者、接客業者などから希望者を募り積極的に検査すべきであった。それによって無症状者の中からどれだけの陽性者がいるのかの傾向を掴むことが出来た。

 それであっても、ホストクラブの無症状感染者を、検査であぶり出せたとは思えない。彼らに検査を、という発想自体があの時点ではなかった。ただ、「積極的に検査を」という基本姿勢があったとすれば、そこからの広がりを防げたかも知れない。それにしても、東京にあれほど多くのホストクラブが存在しているとは意外であった。かなりの出費になると推測されるが、社用でもないどういう女性たちが客になるのだろうか? 不思議な国である。

 既に書いた(その3)ように、現金給付、補助金、助成金、休業補償など、どのような名目であれ、軽々に公金を使うべきではない。短期戦ならばそれでもいいが、この感染症の場合、どれだけの長期戦になるか予測もつかない。私はまだまだ初戦だと思う。このままだと数多くの自治体が、夕張市同様に破産してしまう。

 メディアが作った「自粛要請は補償金とセットだ」という基準は危険である。これは声の大きい、或いは目立つ業界を優遇することになり、結果的に不公平になる恐れがある。新型コロナによって赤字で苦しんでいるのは、飲食、旅行関連の業種だけに限らない。殆ど全ての業種が、何らかの形で苦しんでいると推量される。したがって、かえって何もしない方が公平であったのだ。

 戦中、戦後の苦境の中、国からの支援もないのに当時の日本人は生きてきた。当時とは違い、豊かな時代に突然襲ってきた苦境なのでかえって耐え難いのかも知れないが、自助自立を原則としてもらうべきである。

 更に、補償金とセットであるため、予算が乏しくなると自粛要請をおいそれとは出せなくなる。東京都はなまじ資金が豊富にあったため、他の自治体が真似出来ない程の自粛協力金を出した。その結果(と関連付ける報道を見たことはないが)東京都の手持ちの資金は急速に減ってしまった。今や自粛要請の発動自体をためらわせるだけではなく、本来なら医療、検査、その他の必要経費に使われるべき原資を減少させている。半年後、一年後に再び大流行が発生した場合、資金も無くなっていたらどうやって対処できるだろうか?

 軽症者、中等症者用にホテルを借りたのも納得がいかない。オリンピック用に作った遊休施設とか体育館を使い、出来得る限り公金を使わないようにすべきである。最初から贅沢な前例を作ってしまったので、資金が無くなった後も、レベルを落とし難くなっている。

 最近東京都は、酒類を出す飲食店の時短を要請し、協力金として20万円を出すことにして物議を醸している。これは一番やってはいけないパターンだったかも知れない。チップなら何となくの相場があるのでまだしも、飲食店などの場合よほどの額でも出さない限り、多くの者を満足させることが出来ない。

 自分のお金ならばどのように使おうとも構わない。しかし、公金を扱う者たちは「けち」と言われるぐらいに、その使い方に慎重であって欲しい。これはあくまでも理想論であって、豊かな時代が長く続いた日本で、公金の使途を気にする清廉潔白な人士を見つけるのは、奇跡とも言えるほどに稀であるだろう。実際にも、アベノマスクの発注や持続化給付金の中抜きなど、国の存亡がかかっているこんな重大な局面でも、息のかかっている企業に儲けさせようとする。国の将来よりも、自分や仲間たちの儲けを優先させる政府や官僚の無責任さに呆れる他はない。

 将棋や碁では1〜2手先の良手が、3手5手先の悪手になる場合が多い。欧米の多くの国が日本と同様、国の金を国民に給付する政策を取ってきた。それは誰にも思い付ける一番安易な手段であり、工夫がない。当座を凌ぐ手ではなく、もっと将来を見据えた戦略的な政策を考え出して欲しい。

 日本では今、感染対策と経済活動とのバランスを取ると称し、Go To キャンペーンに⒈7兆円もの公金を使っている。タイミングが悪かったために、見込み通りの成果が出ない「死に金」にしてしまった。その上に国民の大多数が危惧した通り、感染の主舞台を地方へと拡散した。沖縄などはその被害をもろに被った。しかも直前になって、東京都在住者は除外するという訳の分からない変更を付け加えたために、キャンペーンは複雑化するばかりで、一層効果の薄いものになった。

 Go To キャンペーンは明らかに失敗であった。一度決まったことであるからと、感染が収まっていないにもかかわらず強行した硬直性は、日本軍の失敗した作戦の数々と同様である。しかも日本軍と同様、自分たちの失敗を決して認めようとはしない。

 日本ではメディアも「なあなあ」であるようだ。政府の批判をするものの「誰が政策の責任者であるのか」などの追求はしない。時間が経てば別な問題が起こり関心が移るために、結果として、全ての批判は単なる「言いっぱなし」になってしまう。これでは大臣も官僚もメディアを怖がることはない。お目付け役としての機能を果たせないでいる。メディアは責任ある大臣、官僚を特定し、辞任に追い込むまでのキャンペーンを行わなくてはならない。

 前にも書いた(その3、その5)ように、日本人は何かというと「国が補償すべきだ」「国が何とかすべきだ」と、まるで国が無限の財源を持っているかのような言い方をする。しかし公金を使い果たした後の、東京都や国の行く末はどうなってしまうのだろうか? 技術的に可能であるならばスーパーコンピュータ「富岳」に、公金が無くなった後の日本の姿をシミュレーションしてもらいたい、と願う。

2020年7月29日 (水)

ウイルスとの戦い その6

全自動PCR検査機が解決策

 このシリーズの最初の方で私は、検査体制を急速に整備出来た韓国に学ぶべきだ、と書いた。それ自体間違いとは思わないのだが、その後「韓国の感情を害さないで済んだかも知れない」と書いたことを反省している。韓国の反日感情は、こちらが下手に出れば済むという程度の生易しいものでないかも知れない。慰安婦、徴用工訴訟、日本企業資産の差し押さえとその現金化命令、WTO (世界貿易機関)への提訴、GSOMIA(軍事情報保護協定)破棄などなど、何とも執拗である。最近では、WTOの事務局長選挙に韓国人女性が出馬した。おそらく国ぐるみで支援しているのだろう。慰安婦問題の時がそうであったように、韓国は世界に向けて訴えるのに長けている。

 1980年頃私は、当地で発足したばかりのカラオケ歌謡クラブに入会した。そのクラブに流暢な日本語を話す2人の韓国人女性が入会した。後にその一人の弟夫妻も入会した。弟の日本語は片言程度だったが、彼とは気が合い親しくした。韓国語のカラオケを覚えたり、サンフランシスコで開かれたチョー・ヨンピルの歌のショーを誘われて見に行ったこともある。彼の家に遊びに行った時アルバムを見せてもらい、その中の歌のタイトルに目が止まった。「恨五百年」とある。韓国の有名な民謡らしいのだが、私はその言葉の中に韓国人の本質を見た思いがした。

 ネットで調べると、韓国の「恨」は日本語の「恨み」とは違うそうだ。「五百年」も中国の「白髪三千丈」同様、詩的な誇張であるかも知れない。そうしたことを考慮した上で尚、この言葉から朝鮮民族の情念の強さとその持続性が読み取れる。ロサンゼルスで暴動があった時、韓国人のストア経営者らは、屋根の上から銃を構えて店を守った。凄いガッツである。他民族によって何回も侵入された半島という歴史から来るのかも知れない。

 しかしそのような民族と対する側は大変である。3/4世紀前のことが昨日のことのように扱われる。裁判官も大統領も、恐らくは経験していない時代の話である。もしも慰安婦や徴用工の問題が韓国の主張通りに認められるならば、次は明治や秀吉の時代に遡って責任を取らされることになる。実際、対馬のお寺の仏像が盗まれ、その窃盗団は捕まったものの、韓国の裁判所は、盗品を日本に返さない判決を出した。600年も前の倭寇によって強奪されたという韓国の寺の主張を認めた結果である。朝日新聞はその仏像を日韓の共有財産にしたらいいという妥協策を提案したそうである。とんでもない。そんな前例を作ったら、日本中の仏像や美術品が狙われ、窃盗団は伊藤博文を暗殺した安重根のように国民的英雄とされる。何とも扱い難い国である。

 しかしそれでも尚、学ぶべきことが沢山あるのも確かである。韓国の医師たちの出版した本が、日本でも出版された。「新型コロナウイルスと闘った、韓国・大邱の医療従事者たち」というタイトルの本だそうだ。大邱は、大量集団感染が最初に発生した地である。その本を紹介したニュースによれば、彼らにとっても新しい病原菌なので最初のうちは対処法も分からず、検査数が伸び悩んだ。そこで或る医師がドライブスルー方式を思い付いたという。

 これは意外である。今や世界的になったドライブスルー方式が、ある医師のアイデアから生まれ、それが急速に受け入れられたというのは、それまで言われていた日本の報道からの印象とは違う。「韓国はSARSやMERSという感染症を以前にも経験していたので、今回もすぐに検査体制を整えられた」という。そういう経験のなかった日本で、PCR検査数が伸びないのも致し方なかった、という言い訳にも聞こえる。

 しかし韓国でも決して体制が最初から整っていた訳ではない、ということが「彼らにとっても新しい病原菌なので最初のうちは対処法も分からず」という点から明らかである。そして、たった一人のアイデアが受け入れられて急速に検査件数が増え、新型感染症収束の最重要な要因になった点は注目に値する。日本では反対に、大多数のメディア、医療従事者、科学者らがPCR検査の必要性を要望してきたが、その声が現実に反映されることはなく、ここ数ヶ月の増加は遅々たるものであった。

 最近(7-15)でも、小池都知事が「検査数が増えたので明日の陽性者数は多くなると思います」と記者団に語ったことがある。「増えた」と言うからには万は超えたのだろうと思っていたら、初めて4000を超えたというだけのことだった。他の国では日に万とか10万とかの検査を行なっているというのに、それまで3000台だった検査数が4000台になったから陽性者数が上がるだろう、という意識のズレ具合にびっくりした。日本では万人が認めるアイデアであっても、それがすぐ実行に移されることは滅多にない。

 安倍首相は2月以来何度も繰り返し、PCR検査件数を増やすと公言してきた。ところが実数が首相の目標値に達することはなく、日本の検査件数は世界の最低レベルに低迷している。そして伝わってくるのは、保健所が大変だという言い訳でしかない。ではどうしたら検査件数を増やせるのか、に対する意見は殆ど聞かない。

 検査件数を増やすには、保健所の手動検査を止める方向に進まなければならない。全自動PCR検査機を多用するだけが唯一の解決策である、と私は信じている。ところが一時期マスコミは、全自動PCR検査機を千葉県の会社が製作した、感染制圧に役立ったということでその会社はフランス政府から感謝状を貰った、などとこぞって報道してきた。更に、それに使われる試薬が日本でも保険適用として認可された、とも報じた。それなのに、その機械が現実にどう使われているのかに対する後追いはない。日本ではマスコミも、実行されたか否かには興味がないみたいである。

 それにしても、ヨーロッパで大量に使われている機械が生産元の日本で使われてない、とは何とも皮肉な話である。なぜマスコミはその目詰まりがどこにあるのかを鋭く追求しないのか?担当官僚を特定し、その責任を問うことはできないのだろうか?数字を並べるだけのリーダーたち。目詰まりの原因となっている官僚たち。もう一歩深く踏み込んで追求しようとしないマスコミ。彼らは「分かっちゃいるけど、やらない」人たち、である。報じられたものを受け取るだけでしかない我々は、日本の行く末を案じ、フラストレーションをより一層深めるだけでしかない。

2020年6月 8日 (月)

ウイルスとの戦い その5

チャイナ・アズ・ナンバー・ワン

 前回武漢のウイルス研究所に触れたことで、更なる想像を逞しくした。そう言えば当時、世界的なスポーツ大会が武漢で開かれていたな。もしかしたら選手のロッカーに新型コロナウィルスを塗り付けたりしたかも知れない。誰とでも喧嘩ごしのトランプ大統領に一泡吹かせるつもりで、研究所で発見した遅効性の株を使ったかも知れない。しかしネットで調べると、世界軍人運動会が武漢で開かれたのは10月下旬のことである。最初の感染者が出たのは早く見積っても12月初め。軍人運動会からは1か月以上も経っているので、私の想像はちょっと非現実的かなとも思う。12月頃には感染爆発が起こっていたはずなのにそれがない。

 しかし未練がないでもない。中国政府から「発生源はアメリカだ」という主張が出た。アメリカの方が感染者が先でそれが武漢に持ち込まれた、というのである。中国のその主張が正しいとして、ではいつ持ち込まれたのかとなると、やはり武漢軍人運動会の時だった、ということなのだろう。つまり発生時が10月だったと、中国自身も考えているということになる。

 この辺りまでを下書きに書いて一呼吸入れていたら、テレビ朝日のワイドスクランブルで凄い情報を放映していた(512日及び515)。昨年10月の大会後にはフランス、イタリア、スエーデンで、今となれば新型コロナ感染と思われる症状の患者が出ていた。当時のCTを調べ直したら、間違いなく新型コロナであったという。更にその大会の前の918日には武漢の国際空港で、新型コロナウイルスが軍人大会で発生した場合に備えての訓練を行なったという。不思議なのは、その段階で既に「新型冠状病毒感染」という中国病名が付いている点である。あまりにも用意周到過ぎる。

 中国政府の女性報道官は、「中国がウイルスの発生源だ」というアメリカの批判に対して「アメリカは何の証拠も示せていない。何故なら証拠など何処にもないからだ」と反論している。もしかすると、証拠隠滅を完全にやり終えたという自信があるからかも知れない。ワイドスクランブルに出演した興梠(こうろぎ)一郎氏が報告する事例を見ていたら、そう思えてきた。海鮮市場は閉鎖され、徹底的に消毒洗浄された。裏を返せば証拠隠滅である。ウイルス研究所の研究員たちが所在不明になっている。米国在住の中国系ウイルス研究者が自宅で銃撃されて死亡、更にその容疑者の中国系男性も自身の車中で自殺、などの話もある。

 前回私は「731部隊のように」と書いたが731部隊とは石井部隊とも言われ、戦時中の満州に設置された生物兵器研究所のことである。反日分子として捕らえられた中国人を生体実験した。私は森村誠一著「悪魔の飽食」を読んでその冷酷非道さに、読み進むのが辛かった。それを読んで考えさせられたのは、生物兵器は核兵器と違い、威力や効果だけを求めることは出来ないという点である。生物兵器には、敵に多大な効果をもたらすと同時に、誤って味方に拡散した場合でも、それをコントロールする手段が存在しなければならない。結局この矛盾した二つの要求を解決する方法は、最後まで見つけられずに終戦を迎えてしまった。

 この考え方を今回の武漢のケースに当てはめれば、自国はコントロール出来るという自信がある場合にはウイルスを使える、ということでもある。既に病名まで決まり、9月に空港で訓練をしていたという用意周到ぶりからするならば、中国政府は軍人運動会で、感染が起こる可能性を予見していたとも言える。作戦として立案するぐらいのことはしたかも知れない。但し、冒頭に書いた私の想像は間違っている。一帯一路の終着地となるヨーロッパに犠牲者が出ても、中国の利益にはならない。私が想定したアメリカで発症者が出たのはヨーロッパの後であった。やはり感染は、偶発的な事故によるのだろう

 故意、偶発どちらの場合であれ、中国が結果的に大きな利益を得たことは間違いない。アメリカやヨーロッパの多くの国が多大な被害を受け、経済的にも大きく落ち込んだ。コロナ後の世界における中国の存在感は巨大なものになる。1979年にエズラ・ヴォーゲル著「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が出版され、1980年代の日本は有頂天になったが幻影に終わった。しかし中国が世界一になる可能性は、ますます現実味を帯びてきた。しかも中国自身が世界一になるための手を着々と打っている。一帯一路や5G、アフリカにおける影響力の拡大、南シナ海の領海拡張などは全てそのための布石と考えられる。今や、膨張本能が目覚めてしまった。

 中国が世界制圧した後の、日本人の置かれる状況を想像すると、決して歓迎すべきものではない。それは、チベット族やウィグル族を統治するそのやり方を見れば分かる。中国国民にとっても自由がなく、政府から常に監視されている状態は、居心地が悪いに違いない。それとも、かってよりはるかに豊かになったことと世界の大国になった誇りとで、充分満足なのだろうか? 大多数の国民にとっては生まれた時からの体制なので、国とはそいうものだと満足し切っているかも知れない。更に日本人からすると、反日運動が時おり流行病のように発生するので気持ち悪い。多くの中国人の心の核に、過去の日本に対する遺恨が今も残っている可能性がある。中国がもっと強大になると、それに比例してもっと日本への風当たりが強くなるのでないかと心配である。

 中でも最大の懸念は、何か問題が起きた時における中国の反論の仕方である。「攻めるは最大の防御なり」を信念としているみたいで、中国は理の通らない屁理屈をこねる。冒頭部にも書いたように、アメリカが「発生源は中国だ」と言えば「発生源はアメリカだ」と逆ねじを食わせてくる。オーストラリアが「感染拡大に関する国際調査が必要だ」と当然なことを言っただけで、牛肉の輸入を停止し、大麦に制裁関税をかけた。彼らは決して自国の非を認めることはない。 

 つい最近も尖閣諸島の日本国領海内で、日本の漁船が中国公船に追いかけ回されている。彼らはいつの間にか、中国の領海だと主張するようになってきた。これから先も何回となく繰り返し、既成事実化していく作戦なのだろう。中国がもっと強大になるにつれ、国力を背景にしたごり押しが、更にエスカレートするのは明白である。

 中国がこんなに強大になったのは、この340年間、日本や欧米の企業が中国に進出して工場を建て、技術を教え込んできた結果だ。かっての冷戦相手国に、何故我も我もと押しかけるのかと、当時から不思議でならなかった。鄧小平氏が改革解放に舵を切った時、西側は中国が共産主義色を薄め、資本主義に近寄ったと受け止めた。しかし、それはあくまでも戦略的な変更に過ぎず、本質は不変なのかも知れない、という警戒心は持つべきであった。巨龍に育ち上がってしまった現在、中国を止めることはどこの国にも出来ない。

 だからと言って中国を嫌ったり憎んだり、感情的になるのは正しくない。日本を足腰の強い、飲み込まれにくい国に育てなければならない。財政的にも体制的にも健全な、隙のない国にしなければならない。世界一の借金大国で、GDP200%を越える債務を抱えているというのに、日本国民は国が援助するのを当然と考えている。「自粛要請と補償とはセットだ」などというのが支配的な意見のようだ。まるで国には、無限に金の出る打ち出の小槌があるとでも思っているかの如くである。

 私は敢えて警告する。個人の自由や人権を要求する以上に、国の将来についても考えるべきである。借金まみれの隙をつかれて、膨張本能に目覚めた中国に支配される日が来れば、はるかに大きく、自由や人権が抑圧される。

 

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